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Marin's Note
Web拍手


     
01.

 俺は夕陽が大っキライだ。
 “西の空で熟れすぎて腐った巨大なオレンジ”(これは 勝手な俺の形容だけど)は、忘れてしまいたい過去の場面をいくつも思い出させる。
 というのも、16年と数日の俺の短い人生には嫌な事がたくさんありすぎて、なぜかそれは、いつも夕暮れ時に起こっているから。
 記憶の中で再生された光の果汁は、騙して付き合っていた下級生の横顔を濡らし、両親の口から離婚を聞かされた部屋に溢れ、家出して街をフラつく俺の足元に長い影を作った。
 夕暮れ時を指す言葉に「逢魔が時」「大禍時」というのがある。
 それが、「魔に逢う時」「大きな禍の起こる時」という意味だと知って、いつしか夕陽は俺の中で不吉のシンボルに取って代わった。
 けれども今、頭上には真昼の太陽が輝いている。
 真冬に逆戻りしたかのような寒さなんて気にもならないほど、俺は浮かれた気分になっていた。明日から待ちに待った春休みが始まる。休みの間はバイトに専念して、稼いだ金でずっと欲しかったギターを買うつもりだ。それに、今から向かうピークエクスペリエンスでは、もしかしたら俺が加入するかもしれないバンドのライブが行われようとしている。
 新しい事が始まりそうだ。
 そんな予感に俺の胸はワクワクしていた。

 大通りのビルの一角にピークエクスペリエンスの入り口がある。
 重たいアーミーコートの裾を引きずって急な階段を下りると、突き当たりのドアに当日出演者の告知がしてあった。そこの昼の部に、
Velvet breath《ヴェルベット・ブレス》
という目的のバンド名があるのを確かめてから俺は中へ入った。
 ピークエクスペリエンスは地下に造られたキャパ(収容定員)二百名のライブハウスだ。
 今日はテーブルや椅子がとっ払われていて、オールスタンディングのフロアになっている。ざっと見回しても百五十人は入っていそうだった。その客の七割がの子で、なぜかパンクスがちらほらと紛れている。
 ここの店長から《ヴェルヴェット・ブレス》は、ボーカル、ベース、ドラムスの三人編成で全員が俺より一つ年下の、この春から高校生になるというブリティッシュ系インディバンドとしか教えられていないが、ビジュアルかパンクの聞き間違いだったのだろうか? どっちにしろ、店長に詳しく聞こうとしても、「とりあえず観てみろ」としか言われなかったので、自分の目と耳で判断するしかない。
 腕時計を見ると、開演時間が迫っている。
 俺は人混みを掻き分け、ステージ全体がよく見えるようにフロアの中央へと移動した。
 もしかしたら知り合いがいるかもしれない。あらためて周りの客を見回そうとした時、客電(客席の照明)がフェイドアウトして、それまで流れていた曲が、いきなり鼓膜を震わせる大音響のノイズ系に切り替わった。メンバーが出て来る時にかかる曲で、いわゆるデバヤシというやつだ。
 客席に軽い緊張が満ちていく。俺も感染したみたいにじっとステージを凝視する。
 まず最初にドラムスの奴が現れた。
 俺の隣にいたパンクスが「早くやれ」と叫び、他の客も口々に何かを叫んでいるがデバヤシがうるさすぎて聞き取れない。
 そんな雰囲気の中で残りのメンバー二人がフロントに立った。照明が暗くて誰の顔もはっきり見えないが、ボーカルの奴はかなりの長身で、ベースの奴より頭一つ分は高い。
 このバンドにはギターがいないから、予め用意しておいたオケテープに合わせて演奏するんだろう…なんて考えていたら、ボーカルの奴が軽く右手を挙げた。それが合図となって照明がナマ(明転)になり、会場は本が読めるほどの明るさになった。
「ゲッ!!」
 思わず俺は叫んだ。
 ボーカルの奴は、“今年のワーストドレッサーはアンタに決まりだ!!”みたいな黒い革づくめの格好をしていた。両肩を見せて着ているライダースジャケットはボサボサの金髪のせいで余計にだらしなく見え、革のパンツはビリビリに破けている。化粧のせいか、一瞬、女に見間違うほど綺麗な顔をしているが、ブカブカのシャツの間から平坦な胸が覗いていて、赤い薔薇を咥えた髑髏に棘と蛇の絡んだ気持ち悪いタトゥーや乳首に光るリングも見える。首には飼い犬まがいの首輪をはめ、そこから長い鎖がリードのように垂れているが、目つきは鋭く、飼い犬というより野生動物のようだ。下品で悪趣味なそのビジュアルは俺の想像を遙かに超えていて、生理的嫌悪すら感じてしまう。
「なに、こいつ…?」
 呟きながら思わず顔が歪む。これが俺の加入するバンド候補のメンバー?
 他のメンバーは特に服装を合わせた様子もない。ベースの奴は茶色いフワフワした髪に化粧っ気無しの童顔で、なぜかブルデス系の気持ち悪いキャラクターの描かれた黒いパーカーに迷彩柄のパンツをはいている。ドラムスの奴は黒い短髪で、白いシンプルなTシャツの半袖から細身ながらも筋肉質の腕を見せている。他はこれといった特徴もない普通の感じだ。が……。
 一体、何なんだ!? 色モノまでいる、このアンバランスな三人組は…!?
 ボーカルの奴が黒く長い爪で金髪を掻き上げながら会場内を眺め回した。
 その白い顔がこちらを向いて目が合った瞬間、すべての騒音が消えて言い様のない不吉な感覚に浸食されていく気がした。
 ベタつくような、嫌な目つきだ──。
 冷たい表情の真ん中で、奴の双眸は見るものすべてに明らかな侮蔑の感情を輝かせている。
 俺は目を逸らせなかった。奴の目つきが気に食わなくて、無意識に睨み返していた。
 奴は薄笑いを浮かべると、マイクにキスするように低く囁いた。
「Velvet breath......」
 オレンジ色のムービングライトに乗ってオープニング曲が始まった。会場全体が燃え落ちる夕陽に包まれたようなライティングだ。
 なんて嫌な色だ……。
 すぐに俺はボーカルの奴だけを目で追った。奴のうつむく顔、伏せた目の先にある指先、その指が梳く金色の髪。赤い唇が開き、吐き捨てるように、時には囁くように歌う。表情は弱々しさから強さへ、切なさから媚びるようにと変化し、不意にまたその双眸に射ぬかれて、ハッと我に返った。前列の客が頭を振ってアホみたいに踊っているのが見えた。
 その後俺は、果汁がベタつくような息苦しさを感じながら、演奏に集中しようと努力した。そして、サビの部分を聴き終わった時点で、このバンドには絶対に加入しないという気持ちが固まった。バンドとして客のつかみは上手く勢いだけは認めるが、音はビジュアル以上に不可解で、それが個性なのかドヘタというべきなのか一言ではとても説明できない。ノイジーでコアでグランジっぽくてドロドロしていて暗い…かと思えば、軽くメロディアスな部分も持っている。それぞれのパートは決してヘタではないし、特にドラムスは面白くて難しいオカズを叩き、ベースはキャラクターに似合わず攻撃的な俺好みの音で指もよく動いている。ボーカルは一度聴いたら忘れられない声をしていて、一番の売りになるだろう。しかし、要するにすべてがゴチャマゼのグチャグチャで、俺には理解できないし、とてもついていけない。予想した通り、ギター入りのオケテープに合わせて演奏する曲の頭には必ず長いイントロやハイハット等の鳴り物がカウントを取っていて、スタジオ練習を見学しているようなステージもつまらない。これじゃあバンドとしては早急にギタリストを入れてライブをしたいだろうけど、俺は断固パス。
 どうして店長は俺に《ヴェルベット・ブレス》の話をふったんだろう? 『新顔のバンドがギターを探しているから一度観に来い』と誘ってくれたのは嬉しいけれど、俺がやっていたバンドとはカラーが違いすぎる。
 俺が《ヴェルベット・ブレス》を選ばない事だけは確かだ。
 冷静にステージを観ている俺を置き去りにしてライブは盛り上がっていく。MC(喋り)は一切入らず、音の途切れる間が全く無い。ライティングはオレンジ一色で、その光の中でボーカルの奴は気持ち良いさそうに歌い、仰向けに寝転びながら器用に這いずり回った。…こいつの前世は蛇だったに違いない…と思ったその時、急に後ろ向きに立ち上がった奴のビリビリに破けたズボンの間から白い半ケツが見えて、俺は唖然としてしまった。
 変だ……。ボーカルの奴は絶対に性格がおかしそうだ。こんなバンドに加入するのは、絶対にイヤだ。
 耳への苦痛と生理的嫌悪が残ったまま、《ヴェルベット・ブレス》のライブは終わった。しかし、ステージからメンバーが引っ込んだ後もノイズは流れ続け、客は誰も帰ろうとしない。
 結局、こんなアホそうなハイテンションバンドに客は三回もアンコールを要求した。そして突然ノイズが途切れて客電がフェイドインすると、ライブが終わったと納得したらしい客は一斉に出口に向かってハケ出した。
 客も変だ……。
 人波に押されながら、つい、左右にいる客を奇異な目で盗み見してしまう。疲れた……とっとと帰ろう。
「雨龍(うりゅう)君!」
 不意に、大きな声に呼び止められた。
 振り向くと、今夜のライブに俺を招待してくれた店長が片手を上げながら近づいてくるのが見えた。俺は話すのが面倒くさいと感じながらも仕方なく立ち止まった。
「来てくれてたんだ。ライブどうだった?」
 隣に並んだ店長が上機嫌で話しかけてくる。
「はあ……えっと、その、はははっ」
 正直な感想を言うのも気がひけて、俺は愛想笑いで誤魔化した。
 店長は気にする様子もなく、俺の背中を押しながら人の流れに逆行して歩き、ステージ脇にあるカウンターの椅子に座るよう促した。
「ここで少し待っててくれないかな。実は《ヴェル・ブレ》のメンバーから是非君を紹介してほしいって頼まれてるんだ」
「えっ……?」
 突然に話を切り出されて、俺は口篭もってしまった。
「そんなこと、聞いてない…です。今日は、ライブを見るだけのつもりだったし…」
「連中に口止めされてたんだ。あいつら、ギターを入れるなら君しかいないと決めてるらしい。以前から君のファンだったらしくて、解散を機に引き抜くつもりなんだろう」
 俺は店長とメンバーにハメられた気がした。俺がもっと《ヴェルベット・ブレス》の情報を知っていたら、今夜ここには絶対来なかった。金を払ってまで観たいステージじゃないし、暇つぶしにすら聴かない音だとわかった上に、こんな強引な勧誘が待っているとは……。
「雨龍君は性格も良いしギターも巧いし、自信を持って紹介できるよ。オレの顔を立てると思って一度会ってやってくれ。ステージの後片付けとミーティングが終わったら、また呼びにくるからさ」
「は、はあ……」
 俺が困りながら笑っているのを承知したと勘違いしたのか、店長は笑顔でその場を離れて店の奥に消えてしまった。
 困ったな……、どうして俺は、はっきり『NO』が言えないんだろう。おまけに愛想笑いまでしてしまった……情けない。
 連中が俺のファンだと聞かされて悪い気はしないが、楽屋へ行ったところで話がはずむとも思えないし、加入を断るのも言い出しにくい。俺の為に動いてくれた店長には悪いけど、顔を立てる義理なんて俺には無い。
 カウンターで頬杖をつきながら何気なく見たステージでは、店員に混じって《ヴェルベット・ブレス》のメンバー三人が後片付けをしていた。
 ボーカルの奴も着替えをすませて黙々とシールド(コード)を巻いている。
 ステージ衣装も変だったが、普段着も変だ。ざっくりと編んである白いモヘアのセーターは素肌がうっすらと透けて見え、胸から腹にかけて大きな白黒の陰陽模様が編み込んである。別にそれはいいのだが、合わせてはいているのはユーズドっぽく色が褪せている薄紫色のカラージーンズだ。
 すっげぇー…変なセンス。黒のレザーパンツぐらい合わせてくれよ、破れてないのを…と心の中で呟いていると、急に奴がこちらに身体を向けたので、俺はあわてて横を向いた。目が合っても、どうしていいかわからない。とても話すきっかけなどつかめそうになかった。
 俺はステージでの奴の態度を思い出していた。侮蔑に満ち、支配者然として俺を睨む奴の目つきには、どこか邪な感情が含まれているようにも思えて、胸に残っていた不快感が一層増した。
 あんな奴と会う為にこうして待っている自分がバカに思えてきたが、店長との約束は破れない。
 やがてステージからメンバーの姿が消えた。これから店長とのミーティングがあるのだろう。
 一人で退屈な時を過ごしていると、
「楽屋からの差し入れだそうです」と、カウンターの中にいた店員さんから、グラスに注がれたオレンジジュースとバスケット入りのフライドチキンとパンを差し出された。店長が俺を呼びにきたのは、それらをすっかり胃の中に入れてから30分も経った後だった。
「長く待たせちゃったね」と詫びる店長の後に続いて楽屋に向かう俺の足取りは重い。気分も沈んでいるが、急に胃が痛みだして、ほんの少しだけ吐き気もする。
「約束通り、雨龍君を連れてきたよ」
 明るい声で店長が楽屋のドアを開けた。俺は胃に手を当て、愛想笑いもできずに入り口に突っ立ったまま「どうも」と軽く頭を下げた。
 ベースの奴がすぐに「はじめまして」と人懐っこい笑顔で言って返した。その隣でドラムスの奴が「こんにちは」と小声で言い、静かに笑った。
 しかし、あいつは……ボーカルの金髪野郎は無反応で、ライダースジャケットを肩にかけて黒い背中を向け、壁際の化粧台の椅子に座って鏡を覗き込んでいる。こっちが挨拶しているのに、失礼な奴だ。
 ふと、鏡の中の奴と、また目が合ってしまった。俺が部屋に入った時から鏡越しにずっと俺を観察していたのか、奴の視線は揺らぎもしない。
 睨みつけるわけでもなく、かといって笑いかけるつもりも無いらしい。そんな無遠慮な眼差しに、俺は顔を背けられずにいた。もしも俺たちが知り合いになっても、決して仲良くはなれないだろう、という予感がした。
「メンバーを紹介するよ」
 店長のその声で妙な緊張が緩み、俺は視線を外した。ソファに腰掛けた店長が手招きして俺を呼んでいる。
 すると、何を思ったのか、金髪野郎が足早に歩み寄ってきて俺の前に立ちふさがった。
 なんだ、こいつ……?
 驚いて睨みつけると、奴は偽善的な笑みを浮かべて俺を見下ろした。俺だって背はそれほど低くはないが、奴の身長は百八十センチを超えているのだろう、俺の顔は上を向いている。
 背と同じくデカイ態度を取られて、不快感を押しのけて胸の奥から怒りが湧きそうになった時、
「どうも」と丁寧すぎるほどはっきりした口調で奴が言った。「浮船澄水人(うきふねすみと)です」
「…………!!」
 心臓が爆発しそうになり、バンッと音がして激痛が走ったが、それはショックのあまり立ちくらみがして壁に頭をぶつけてしまったせいだ。目の前に星が飛び散り、真っ白になっていく頭の中で、思わず呟いた言葉が耳鳴りと重なった。
「す…み…と…ウゲェッ」
 吐きそうになって喉が詰まり、身体が傾くのを感じても、伸ばした手はどこにもつかまる所のない壁を伝うだけだった。倒れる…と思ったが、誰かに抱きとめられ、目の前には金髪に縁取られた奴の顔があった。
「……お、おまえ、うっ!?」
 突然口を塞がれた。それも、頭を抱え込まれ、奴の胸に顔を埋めるような格好で…。振りほどこうとして暴れた腕をきつく掴まれ、肩は奴の脇にしっかりと挟まれている。奴は、俺が反撃に出る前に素早く耳元で囁いた。
「騒がないで下さい。僕たちのこと、バレてもいいんですか?」
 それは耳から身体中が凍りつくような脅し文句だった。そして、俺が二年前に浮船澄水人という一つ年下の下級生と付き合っていた頃の後悔にまみれた思い出の再生スイッチが『ON』にされた瞬間だった。
 心臓は、嘘だ…嘘だ…と跳ね上がり、吐き気がひどくなっていく。薄手のセーターの上からでもわかる奴の乳首のリングがこめかみに当たって余計に気持ちが悪い。
「どっ、どぅぉしたんだ雨龍君はっ?」店長が裏返った声で叫ぶ。
「気持ちが悪いそうですよ…」頭の上から、本当に心配しているかのような奴の声がした。「僕がトイレに連れて行きます」
「あ、ああ、頼む」
 勝手に俺のことを頼むな、店長──ッ!!
「うううっ!!(助けてくれえッ!!)」
「駄目ですよ、ここで吐いちゃ」
 また一段と強く口を押さえられた。誰も奴の芝居だと気づいてくれない。俺は呻き声しか出せずに、決めワザをかけられたままズルズルと引きずられた。奴から離れようとしてもがくたびに抱え直されて両足が浮きそうになる。
 こんなバカなことがあってたまるか、こいつは俺の知ってる澄水人じゃない!
 俺はこれからどうなるんだ──ッ!?
 不安と後悔が毒のように身体中を巡った。


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