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Marin's Note
Web拍手


     
15.

 男はしばらく待ってから言葉を続けた。
「どうしても澄水人さんにお会いしたいそうです。五分でいいから、挨拶しに出てらっしゃい。それさえ済ませていただければ、あとは私が引き受けますから。それから、温室に入る許可が欲しいそうですが、どうしますか?」
 身体を離した澄水人は顔にかかる髪をかき上げながら、
「今日だったのか……」と呟いた。床に座り込んだまま何かを考えているらしく、軽く曲げた人差し指を唇に当てていた。そして、いきなり俺を見つめ、両手で俺の顔を掴んだ。
「な…、なんだっ…!?」
 叫んだ唇はキスで塞がれた。
 少しだけ顔を離した澄水人が、
「すぐ戻ってくるから、待ってて」と、懇願する口調とは裏腹に、睨みつけながら言った。
 俺は黙って答えない。
 澄水人は指先で俺の唇をなぞった。
「良くない態度ですね。門まで辿り着けたとしても、どうせ門は閉まってるし、塀も乗り越えられませんよ。上には高圧電流が流れてますからね」
「何だ…それ!?」
 ここはどこの国だ? 収容所か!? 敷地内から逃げ出すのは不可能だから、俺を鎖に繋がないまま庭を連れ歩いたのか?
「半信半疑って顔してますね。母親が異常に怖がりだったので防犯対策が厳重なんですよ。今でもシステムはそのままです。番犬だけはあの男一匹に減りましたけどね」
 皮肉っぽく笑う澄水人の口の端が歪んでいて、本当にあの男が嫌いなんだと思った。その時、また男の声がした。
「澄水人さん?」
「うるさいっ、聞こえてる!」
 外に向かって怒鳴った澄水人は立ち上がり、床に脱ぎ捨た服を拾った。そして手早く着てしまうとフェイクファーを掴んで俺に差し出し、「先輩も着て。前をちゃんと合わせて肌が見えないようにして」と命令した。
「言われなくても着るよ、側にあの男の人がいる…ん…」
 最後の言葉が消えたのは、いきなり押さえ込まれるように抱きしめられ、もう一度キスされたからだ。唇を離した澄水人の顔は、演技かと思うほど悲しそうだった。
「先輩…、勝手にいなくならいでね……」
 視線だけでも充分重たいと感じるほどすがりつかれて、その悲壮感に皮肉も言い返せなかった。
 じゃあ何を言おう──?
 頭の中で言葉を捜していると、澄水人は無言で身体を離し、温室の出口へと歩いて行った。ドアの開く音と、
「中にいるから見張ってて」と冷たく命令する澄水人の声が聞こえた。
 さっきのあの悲しい顔はやっぱり演技かよ!? また騙された──。
 見張るのは…あの男か? 温室の外に立っていた男の睨むような目つきを思い出す。あの目は相当怒っていた。身構えていると案の定、男はあの怒りの面持ちのまま現れた。咄嗟にヤバイと感じて腰を浮かすと、男は側に来て立ったまま、手にしていた紙袋を逆さにして中身をぶちまけた。
「早くこれを着て」と男が入り口の方を見ながら言う。
 床の上には靴や服が床に上に散らばっている
「これ…何? 逃がしてくれるの?」
 見上げると、男は短く頷いて「早く」ともう一度言い、背中を向けた。
 どういうつもりなのか知らないが、俺はあわてて服をつまみ上げ、素肌にジーンズとTシャツ、パーカーを着て、靴を履き、コートをはおった。誰のものかわからないけれど、地味な色と柄からすると澄水人の私服ではないだろう。
「一番よく切れるカービングナイフが無くなっていたから、まさかとは思っていたが…」と男は背を向けたままで言った。独り言なのか、俺を非難しているのか、わからない。俺は応えようが無かった。
「着たよ」と俺がすまなさそうに言うと、男はすぐに振り向き、「こっちへ」と手招きして先を歩き出した。本当に逃がしてくれるつもりなんだろうか? 数歩の距離をおいて男の後に続くと、男はガラス扉を開けて俺を待っていた。
「君と澄水人さんは、離れた方がいい」
「そんなこと、よくわかってるよ」
 澄水人は俺を放さない。俺は澄水人を殺してしまうかもしれない。だからあんなに逃がしてくれって頼んだじゃねぇかよ……、そう思いながら男を睨むと、男は視線を外して小さな溜息をついた。
「でも…君は……、いずれ戻ってくるかもしれない…」
「……? どういう意味?」
「…いや、戻ってこないかもしれないな…」
 また独り言のように呟いて、男は視線を素早く外に向けた。
「ここを出て左に行くと塀に突き当たります。乗り越えるのは無謀ですから、塀に沿って右へ行きなさい。門は開けておきます、そこから外へ出なさい。憶えましたか?」
 指を差して確認しながら、俺は頷く。
「門を出てアスファルトの道を下って、川沿いの大きな道に出たら左に行きなさい。最初の橋を渡って細い道に出ると、すぐに駅があります。小さな無人駅です、電車が来るまで用心して隠れていた方がいい」
 話を聞きながら、心臓がもう苦しくなっている。こんな状態で駅まで辿り着けるだろうか……。
「三十分だけ澄水人さんを引き止めておきます」
 男のその言葉に、俺は更に不安になった。
「……どうやって? あんた、また殴られるんじゃ…?」
「大丈夫。私はそのために鍛えていますから」と男は大真面目な調子で言った。「走れますか? ここには自転車がないし、私の車も出してあげられないけど…」
「いいよ、感謝してる」
 俺は男を見上げて言った。
「ああ、それから。これを持っていきなさい」
 差し出された男の掌には一万円札が四枚と、小銭がのっている。一瞬ためらったあと、俺は「すみません…」と頭を下げてそれを受け取った。
「返してくれても、くれなくても、どっちでもいいから」と少しだけ口元を緩めて笑った男が、すぐに真顔になった。
「澄水人さんはあなたの家を知ってますよ」
「とりあえず、しばらくの間、誰かの家に泊めてもらう」
 最初に頭に浮かんだのは母親の家だった。母親に連絡を取ろう。
「何処へも寄らず、一度家へ帰りなさい」
「そうするつもりだよ、着替えも持っていきたいし。どうして?」
「帰れば、私の言った意味もわかるから」
「……?」
 答える気がないのは見て取れた。訊き返すのは時間の無駄だ。もう一つだけ気になっていたことを口にしてみた。
「庭にあった墓は、澄水人の母親の…?」
 意外なことを訊かれて驚いたというように男は目を見張り、「そうです」と力の無い声で答えた。
「さあ、もう行きなさい」
 俺は男の手に背中を押されて温室を飛び出した。
 逃げよう──、絶対に逃げ切ってやる──。
 振り返らずに走り、やがて男の言っていた塀が見えた。二メートルほどの高さのある塀の側まで行きチラリと見上げると、澄水人の言った通り電線らしいものが張られている。塀に沿ってまた走り、見覚えのあるガーゴイルと建物が現れた。あたりを見回したが、人の気配は無い。澄水人は家の中にいるのだろうか、ふと覗いた窓から俺の姿を見つけないだろうか……。苦しくなる胸に手をあてて、深呼吸したあと、俺がここに来た夜にタクシーが消えたアスファルトの道をひたすら走った。
 山の中を抜け、やがて大きな道に出た。道に沿って幅の広い緑色の川が流れている。走りながら、後ろから車の音がするたびにビクついて振り返ったが、それもニ、三回のことだった。夜明け頃という時間のせいか今は交通量が少ない。周りは山しかなく、男が教えてくれた駅は、すぐに見つかった。むき出しになった山の岩肌に乗せられたみたいに小さい駅だ。驚いたことに、以前俺が住んでいた家の近くから、たった一駅しか離れていない。いつも利用していた駅から一区先に進んだだけで、こんなに風景が変わるなんて思ってもいなかった。もともと、住んでいたのは山を開発してできた住宅街だったから、近くに山があってもおかしくはない。
 細い道の右側にはジュースの自販機と店らしいものがあるが早朝だからか閉まっている。その建物の壁には“きっぷうりば”と書いてあった。ターミナルも無ければ近くにタクシーも停まっていない。男の言った無人駅という言葉を思い出した。駅の上りホームへ行くには道の左側にある長い階段を登らなければならないらしく、俺は用心してパーカーのフードを深く被った。
 誰とも会わずに、しばらく登っていくと正面に乗車駅証明発書行機があって、ボタンを押すと「ありがとうございました」という声が流れて証明書が出て来た。それをジーンズのポケットにねじ込み、上りホームへと急ぐ。
 ホームに出ると急に視界が開けて、目の前には山が聳え、その裾に添ってアスファルトの道が一本伸びていた。さっき自分が走ってきた道だ。さらにその下は崖になっていて、幅の広い川が轟々と音を立てて流れ、道と駅を結ぶ橋がかかっている。
 俺は息を詰めて柱の影にしゃがみこみ、隠れながら電車を待つ。電車はいつ来るのだろう? 遅れたりしなければいい……。一分一秒がとても長く感じる。
 澄水人は今頃……俺が逃げたと気づいただろうか? 男は殴られていないだろうか? 
 ベルが鳴り、ホームに電車が入ってきた。俺は何度も辺りを見回した。澄水人は追いかけて来ない。目の前で扉が開き、乗り込んですぐに振り向き、ホームに澄水人の姿が無いか探した。発車のベルが途切れ、扉が閉まって電車が動き始めたとき、大きな溜息が漏れた。身体の力が抜けそうになる。車内を見渡すと、老人やサラリーマンらしき人が数人座っているだけで、皆まだ眠たいのか目を閉じてじっとしている。俺はドアに近い席に座った。
 逃がしてくれた男は、どうなっただろう? 流れる景色を目で追いながら、男が殴られていないことを祈るしかできなかった。これからどうするのか、自分のことも考えなければいけない。
 以前利用していた駅に到着して、やっと日常に近づけた気がした。終点まで、あと八区もある。二十分はかかるだろう。今ごろ澄水人は俺を追いかけて、あのアスファルトの道を走っているかもしれない。
 車内はずいぶん混んできた。旅行用のケースを持っている人もたくさんいる。終点駅で新幹線に乗り換えるんだろう。俺は、楽しそうに喋っている家族たちから目をそらした。
 駅についたら、家に帰って、荷物をまとめて…、母親への連絡は、いつ取ろう…?
 額をくっつけて眺めていた窓の景色が、だんだんと見慣れたビル街になっていく。俺の家のある街だ。
 母親のところへ行って、バイトを探して……そして、金を作ったら…、澄水人に返そう。どのくらいの期間がかかるだろう? せっかく受かった公立高校だけど、いっそのこと辞めて働こうか? それとも、もっと学費の安い学校の編入試験を受けようか……。
 また、引っ越しかな…。
 澄水人……ごめん。
 二年前と同じだ。サヨナラが言えなかった。
 終点駅に着き、ゆっくりと電車が止まる。人の波に押されてながら改札口で証明書を出して料金を払うと、俺は地下街を一気に駆け抜けた。ビルに連結する通路に入り、階段を登って地上に出て、見慣れた店を横目に並木道を走る。家の裏の空き地に建った高層マンションが見えてきた。
 もうすぐ。あの角を曲がればアパートがある。俺の家だ。自分の家に帰るだけなのに、こんなに嬉しい。すぐに荷物をまとめて飛び出さなきゃならないのが残念だけど。
「あれ?」
 角を曲がると同時に、俺はその場に立ち尽くした。そして、何度も目を擦って、悲鳴を上げた。
「うっそだろおおおおっーーーーーっ!! 俺の家があああああっ!?」


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