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Marin's Note
Web拍手


     
03.

 澄水人と一緒におぼつかない足取りでタクシーに乗り込んだ俺を、店長と残りのメンバーが心配そうに見送ってくれた。「これ使え」と店長が澄水人に金を渡している。その後ろから覗き込むようにして、ベースの奴が、
「雨龍さん、大丈夫なの?」と泣きそうな顔をして俺を見ている。
 無理遣り口の端を上げて笑ってみせると、少し安堵した表情になったが、泣きそうな目は変わらない。黒目がちの、人懐っこい大きな瞳。他人のことなのに、そんな表情をするなんて、よほど優しい性格らしい。
 俺の過去を知ったら……俺が澄水人にしたことを知ったら同じ目をして俺を見てくれやしないだろう。店長もドラムスの奴も、きっと俺を軽蔑するに違いない。
 この三人に澄水人との関係や過去をバラしてまで助けを求める勇気はない。今更のように、過去への後悔に顔が歪む。
「それじゃ、また…」と腰をかがめたドラムスの奴が、挨拶代わりに手を上げた。手首にはリストバンドがはめられていて、その下から傷跡が見えている。
 リストカットでもしたんだろうか? ドラムスの奴が、バツが悪そうにリストバンドをはめ直しているのを見て、凝視してしまったことに気づき、俺は「別にそれを何とも思わないよ」という表情をわざと作ってみせた。
 はっきりと断言できないけれど、残りのメンバーも少し変わってる……。
 今夜は帰りが少し遅くなる──そう諦めて、シートに身体を埋めた。
 澄水人が返してほしいものとは、おそらくは金で、これから向かう家でその相談をするに違いない。
 俺のした事は澄水人の家族にもバレてるんだろうか。
 だとしたら、俺はまるで有罪判決を受ける為に家に向かっている。家族に囲まれて責められたら、言い訳なんてきっとできない。こうなったら覚悟して、澄水人の両親にも謝りまくるしかない。
 走り出したタクシーの車内では、俺も澄水人も無言だった。タクシーの運転手さんも、気まずい雰囲気を察したのか何も喋りかけてこなかった。
 俺は澄水人から顔を背け、これからどういう事になるのだろうと漠然と考えながら、窓の外の流れる景色を見ていた。ビル街の中にあるピークエクスペリエンスを出てからずっと歩行者や車、ウィンドウのディスプレイをぼんやり眺めていたが、突然、ビルの谷間から夕陽が覗いて目を見張った。
 空は曇っていて一面灰色だというのに、太陽だけが嘘のように赤く輝いている。それは血を滲ませたような、この世のものとは思えない気色の悪さだ。
 澄水人と再会した今日という日に、今まで目にしたことのない太陽を見た事が、未知の恐怖と結びついた。不吉な兆しの現れに、俺の中の何かが危険だと知らせている。
 今なら、まだタクシーを降りることができる。
 面倒臭い事など、また何もかも放り出して逃げてしまえばいい。 
 そんな考えが頭に浮かび、溜め息が出た。また同じ事の繰り返しになるだけだ。澄水人と夕陽という二つの見たくないものに左右から挟まれた俺は目を瞑った。話し合いから逃げるべきではない、と自分に言い聞かせた。
「先輩…」と澄水人が話し掛けてきたが、俺は寝たふりをして無視した。疲れている。体調は最悪だ。早く自分の家に帰って、布団の中で眠りたい。
 肩を揺すられて起きるとタクシーは停車していて、ルームライトの下で澄水人が支払いをしている最中だった。いつの間に眠ってしまったのか、寝呆け眼のまま澄水人に腕を引っ張られて降り、辺りを見回すと一気に眠気がフッ飛んだ。
 降り立った場所には門も塀も無く、森林公園かと思うほどの広い草地に古びた洋館が建っているだけで、周囲は鬱蒼とした森に囲まれていた。草地の所々に何やら白い墓石のようなものがある。よく見るとそれは嘴や羽を持つ怪物の形をした不気味なガーゴイルの石像だった。庭園灯に照らされて身を縮め、じっとしているが、何かの弾みで魔法が解けて今にも動き出しそうな感じがする。小雨の降りだした空の端に黒く横たわる森は、ずっと奥まで続いているらしく、どこにも隣家の明かりが見あたらない。
「ど……こ…だよ、ここは…!?」
「僕の家」
「フザケるなっ、ハメやがったなっ!!」
 危険を感じて再びタクシーに乗ろうとしたが、すでに閉まっているドアを叩く前に発車してしまった。暗闇に向かって道路が一本だけ伸びていて、赤いテールランプがあっという間に小さくなっていく。それでも追いかけようとすると、澄水人に肩を掴まれた。
「放せっ!!」
 澄水人の顔面めがけて繰り出した拳は、いとも簡単に奴の手中に捕らえられた。
「危ないな。もう少しで当たるところだったじゃないですか」
 鼻先で受け止めた拳を掴んだまま、澄水人はその位置をずらしてキツイ目で俺を見た。
「僕が多人数で先輩を襲うような卑怯者に見えますか?」
「充分見える」
 奴の手を振り解き、辺りを警戒して素早く視線を走らせる。人影や気配は無いが、言葉だけで安心できるはずもない。
「おまえは信用できない。こっそり酒を飲ませるような奴は、特にな」
「せっかく再会できたのに、他人を交えて話をするつもりはありません」
 澄水人の言葉には果汁のようにベタつく嫌らしさがあった。この場所に二人きりというのは本当でも、それはまた同時に別の警戒をしなければならないということだ。
 俺は何時間眠っていたのだろう? 暗さにイラつきながら腕時計を見たが、ピークエクスペリエンスを出てから一時間しか経っていない。飛行機で移動したわけでもないのに、どうしてこんな山ン中に居るんだ?
「ここから一番近い駅は何処だよ?」
「来たばかりなのに、もう帰りの心配をしてるんですか?」
 澄水人は取り合おうとはせず、洋館を見上げた。
 窓の明かりは消えていて、人を寄せつけない幽霊屋敷のようだ。本当にこれが澄水人の家なのだろうかと考え、推測しても無駄だと気づいた。俺は澄水人の事を何も知っちゃいない。家族構成も交遊関係も、どこに住んでいるのかも…。
 俺は今夜、決定的なミスを犯したのだと悟った。自分の現在位置が確認できない。
 降りだした雨が頬を打ち始め、冷たい風が草木を騒めかせた。近くに車道がないのか車の通る音は聞こえず、いくら耳を研ぎ澄ませても遠雷が鳴っているだけだ。風の音が段々と激しくなって、耳に当たるその音だけでもうるさい。
 こんな淋しい場所で悲鳴を上げても誰の耳にも届かないだろう……。
 それまで一歩も踏み出せなかった俺の足は闇に消えたタクシーを追いかけようと地面を蹴った。
「また約束を破る気ですか」
 背後から低い声が飛び、振り返ると、開いた玄関の扉から漏れる明かりを背にして澄水人が立っていた。その姿は悪い夢に迷い込んで出会った魔物のようで、髪は風をはらんで逆立っているが、着ている服はハタめきもしていない。俺は足がすくみ、ますます不吉な予感に怯えた。夕陽を見たときに感じる不安が胸に押し寄せてきている。タクシーの中で感じた不吉さも恐怖も危険も、すべてはこの事だったのか。洋館の中に入ったら二度と出られないかもしれない、その考えがほとんど確信に思えてきて、俺は本気で恐れた。
「俺……出直すわ、明日にでも」
 少しずつ後ろに下がり、逃げ出すタイミングをはかった。足元の草が濡れていて、何度も滑りそうになる。
「二年前と少しも変わっていませんね。その性格は直した方がいいですよ、先輩。さあ、戻って」
 澄水人が手を差しのべながら、ゆっくりと近づいてくる。右手に何かを握っているが、よく見えない。空に雷光が走り、澄水人の姿とその手に握られていた銃が闇に浮かび上がった。
「何だそれ? どういうつもりだ」
 俺は顔がひきつるのを感じた。澄水人は黙っていて、歩調を変えずにこちらに向かってくる。
 逃げ出したなら、今は地面を向いている銃口が俺を狙うだろう。幼稚な脅しとわかっていてもモデルガンを突きつけられるのはいい気分じゃない。けれども、そんなことに構っている暇はない。
「じゃあな」
 俺は澄水人を見据えて吐き捨てた。
「逃げないで下さい。脚を撃ちます」
 妙に強ばった顔をした澄水人が俺の三メートルほど先で立ちどまった。
「いや、……俺は帰る」
 互いに睨み合い、俺が身体を翻そうと僅かに動いた時、澄水人は腕を横に伸ばした。横を向いた奴の視線と銃口の先に石像がある。同時に大地を揺るがすほどの雷鳴とパンッと乾いた音が轟き、雷光の中で一瞬にして石像の頭部が砕け散った。
 何が起こったのか理解できなかった。形あるものが跡形もなく粉々に消えた。首から下だけを残して。
 近づいた澄水人から花火や爆竹とは違う匂いがする。その時初めて、銃は本物で、頭を失った石像とまだ五体満足な俺の運命は、澄水人の選択によって簡単に振り分けられただけだと解かった。
 身体が小刻みに震え、俺の意思ではそれを止められなかった。大きな禍が口を開けて俺を飲み込もうとしている。
 澄水人は銃を持った腕を俺の首に巻きつけ、耳たぶに唇を押しつけながら甘い声で囁いた。
「ねえ、先輩。あんなふうに頭がフッ飛んだら話もできなくなってしまう。僕はゆっくり先輩と話がしたいいんです」
 俺は何も喋れない。否定も肯定もできなくなってしまった。
「あまり逆らうと、可愛く無くなってしまう。殺したくなる」
 澄水人はそう言って俺の耳たぶを軽く噛んだ。弄ぶように何度も噛んでは引っ張り、時々、ほんの少し歯に力を加えたりする。このまま食い千切られるかもしれない。それとも今度こそ撃たれる?
 硬直している俺に、奴は掠れた甘ったるい声で囁いた。
「再会を祝しましょう。二人きりで」


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