きずぐち
荒んだ部屋の中でシリウスは今まで横になっていたベッドから下りると、床に散らばっていた服を拾い集めて袖を通した。床に薄く積っていた埃が舞い上がり、シリウスは眉を顰めて服についた埃を払う。いつも通り着崩した服装は、だが彼の何者にも囚われない真っ直ぐで誇り高い人格を表わしているようだった。
衣服を整えたシリウスは無言で振り返る。冷徹な視線の先には、ベッドの端に腰を下ろしたリーマスの姿。彼は先ほどから顔を俯けて、自分の左腕を見下ろしている。シリウスによって衣服を剥ぎ取られた彼は全裸であるが、恥じた様子も無い。それどころか今の彼は自分の腕についた傷を、ガーゼの上からなぞるという自傷に似た行為に夢中で、シリウスの視線に気付いてもいなかった。
リーマスは疲労の翳のある顔を青白く細い自分の腕に向け、指先で繰り返し傷をなぞる。それはわずか数日前の満月の晩に自らつけた傷であり、完全に癒えるにはまだまだ時間を要するだろう。傷は腕だけではなく全身に刻まれ、彼の身体は包帯や青黒い痣に覆われていた。そんな身体の何処に欲情するのか、シリウスは自分でもわからなかった。
シリウスは険のある眸でリーマスを見つめる。ガーゼの上をなぞるたびに、左手の指に痙攣めいた動きが走るので、痛覚を感じているのは確かだろう。しかしリーマスの表情には相変わらず変化は無く、ただぼんやりと自分の腕を見つめている。そこに傷が本当にあるのか確かめるように、繰り返し細長い指で傷口をなぞるリーマスの様子がシリウスは嫌だった。☆
「……おい」
低くぶっきらぼうに掛けられた声にリーマスはゆるゆると首をめぐらしてシリウスを見た。
「傷がまた開く。よせ」
不機嫌であることを隠しもしないシリウスの言葉は、ほとんど命令に近い。リーマスは虚ろな目でしばらくシリウスを見つめていたが、
「そうだね」
呟いたリーマスは何故かシリウスに微笑みかけた。その虚無的な、口の端を持ち上げただけの微笑を見ているのが嫌でシリウスは視線を逸らすと、ベッドを迂回してリーマスの前に立った。彼は床に落ちていた包帯を拾い上げると、リーマスの左腕を掴んで真っ直ぐ伸ばさせ、ガーゼの上に巻き始める。その手つきに危ういところはなく、そういった行為をすでに何度も繰り返していることが容易に知れた。その間リーマスは抵抗するでも感謝するでもなく、惚けたような表情でシリウスの手が動く様を見つめていた。
身体のあちこちにある包帯を巻きなおしてやると、シリウスは早く服を着るようリーマスを促した。満月が過ぎたばかりだというのにどういうわけかシリウスを誘った少年は、何故か小首を傾げて床に散らばった服に視線を走らせる。彼は悪意も害意も無いが、昏い微笑を口許に閃かせ、シリウスの名を呼んだ。
「着せてよ」
それは媚びるような甘ったれた声音だった。だがその裏には自分とシリウスに対する嘲りの感情が渦巻いている。シリウスはもちろんそのことに気付いていたが、鋭い視線を放っただけで何も言わず、散らばった服を拾い集めた。
シリウスはシャツをリーマスに着せる。腕を上げさせ、袖を通し、ゆっくりとボタンを嵌めてやる。わずか一時間前には興奮に押し流されて引き裂いてしまいたいと苛立ったことなど、まるで感じさせない確かな手つき。一つ一つ嵌められるボタン。その都度リーマスの肌がシャツに隠されてゆくのは、脱がせる行為よりもよほどエロティックであることをシリウスは知った。リーマスもまた同じことを考えているのか、服を着せてもらっている間中、彼は淫靡な薄笑いの表情を浮かべてシリウスの指先を眺めていた。
人形か、もしくは奴隷さながらの従順さでシリウスの言葉に従うリーマスは腕を差しだし、脚を上げ、腰を浮かす。ズボンも靴下も、下着さえ何ら表情を変えずにシリウスの手によって身につけさせてもらうと、リーマスは愉快そうに咽喉の奥で笑った。最後に靴を履かせてもらい、ようやくリーマスは自分の手で乱れた髪を撫でつける。
たいして表情を変えるでもなくそれらを終えたシリウスはすぐにでもその場を立ち去ることを望んだが、リーマスのため息に似た小さな呟きに彼は再び呼び止められた。
「靴紐が……」
リーマスはベッドに腰を下ろしたまま右足を上げ、シリウスを見上げた。媚びるような追従するような、そのくせ拒否することを許さぬ眸に見つめられ、シリウスはリーマスを殴りつけたい衝動に駆られた。しかし彼が拳を振り上げることは無く、シリウスは無言でその場に片膝を付くと、優雅なまでの仕草でリーマスの右足を自分の膝の上に載せた。
先ほどまでリーマスの肌の上を辿っていた優美で節高な指が器用に靴紐を結わえる。シリウスは無表情のままそれを終えると、恭しいほど丁重にリーマスの足を床に下ろし、何事も無かったかのように立ち上がった。☆
見下ろしたリーマスの顔には満足げな微笑が浮かんでおり、シリウスは軽蔑するように目を眇めて彼を見下ろした。先ほどの情交の名残か、普段より幾分か頬の赤味の強いリーマスの顔に唾を吐きかけてやりたいとシリウスは思った。それとも体力の落ちてさしたる抵抗も出来ないであろう身体を押さえつけて、思う様屈辱を味わわせてやるのもいいかもしれない。
しかし結局シリウスはそのどちらもせずに一歩を踏み出すと、リーマスを振り返って左の手を差し出した。
「行くぞ」
その声は強くは無かったが、相手に有無を言わせぬ威厳に満ちており、リーマスは一層嬉しそうな微笑を浮かべ、緩慢な動作でその手を取った。☆
〔END〕
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