心のままに30のお題
配布元はこちら 例によって日記から再録。
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春っぽいもの
しゃぼん玉(2004/03/27)/葉っぱ(2004/05/18)
桜貝(2004/06/07)
夏っぽいもの
ビードロ(2003/08/25)
秋っぽいもの
カルピス(2003/09/22)/Oh,HappyDay(2003/11/13)
冬っぽいもの
青い鳥(2004/01/07)/春待ち(2004/03/18)
未分類
涙雨(2003/10/13)
未消化
ビー玉/虹/旅芸人/風船/バラ色の頬
相合傘/散る星/夕暮れ/折り紙
花冠/幸せ/月灯ランタン/水玉模様
Hello,my
dear!/ひとひらの雪/小春日和
みつば/ドロップ/すみれ/片思い/色々
Oh, HappyDay
目の前、一面に広がった蒼に息をすることさえ忘れた。あの日のことを織枝は生涯忘れることはないだろう。
野暮ったい学生服も二年目となれば本人の気持ちに関わらず体に馴染んでくる。小学校からほんの少しだけ、しかし当人たちにしてみればとてつもなく広がった世界にも中だるみが生じてくる。そんな、ある小春日和のことだった。
保護者同伴でなく、子供たちだけで隣県の遊園地に行くのはちょっとした冒険だ。修学旅行の続きのような気分で少年少女八人が早起きをし、電車を乗り継いで、ループコースターの有名な遊園地まで赴いた。
はしゃぐ七人とは裏腹に、織枝は時折泣きたくなった。気心知れた仲間と来たのだ、楽しくない筈がない。だが少々損をしたようだった。高所は苦手なのだ。飛行機にだって乗ったことがない。勿論、この遊園地の目玉も一人で地上に残ってやり過ごした。
ループコースターを降りてすぐ、親友の知世子が提案した。
「次は観覧車にしようよ」
「観覧車かー、いいねぇ」
「ね、織枝?」
織枝は顔をひきつらせ目を泳がせた。
「あ、あたしはいいよぉ。見てるから皆で乗ってきて」
「寂しいこと言うなよ」
「そんな激しくないよ」
「すぐ終わるからさぁ」
皆に熱心に誘われても織枝は頑なに首を振り続けた。織枝だって乗れるものなら乗りたいのだ。だが、目の前でゴンドラが地上を離れる度に肝が冷えた。他人が乗る様を見るだけでも恐ろしいのに自分が乗るなんてとても無理だ。
言葉を尽くして訴えると友人たちは渋々諦めた。
皆の姿が次々とゴンドラの中へ吸い込まれていく。いちいち体が縮こまってしまった。
男二人女二人を乗せたゴンドラが上がってゆき、二台目の扉が開いたとき、最後に乗り込もうとした少年が足を止めた。素早く身を翻し織枝の元へ歩み寄る。
「乗らなくていいの?」
「別にいーんだ。観覧車はどこにだってあるし、いつだって乗れんだろ」
「いつでもってわけにもいかないんじゃ? 部活、忙しいんじゃないの」
「岡田の方こそ。ブラスバンドは練習日多いんじゃね」
「週五日」
「毎日ってことか」
織枝がこっくりと頷いたきり会話は途切れた。
柵に手をかけて彼はゆったりと回る観覧車を見上げている。何か話さなくては、と織枝は必死に話題を探したが言葉にならなかった。同じグループにいるものの、彼とはあまり話したことがない。俯いていると彼が口を開いた。
「昔から苦手?」
「え?」
「高いとこ、苦手なんだろ。小さい頃に何かあった?」
「ううん、特に理由があるわけじゃないんだけどね。何でか分かんないけど怖いんだ」
「そっか」
彼が嘆息した。いたたまれなくなって織枝は呟いた。
「いいよ」
「ん?」
「乗ってきてよ。私、待ってるから」
「一人で待ってんの?」
「うん」
「俺、一人で乗んの?」
「……うん」
「じゃあいーや。俺も岡田とここで待ってる」
彼が屈託のない笑みを浮かべる。織枝は唇を噛んだ。
「ごめんね」
「気にすんなって」
「……私、やっぱり乗ってみようかな」
「マジで! 大丈夫?」
「分かんないけど、一度くらい試してみた方がいいよね」
「よしよし。んじゃ並ぶかー」
上機嫌で列の最後尾につくと彼は織枝を手招きした。おずおずと隣へ向かう織枝に、降りてきた友人たちが目を丸くした。
彼は拳を突き上げてみせた。知世子が眉をひそめる。
「大丈夫?」
「まあ、何とかなんだろ」
なあ、と首を巡らせて同意を求める彼に、織枝は不安ながら頷いた。
六対の目が見守る中、彼がゴンドラに乗り込むと織枝も従う。大きな音を立てて扉が閉まった。その音が刑執行の合図のように聞こえて織枝は顔を強張らせた。呻き声が口をついた。
彼が目を細めた。
「岡田……」
織枝が椅子にへたり込んだそのとき、ゴンドラが地面から浮かび上がった。織枝は思わず目を閉じた。目を閉じれば他の感覚は余計に研ぎ澄まされて、ゴンドラの上昇を肌で感じた。心臓が縮み、早鐘を打つ。足元がおぼつかなかった。
彼に再び名を呼ばれた。きっと心配そうにこちらを見ているのだろう。織枝は下を向いた。膝が震えている。脇にあるバーにしがみついて額を窓に押しつけた。そうしていないと泣き出しそうだった。やはり無理だったようだ、慣れないことはするものじゃない。
「あのさ、下向いてないでちょっと顔上げてみ?」
織枝は渾身の力を込めて顔を上げた。力を込めた割にはほとんど動けなかった。
「そうそう。次はもっと上を向く」
やけになって首が疲れそうなところまで顎を上げた。
「OK。目、開けてみなよ」
織枝は瞼をこじ開けた。目が眩み、すぐに閉じる。彼の視線を感じてもう一度ゆっくりと開いた。
視界いっぱいを蒼色が埋め尽くしていた。
織枝は声も出せず、ただ青空を見上げていた。
「まだ怖い?」
織枝は首を振った。自然と両手がバーを離れ、窓に触れた。口元の硝子が吐息で薄く曇る。
ゴンドラは緩やかに上昇を続けている。その振動も気にならなかった。顎を引くと遠くになだらかな稜線が流れていた。手前に戻るにつれて灰色の道路や豆粒のような色とりどりの自動車に染められた駐車場が目に入る。
「随分、高いところにいるんだね」
向いに座る彼は悪戯が成功した子供のように笑っている。
「頑張って乗ってみてよかったな」
「だな」
彼は視線を下界へ転じた。その横顔を織枝は食い入るように見つめた。
ゴンドラが最上まで至り、降下し始めた。
それももう遠い日の話となった。地面に下り立ったとき、心配そうに自分を迎えた者や興味津々に声をかけてきた者の言葉も一言一句違わずに思い起こせるのに。満面の笑顔をみせた自分と含み笑いで他の面子を煙に巻いた彼。秘密というには余りにもささやかな思い出だ。つい昨日の出来事のようだが、彼とはしばらく会っていない。元気にしているだろうか。
名を呼ばれ、織枝は気乗りしない自分を偽って立ち上がった。
しゃぼん玉
ドアを開けると教え子の少女の華奢な背中が視界に飛び込んできた。開け放した窓の前に立つ彼女をまじまじと眺めつつ、そういえば、とオレは思う。こうして後ろからみるのは初めてじゃないか。見慣れた娘も違って見えるもんなんだな。この娘はいつも折りたたみ式の机に肘をついてオレを待っていたんだった。
彼女が振り向いた。
「センセー遅いじゃん」
彼女の手の中には蛍光グリーンの細長い棒があった。どうみてもペンじゃない。外国の菓子にありそうな色だ。
「なに食ってんの?」
「へ?」
彼女は眉を跳ね、自分の手を見下ろした。ああ、と声を上げる。
「これ、お菓子じゃないよ。ストロー」
「なに飲んでんだよ」
ストローばかりみていて気づかなかったが、もう片方の手にはプラスチックのコップがあった。透明な液体が揺れている。
「飲んでないよ」
彼女は肩をそびやかせた。
「飲めないもん。飲んでみる?」
「いらね。まずそうだし」
「飲んでみなきゃ分かんないよ」
「じゃあユッコが飲めよ」
「いらなーい」
彼女はストローを咥えそっと頬を膨らませた。虹色の玉が生まれ、震えながらストローの先を離れ窓の外へ流れていく。
「楽しい?」
「うん」
「オレにもやらしてよ」
「やだーセンセーったら子供みたい」
「チューボーに言われたかないね」
彼女はくすくす笑いながらストローを差し出した。オレが直に咥えると手にコップを押し付けてきた。
「甘えるんじゃありません」
「ちぇっ」
息を吹き込むと、しゃぼん玉がストローの先で弾けた。
「センセー下手だね」
「わざとに決まってんだろ。今の笑うとこ」
「うっそぉ。あ」
「どうした?」
彼女はストローをつまんで、やんわりとオレの口から奪い取った。
「これって間接キスだね」
オレは思わず吹き出した。腹を抱えて笑っていると彼女は口を尖らせた。
「ホントのことでしょ」
「お子ちゃまだなぁ」
「しみじみいわないでよー」
いいよなあ中学生って。変な意味じゃなくて心底そう思う。
彼女はオレからコップも取り上げて机の隅に置いた。
「なんだよ、もうちょっと遊ばねえ?」
「ダメ。宿題いっぱい出ちゃったから。センセーと遊んでる暇ないの」
「オレ勉強嫌いなんだよ」
彼女は窓とカーテンを閉めた。
「カテキョ向いてないんじゃん」
「かもな。でも家庭教師はバイト代がいいからさ」
「うわ。大人ってイヤー」
彼女がオレの袖をつまんだ。
「センセーなんで今日はスーツなの?」
「教育実習いってきたから」
「ふうん、本物の先生になるのか」
「さあな」
「ひとごとみたいだね」
「カテキョ向いてないって言われたし、教師にはならないかもな」
彼女は広げた日本史の教科書を閉じて正座した。
「なりたくないの?」
オレは窓の外に視線をやった。そうしたら彼女が移動して真正面から目を合わせてきた。
「先生になりたくないの?」
「で、ユッコちゃん。まずは日本史から?」
「センセーが先生だったら面白いと思うよ。給食食べ終わるのどっちが早いかって生徒と競争しそう」
彼女は頬杖をついた。
「あと、一緒にサッカーやってむきになってボールとったりとかね」
「しないって。子供じゃあるまいし」
彼女は何も言わずにやりとした。
「ユッコ、ゴールデンウイークはどこにも行かないの?」
「友達とTDS行く。だからそれまでに宿題終わらせたいんだよね」
「いくつ出てるんだって?」
「五つ。日本史と、数学と英語と家庭科と理科」
「オレ家庭科はできないなー」
「大丈夫。期待してないから」
散々な言われ様だ。
「先生っぽくない先生になりそう」
「まだ引っ張るか」
「多分ね、いつもジャージ着てるの」
「それはあるかもしれない」
彼女はコップを引き寄せた。ストローに口をつけたかと思うと液が勢いよく泡立つ。
「でも、スーツ似合ってるよ。カッコいい」
俯いている彼女からオレはコップを奪った。
「だろ」
「いつもスーツ着てればいいのに」
返事をする代わりにオレはストローを吹いた。たちまち部屋いっぱいにしゃぼん玉が浮かんだ。
「ちょっと!」
「いつもスーツじゃこーいうことできねーしなあ」
「やってるじゃんっ」
彼女が慌てて窓を開けた。暖かい風が吹き込んでしゃぼん玉が舞い上がった。
「あ」
悲鳴を上げて彼女が顔を押さえた。
「目に入ったー」
「マジ? ごめん」
「許してあげない」
彼女は顔を背けた。その横でいくつもしゃぼん玉が割れていく。
「センセーがあたしのガッコの先生になるなら許してあげるよ」
「んなこと言ってもさ。今、中二だろ」
「うん。だから高校の先生になってよ。そうしたら、あたし受験してそのガッコにいくから」
「よし、だったらオレは秀英の教師になってやろう」
「秀英!?」
秀英高校は県内有数の進学校だ。絶対オレの肌に合わないだろう。
「今のユッコの成績じゃ無理だよな」
彼女の口が歪んだ。
「しかも運良く担任になったりした日にはクラス委員にして毎日こき使ってやる」
「性格悪っ」
彼女は嬉しそうに笑った。
「あと半年以上あるんだからどうなるか分かんないよ。あたしの底力みせてあげようか」
「言ったな。その言葉忘れんな」
オレもつられて笑った。一つだけ割れずに残っていたしゃぼん玉が窓を越えた。
桜貝
バイトから帰ると私はダイニングの椅子でしばらく惚けていた。
「早くご飯食べちゃって」
母に急かされて、のろのろと立ち上がる。茶碗にご飯をよそっていると、妹がやってきた。
「おかえり」
味噌汁を温めてくれた。そのまま妹は私の正面に座る。マカロニサラダを頬張る私をじっと見ている。
「食べる?」
「ううん、もう食べたからいい」
そう言いながら尚も私を見ている。
「あ、何か用?」
「うーん」
煮え切らない。私は箸を置いた。お茶をいれよう。
妹が急須を手に取った。湯呑みも二つ。
「ありがと」
妹が私の前で頬杖をついた。口を開いてすぐに閉じる。
「あーもうなによ、どうしたの?」
「あのね……お姉さま、マニキュアたくさんもってるよね」
私は自他共に認めるネイル好きだ。三食よりネイルアートが好きって言っても嘘にはならない。バイト先が飲食店だから普段あまり塗れないけど。
「それがどうかした?」
「ちょっとだけ貸してほしいんだけど、ダメ?」
「別にいいよ。珍しいね」
妹が顔を真っ赤にした。それで私もピンときた。
「あー男ができたわけね」
「その言い方なんかやだー」
「否定しないんだ」
妹が目を伏せた。私はにやっとした。
「ご飯食べおわるまで待って。塗ったげるから」
夕食を終え、私はネイルを詰めたポーチを持って妹の部屋に入った。久しぶりに入って驚いた、ちゃんと部屋が片付いている。前は丸めて足元に転がしてあったベッドカバーがきれいにかけてある。
ひょっとして、彼氏はこのうちに遊びにきたことがあるのだろうか。
妹が座布団を床にしいた。
「で。何色がいいの?」
「何色がいいと思う?」
「この緑はどう」
鮮やかな緑色のボトルを摘み出してみせた。
「きれいなニラの色だよね」
「さっき餃子食べたからでしょ」
「あ、分かる?」
妹は頬を膨らませた。
「もっと真面目に選んでよ」
「ゆとりのない娘はもてないよ」
「お姉ちゃんみたいにね」
「そういうこと言っていいのかなぁ」
「……いいよ、自分で選ぶから」
妹はポーチの中をしけしげと見た。そうして白っぽいピンクとショッキングピンクを引っ張りだした。
「このへんがいいな」
ボトルを受け取って妹の指に添えてみた。
「ちょっと浮くなぁ」
「そうかなぁ?」
「青みが強いからね。可愛い色だけど」
私はポーチから濃いピーチピンクとパールホワイトを引き抜いた。
「手だして。塗ったげるから」
妹は不満そうだったけど、私はうむを言わさず塗りはじめた。ピーチピンクを二度、丁寧に伸ばして乾くのを待つ。
「明日、デート?」
妹はこっくりと頷いた。
「どこ行くの?」
「内緒」
「可愛くないなぁ。同じクラスのこ?」
「ん? ……ああ。ううん、去年は同じだったけど」
「ちょっと淋しいでしょ」
「平気だよ。まだ学校一緒だもん」
「まだあと半年以上あるしね。いつからよ?」
「この間の球技大会から」
妹は嬉しそうに笑った。
「高坂くんがね、バスケやってて怪我しちゃって」
彼氏の名は高坂くんというらしい。
「保健の先生いなくてね、あたし保健委員だからクラスの子の手当てしてあげてたら高坂くんが来たから。湿布貼ってあげたの」
いまどき少女漫画でも見ないわそんな展開。ああ思春期恐るべし。
「なんてベタな話」
「いいじゃんー」
むくれる妹の手を抑え、パールホワイトを薄く重ねた。ピーチピンクがいい具合にトーンダウンした。
「わっ可愛い!」
妹の目がきらっとした。おやまあ。
「お気に召したようでよろしゅうございました」
「ありがとう、お姉ちゃん」
にこにこしてる妹の額を私は指で弾いた。
「痛っ」
「そーいう顔は彼氏の前でだけすればいいの」
「はーい」