第1幕 〜著作権って何のこと?〜
第1場 何かをつくった人に権利がある

第2場 「つくった」ってどういうこと?
  自分で考えてつくった。いっしょうけんめいつくった?
  思想または感情を創作的に表現したもので、 文芸・学術・美術・音楽の範囲に属するもの。

第3場 つくった人の心のための権利
第4場 つくった人が損をしないための権利
第5場 できることだっていっぱいある
第6場 勝手に使ってしまったら?

  第1幕 第2場  「つくった」ってどういうこと?
なあ、旦。
言っちゃ悪いけど、上手いとはいえねえおまえの絵でも守られるんならさ。
人がつくったもので著作権とやらで守られないものってひとつもないのか?

(なんと返答したらよいのでしょう?) ・・・はい。
自分でつくったものでしたらね。

あら。周公旦さま、そのお答えは漠然としすぎていますわね。
私たちはあまりに多くの活動を「つくる」と申しますから。
自分のなかの想像の世界を文章に書き下ろすことも、作品を「つくる」と言いますし。
紙の上ではなく、彫刻や建築物のように触れる形にすることを「つくる」と言う場合もあるでしょうし。

あ、そっか。
トマトを育てるんだって「つくる」だけど、それはさすがに著作権では守られねーよな?
「つくったもの」って何だ?旦、もう少し説明しろよ。

確かにそうですね。承りました。
では小兄さま、著作権という権利がなぜあるのか、目的を覚えていらっしゃいますか?

へ?
ええと、 みんなが「自分で何かをつくりたい」っていう気持ちになるように、だったよな?
みんなが人のつくるものを当てにしてたら、新しいものは生まれねーから。

おや、覚えていらっしゃったのですね。
その目的に合うものが著作権で守られるもの、つまり著作権法でいう「つくったもの」です。
それは、人の真似ではなくて自分で新しくつくったもの。
考えや気持ちを自分でかたちに表したものが「つくったもの」として守られます。

ん??旦、それってマジでなんでもかんでも全部ってことか?
なんか違ったよーな。守られないものって結局あるのか?

ええ、ありますよ。

例えば?

まずは先ほど申しましたとおり、人がつくったものの完全な真似は駄目ですね。
固い言葉では「創作性がある」と言いますが、 つまり「自分でつくった」ということがまず必要です。
例えば太公望が書いた戦術書を私が書き写すといたしましょう。
本1冊書き写すとすれば大変ですね。 私は間違えないように一生懸命書き写します。
でもどんなに一生懸命だったとしても、 出来あがったその本は私がつくったものとは言えません。
それはあくまで太公望がつくったもの。
一生懸命書き写したからといって、 私がその本を勝手に売りに出したりすることは出来ません。
太公望の許しがいるのです。

どれだけ苦労をしたか、ということは関係ないわけですね。
苦労していようがいまいが自分で作り出したことが重要である、と。

すっげえ苦労してても創作性がねえから、トマトをつくっても著作権では守られねえんだな。
ほかにも守られないものはあるのか?

そうですね、単なる事実と言いますか、客観的なデータは守られません。
「考えや気持ちを表す」ことが「つくる」ということですから。
客観的なデータというのは、黄河の長さとか、 「殷周革命は紀元前11世紀のことです」とか。
これもですね、 その人が大変な苦労を重ねて世界で初めて黄河の長さを測りきったのだとしても、 そのデータ自体は守られないのですよ。

えっ、そうなのか?

そうなのです。
あるデータを元に文章をつくったとか、 いろいろなデータを自分で工夫して並べた、 とかでしたら創作性がでてきますから著作権法で守られるのですが。
そのときも守られるものはその書き表し方とか並べ方とかであって、 データそのものではないのです。

なるほど、著作権は情報ではなくて表現を守る権利なのですね。
つまり著作権法はあくまでも創作活動を保護するための法律だということですわね。

ええ、そういうことです。
ついでに申しますと、工業製品などは新しく自分で考えて作ったものだとしても 著作権法では守られないのです。

ふふ、文化としての創作活動ではないからですね。
文化の発展を目指す著作権法では守られない。
けれどきっと工業の発展を目的とした別の法律で守られるのでしょう?

ご明察です。
それはさておき、もうひとつ守られないものをお話ししておきましょう。
先ほど邑姜さんがおっしゃったように、著作権は表現を守るものです。
ですからまだかたちになっていないアイディアやイメージは守られません。

お、それならわかるぜ。
人がつくったもの見て、「あ、それ俺が考えてたのに」って言うな、ってことだろ?
考えてたって実際つくらなきゃしょうがないもんな。

もっともな話ですわね。
ところで、かたちになる、とはどの程度かしら。
紙に書いたりして物が残ってないといけません?

歌とか、物語とか、口にしただけで構いませんよ。
ですから小兄さまがされた演説なども、立派に「つくったもの」になりますね。
とにかく自分の中ではなくて外に表すことですね。

手で触れるような形でなくても、ほかのやつがわかる形になってれば 「つくった」って言えるわけだな。
でももちろん、絵だったら絵について話しただけじゃなくて紙に描かなきゃいけないだろ?

そして彫刻をつくったと言うためには、彫刻について話したり描いたりするだけではなく 手で触れる彫刻を彫らなければならないわけですね。

もちろんです。
絵について語ったものや彫刻案のスケッチは、文学や図画としてなら保護されますけれどね。

ん、大体わかった気がするぜ。これで全部か?
要するに、人の真似じゃなくて単なる事実でもなくて頭の中での考えでもなくて 「つくったもの」なら、なんでもかんでも全部が守られる、ってことだな。

ええ、そのとおりです。お疲れさまでした。


今日はこんなところでしょうか?みなさま、どうもお疲れさまでした。

お疲れでしょうが続きます
ほんの少し各論に入っただけなのに。
(それはあくまで前回に比べれば、ということであってここは各論とは言わないだろう)
そしてこれでも少しづつ端折っているのに。
読んでくださった方ありがとうございました。お疲れさまでした。
第3場まで書き上げたら1ページにまとめようかな?などと前は書いていましたが、
しないほうがよさそうな感じですね。
そしてやっぱり表現固いですよね・・?うう。
疑問点不安点ご感想賛成反論ありましたら 水波までおねがいします。
特に保護期間死後50年の根拠がお分かりになる方いらっしゃいましたらぜひ教えてください。
あ、リンクや参考文献のアップまだしてないさね・・(13.06.03)

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