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コレガナラ、
ハイラナイ

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10.

Marin's Note
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01.

 空が見たい、と少年は思ったが、部屋の窓からは隣接するマンションしか見えない。
 窓を開けてベランダに出てみても、手摺から身体を乗り出し首を上に伸ばしてやっと、細長く切り取ったような空が建物の隙間から見えるだけだ。
 だから窓には青空色のロールスクリーンがずっと下げてある。この部屋で、その青い色だけが周りから鮮やかに浮き出ていた。四方の壁は真っ白で、フローリングは真っ黒だ。家具は何もかもが黒色で、ベッドカバーさえも黒く、少年が身動きもせずにぐっすり眠っていると、まるで死体を覆う布のように見える。
 本物の死体の写真は部屋の白い壁に何十枚も貼られていた。世界中で起きる痛ましい事故の犠牲者は、その死様を様々な手段によってばら撒かれるから、少年はネットで拾ったそれらの画像を簡単にプリントアウトできる。
 死は誰にでも平等にやって来るが、皆安らかに死ねるとは限らない。
 壁に貼られた数々の死を眺めても、悲しみの感情は沸いてこない。かつて生きて、そこらじゅうを動いていた人間が無残な死に方をした為に、潰れたりひどく変形してしまった物体にしか見えない。その物体にも人生があったのだと思っても、見ず知らずの人間の死を悲しむ余裕も無ければ、なぜこういう死体写真に心が惹かれるのかも自分で説明できない。それは少年の気持ちの中で一つの疑問になっているにもかかわらず、明確にされないまま創作という行為に形を変えて進んでいる。
 時々少年は考える。疑問が解けないのは、人生経験が少ないからだろうか、知識が足りないせいか──?
 十数年生きてみた少年が確信を持って言える事が一つだけあった。自分が心から欲しいと思うものは、なかなかすぐには手に入らない、ということだ。
 “だからこそ、手に入らないもの、この世に無いものは自分で作る。自分が満足する為に”と、少年の尊敬する男は言った。
 自分をまっすぐに見据えて言った男の澄んだ瞳を時々思い出しながら、少年は机の上の石粉粘土の塊を手で伸ばし、木と針金で作った芯に巻きつけ始める。粘土は長い指で千切られ、伸ばされたり丸められたりして髑髏や骨、蛆虫や棘の形になっていき、それらが集まって不気味な立体作品が出来上がっていく。一段落したところで用意しておいたウェットティッシュで両手を拭き、洗面所に行って丁寧に石鹸で手を洗う。コックを捻って水を止め、顔を上げて、鏡に映る自分の顔を見つめた。
 自分の瞳の中に誰が焼き付いているのかを思い出し、心臓が高鳴っていく。
 少年は甘く高揚する気分を反芻する。
 言葉を交わしたことの無い、名前すら知らないあの少年。
 触ったことのない、あの白い首筋──。
 穏やかで知的な眼差し、柔らかそうな唇、肉の薄い頬、細くしなやかな髪。
 抱きしめたら、どんな感じだろう?
 両腕の中に閉じ込めた時、あの身体はどんな反応をするだろう?
 腰は細そうだ、腰骨がはっきり浮き出ているかもしれない。
 二つの肉の丸み、その奥にある×××──。
 ……きっと、手には入らない。
 溜息をついた少年は、肩まで伸びた自分の錆色の髪の毛を片手で梳き上げ、左耳につけた新しいピアスを眺めた。鈍い銀色をしたそれは尊敬する男がデザインしたもので、棘の生えた蛆虫の形をしている。
 部屋に戻ると、真剣な顔つきで机の上に置いてあるシリコンの塊を手元に寄せた。粘土で作った物体をシリコンで型取り、更にその型の中に樹脂を流し込んでおいたものだ。つまり粘土で作ったものを樹脂で作り上げたのだ。慎重にシリコン型を外し、樹脂の物体を手にする。ゆっくりと回して眺めながら、その出来栄えに少年は嬉しくなって微笑んだ。
 少年の手の中にある物は、真黒な色をしたディルドだ。
 根元の部分には融けかかった肉片のついた骨と髑髏が絡み合い、その中心から潰れたミートボールのような形が重なりながら棒状に繋がっている。少年は手首を動かしてディルドの底を覗き見た。そこは空洞になっていて、指先をその穴に入れて大きさが思い通りに出来上がったと確かめた後、机の引出しの奥から小さな箱を取り出した。
 箱の中には小型のローターが入っていた。銀色の棒状で、何かの部品に見えるほど無機質な感じがするのは、第三者にこういう性的な玩具だとバレないようにする目的も含まれている。5センチほどの長さで、直径は1.5センチぐらいだろうか、両端とも丸くなっていて、片側には輪状のボールチェーンの鎖がついている。挿入した時に奥深く入ってしまっても、チェーンを引っ張って容易に取り出すことができる。電池使用でワイヤレス型だ。
 チェーンのついている方の底面近くを回すと、静かに振動し始めた。それをディルドの穴に入れると、ぴったりと収まる。グロテスクな黒い肉棒を握り締めると、思った通りに振動が伝わってきた。
 満足げな笑みを浮かべ、少年はチェーンを引っ張ってディルドからローターを取り出し、振動を止めた。椅子ごと身体を回して後ろの壁に目をやると、静かに立ち上がる。
 壁際に置いてあるローボードには、きちんとパッケージに入った不気味なフィギュアが神経質そうに並べてある。車椅子に座っている脚の無い殺人鬼、鎖で繋がれたモンスター、神話をもとに作った悪魔たち…、これらはすべて市販されているものだが、少年が作った数々のグロテスクなディルドも一緒に並んでいる。
 少年はローボードの前に立ち、それらを眺めた。しばらくしてから視線を上にずらし、崇拝に近い気持ちで壁に飾っている額の絵と向き合った。
 あの尊敬する男が描いたものだ。頭蓋骨と肋骨、太い棘と肉片の表面に浮かび上がった筋が融けたように混じり合って一つの形になっている。少年は最初にこの絵を見た時、かつて感じたことの無い衝撃を受けた。
 その絵の左横には、ノートから破き取られた紙が一枚貼ってあり、薄い色をした罫線の上に、人間の顔が鉛筆で描かれている。それを囲むようにして、プリントアウトした何十枚という死体画像が押しピンで留めてあった。
 描かれている人間の顔は、少年の瞼に焼き付いて離れない、あの名前も知らない少年の顔だ。
 あの少年を初めて見た時、微かな衝撃を感じたけれど、男の絵を見た時ほどは強くないと思っていた。
 けれども身体の奥で、その微かなものが日増しに溜まって大きくなっていくのを感じている。
 今も、疼いている。
 手の中の黒いディルドを撫でながら、少年は瞼を閉じた。
 そして、想像してみる。
 まだ触れたことのない、華奢な身体の肉の硬さと柔らかさを。
 このディルドで陵辱された時の上気した目元、屈服にも似た喘ぎ声を──。
 少年は唇の上に笑みを浮かべた。
 小さな世界が幸福と快楽に満ちていくのを、身体の全てで感じていた。


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