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IN
GLOVE

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Marin's Note
Web拍手


     
09.

 眩しい光がすべてを包んで消していく。
 輪が狭まるように視界は端から白くぼやけ、一番最後に輪の中で消えたのは、ずっと凝視していた銃だ。
 完全に遮られた視界は同時に光を失った。
 俺に見えているのは闇ではなく、夕陽が影って血を薄めたようなオレンジ色だけだ。途端に襲ってくる漠然とした不安──。いつになったら、この不安から逃げられるんだろう?
 もしかしたら、俺の方が澄水人に撃たれてしまったのかもしれない。浮遊感は全くない。身体は引っ張られているみたいに重く、身動きできない。足に錘をつけられて、海の底に沈んでいくみたいだ。
 不意に、バイクのエンジン音を聞いた気がした。
 再び静寂が訪れると、渦を巻くように時間の観念が生まれて、俺はゆっくりと目を開けた。
 薄闇に包まれた部屋の天井が見えて、雨音が聞こえる。それは頭の中に少しずつ侵入し、目覚めたばかりの現実に染み込んでいった。
 俺は、生きてる──。
 自分のこめかみをブチ抜いた澄水人は、どうなった──!?
 弾かれたように上半身を起こすと、恐る恐る首を突き出して床を見た。
 血を流して倒れている澄水人の姿はどこにも無い。絨毯の上には血の染みすらなかった。
 昨日の夜、この絨毯は敷いてあっただろうか、それとも無かっただろうか? …覚えていない。
 でも、夢じゃなかったはずだ。それともまだ夢の続きを見てるのか?
 頬をつねってみた。
 それで、ようやく目が覚めた……わけじゃなくて、痛かった。
「くっそおぉぉぉぉぉっ! 何がどうなってんだよ!? 全ーっ然、わっかんねぇよっ!!」
 俺は全裸でバカでかいベッドの上にいる。両手首は縛られたまま、足首にはしっかりと輪が填まっていて、鎖に繋がれている。
 チョコレートブラウン色の木の壁に囲まれたこの部屋は、俺の住んでいるアパートの倍以上は広い。足元の壁にはボードがあって、オーディオ類があるけれど、時間表示のディスプレイは布に隠れている。
 頭を巡らせると、一対のガラススタンドがベッドの左右にある。これは見覚えがある。天使の写真立てもチェストも覚えている。
 銃と朝食のトレイだけがない。チェストの引出を不自由な両手で開けてみたが、何も入ってない。
 左の壁には灰色の空の見える窓。右の壁にはドアと、大きくて古そうなドレッサー。その椅子には、俺のアーミーコートとジーンズが無造作にかけてあった。ドレッサーとドアの間には更に四枚の扉がある。出入り口ではなくて、多分、クローゼットになっているんだろう。
 時間をさかのぼるうちに、最後に聞いた澄水人のセリフを思い出して心臓が引きつった。
『僕がどんなに願っても、愛してくれないんですね……』
 俺が殺してしまったのか? 澄水人を拒絶したから…?
 今すぐこの部屋を出て、澄水人を探しに行こう。いつまでも不安に感じているより、現実と直面するべきだ。たとえ澄水人がどんな姿になっていても……。俺は手首に巻かれているベルトを噛んで引っ張った。
 ようやく解けた革のベルトには、歯型がいっぱいついてしまっている。
「これ、お気に入りだったのにな、くそっ」
 手首が痺れてあまり力が入らない。
 あらためて足首の輪や鎖を確かめると、少し違和感があった。四メートルぐらいの長さの鎖の先には同じような輪があって、ベッドの足の部分に繋がれていた。この長さなら、充分ベッドの横のチェストの上の物だって取れる。それなのに昨日は、チェストの前に立つ澄水人にすら届かなかった。
 やっぱり、取り替えられてる。鎖の輪ももっと小さかった記憶がある。長くなった分だけ、鎖も大きくて丈夫なものに替えられたんだ──。
 輪から足を抜くことはできない。鍵穴みたいなものがあるから、鍵がないと外れないんだろう。輪も太い鎖も、どんなに引っ張ってもちぎれない。ベッドから降りてみたけれど、部屋が広すぎるせいで、手を伸ばしても窓やドアに触ることはできなかった。
 ベッドごと引きずろうとしても、ベッドは重すぎて数センチも動かせない。ベッドを分解することを思いついて這いつくばって構造を調べ、愕然とした。ネジが一つもない。鉄のバラで飾られたベッドは、接合部分がすべて溶接されていて、たとえ工具セットがあっても何の役にも立たない。
 俺はイライラしながら鎖が伸びて行けるところまでウロウロしていたが、チェストの後ろにもう一枚ドアがあるのに気づいた。
 今まで、この部屋に出入りするドアは一枚しかないと思い込んでいたのは迂闊だった。
 繋がれていても十分たどり着けるそのドアを、まだしびれている手で開けると、中はバスルームになっていた。正面と横の壁がガラス張りになっていて、こんもりと茂って連なる木々や空が見える。誰か歩いていないだろうか、誰か俺に気づいてくれないだろうかと随分長い間、目を凝らして外を眺めていたが、人の気配は全くなく、がっかりして再びバスルームの観察に戻った。洗面台と、大人二人が身体を伸ばして入れるような大きい浴槽、その横にある便器は真新しい感じがして、古い家の一角を改装したような感じだった。
 洗面台の鏡に映る自分の顔は、俺が思っていたより、かなり憔悴していた。
 俺はじっと自分を見つめていたが、バカそのものに見えてきて顔をそむけた。
 視線の先の便器を見て、もしかして長い鎖に取り替えたのは、便器に座って用を足せるようにとの配慮からだろうか、と思いついた。試してみると、鎖の長さにはまだ少し余裕があって、ちゃんと座れた。なるほど、澄水人は俺にベッドルームを汚されたくなかったらしい。
 俺だって、ベッドや絨毯の上に糞尿なんか撒き散らしたくねぇよ……。
 ベッドルームに戻り、食料はあるのかと探してみたが、どこにも見当たらない。まだそれほど腹は減ってないが、そのうち空腹を感じるだろう。
 澄水人の死体はどこに消えたんだ?
 誰が鎖を取り替えたんだ?
「こんなことってアリかよ…?」
 この部屋に誰かがやって来る気配はない。相変わらず静寂があるだけだ。俺はここで、餓死するのか? しかも全裸!?
 ピークエクスペリエンスの店長も、ヴェルベット・ブレスのベースとドラムスの奴も、俺が澄水人と一緒に帰ったことを知っている。けれども、ここまで訊ねて来てくれる確率はかなり低い。
 何から考えればいいのか、まるでわからない。
 ガチャガチャというより、キンキンと音を立てる鎖の音が余計に苛立たしい。怒りがこみあげてきて、自分ではどうしようもなかった。
「あああああああッ」と溜め息代わりに吠えて歩くのをやめると、チェストの上のスタンドを掴んでドアに投げつけた。
 静寂を破る音がして、色とりどりのガラスの破片が床の上で砕けた宝石みたいに散らばった。
 こんな現実なんて、同じように砕けてしまえばいい。
 一体、これからどうすりゃいいんだ──?
 その時、控えめなノックの音がして、驚いて視線を上げた俺は叫びそうになった。
 知らない男がゆっくりと開いたドアから、半分だけ顔を出してこちらを覗いている。
 怪奇現象かと思ったが、男はごく自然な調子で、
「怪我は……なかったようですね」と言った。
 全裸で鎖に繋がれている俺を見ても顔色一つ変えずにドアを大きく開くと、男は部屋に入ってきて、骨だけになったようなスタンドの本体や足許に散らばったガラスの破片を手際よく拾い集め、用意していたビニール袋の中に詰めている。
 全裸だろうと、男が何者だろうと、この際関係なかった。
「こっ、これ、外してくれっ!!」
 駆け寄って叫んでも、男はもう二度と俺の方を見ようとはしなかった。沈黙を決め込んで、取り出したハンドクリーナーで床を掃除しはじめている。
「おいコラ何とか言えっ! のんきに掃除してんじゃねぇよっ、外してくれって!!」
 男は俺を無視し続け、やがて作業がすんだという感じで部屋を出て行こうとした。
「待てよっ!!」追いかけようとして鎖に足を引っ張られ、床に叩きつけられた。「くそっ、いってぇ…、バカやろー……」
 怒りに支配されて、もう一つのスタンドも投げつけてやろうと掴むと、背後から男の腕が伸びて俺の手を押さえた。
「おやめなさい!! それは奥様が大事になさっていた…」
「うるせぇっ!!」
 全身が筋肉の塊みたいな男と寝技の取っ組み合いになって、俺は無我夢中で足の鎖を相手の首に巻きつけた。
「おいっ、鍵はどこだっ!?」
「…か…ぎ?」
「この足のだよっ!」
「…知りません…」
「嘘つけっ!!」
 男は信じられない力で首の鎖をゆるめていき、あっと言う間に俺から離れてしまった。
 俺だけが、床に座って肩で息をしている。その肩に、何かがかけられ、身体を包まれた。
 布はベッドシーツだった。男が気を使ってくれたらしいが、何も言う気はない。男は味方じゃないからだ。
「……このまま、澄水人さんの言いなりになって下さい」
 ぼそりと男が言った。
「はあぁっ!? 何ィ!?」
 目をむいて見上げると、男の哀れむような眼差しにぶつかった。喉元を押さえているが、怒りもしていない様子で、一体なぜなのかがわからない。
「…何で、俺がっ…!?」
「あなたがこの別荘にいる間は、澄水人さんもおとなしくしているでしょうから…。あの一族に関わらない方が澄水人さんの為なんです」
「何言ってんだ、あんた!? 別荘とか一族とか、全然話が見えねぇんだよっ!」
 わずかに驚いた男が無表情を崩した。
「あなたは……何も知らないんですか?」
「何をだっ!? たとえ知ってたとしてもなぁ、俺には関係ねぇよっ!! 早くこれを外してくれっ、頼む、澄水人は狂ってる、いつか殺される!! 帰りたい、もう一度、家族に会いたい!!」
 目の前に母親の顔がチラついた。ずっと会ってないし、電話もしていないけれど、こんなに会いたいと思ったのは初めてだ。オヤジはどうしてるだろう? こんな場所で、こんな格好で死にたくない。
 男は屈むと、死んでしまった動物を哀れむように俺の鎖を見つめた。二十五、六歳ぐらいだろうか、整った顔はすごく疲れている。けれど、男は決して輪を外そうとはしなかった。その目は俺を哀れんでいない、そう思った。理由はわからないが、澄水人を哀れんで、澄水人のために俺を逃がそうとしないのだ。
「この別荘は…」
 静かに男が話を切り出したとき、
「離れろ番犬」と、背後から声が飛んだ。
 ぎょっとして振り返ると、澄水人が男を睨みつけながら部屋に入ってくるところで、俺は幽霊じゃないかと目を擦った。
 黒いライダースジャケットにユニオンジャック模様のニットセーターを着ていて、七色のペンキをぶちまけたような模様のジーンズをはいている。このセンスの無さは、まさしく澄水人だ……。
 生きてたんだ! …と安堵感が込み上げてきたのも束の間、澄水人は俺の側で屈んでいる男の顔をいきなり蹴り上げた。
「うっわぁぁぁっ!! 澄水人っ!?」
 叫んだきり、俺は動けなかった。続けざまに足裏を男の身体にめり込ませている澄水人の狂態に身体が固まっていた。
 何が気に食わないのか知らないが、こんなに怒り狂うのは機嫌が悪いというよりも、脳味噌の具合が悪いからだ。
 男の口の端から赤いヨダレが流れ、鼻血が顔に広がると、俺は呪縛を解かれたようにシーツを払いのけ、澄水人の足にしがみついた。
「やめろよっ! 内臓破裂で死んじまうじゃねぇかっ!!」
 澄水人はようやく動きを止めた。男は逃げようともしないで、頭を腕でかばいながら身体を縮めて床に寝転がっている。澄水人より身体もデカくて力もありそうなのに、なんで無抵抗でいるんだろう?
「心配なんかしなくていいですよ、先輩。この番犬は簡単に死にはしない。いつまでも死人の為に筋トレしやがって、どれだけ筋肉つけるつもりだよ? ああ? 番犬が!!」
 俺と男の両方に話しかけているらしいが、澄水人の言っている事は全然理解できない。
「今度近づいたら生きたまま手足バラバラにしてケツの穴にナイフ突っ込んでえぐり取ってやる○○○切り取って口にも突っ込んでやる喉切り裂いてそこから手を突っ込んでネクタイみたいに舌を引きずり出してやるからなこの番犬ッ!!」
 澄水人は俺をしがみつかせたままワンブレスで言ってのけた。あのおとなしかった澄水人が暴力をふるった上に汚い言葉で罵るのを初めて聞いて唖然としていたが、その内容に戦慄が走り、俺はとんでもない奴にしがみついている手を放してケツで後退った。
 男が俺の側にいた──たったそれだけの理由で、こんな酷い暴行を加えるなんて……。俺はこのキチガイに監禁されている。罵りの言葉みたいな行為をいつ受けるとも限らない。
 拳で顔面の血を拭いながら、男はゆらゆらと立ち上がった。
「この部屋には二度と入るな」
 落ち着きを取り戻した澄水人は念を押すように言うと、ライダースジャケットの内側から書類袋のようなものを取り出して男に素早く渡した。
 縦に丸めてあるその袋に、『探偵事務所』の印刷文字があったのを俺は見逃さなかった。
 出かける用事とか言ってたのは、また俺のことを調べるためだったのか? 袋の中味は何かの報告書だろうか? 澄水人は何を考えてるんだろう……。
「番犬は番犬らしく部屋の外をウロついてろ。わかったら出ていけ」
 面と向かって番犬呼ばわりされても、男は不満の色すら見せない。律儀にガラスの破片を集めて入れた袋とハンドクリーナーを手にして、黙って部屋を出て行った。ドアを閉めながら、じっと俺の方を見ている。そのドアを思い切り澄水人が蹴って、部屋から乱暴に男を追い出した。


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