EPISODE1. 転校生
ラッキーランド女学園。
19世紀からの伝統と格式を誇る中高一貫ミッション系女学校。
野薔薇の咲く丘の上、白亜の城のように気高くそびえる校舎に集う乙女達。
この花園では何もかもが美しい、たとえそれが罪や悪徳であったとしても。
今また、ひとりの少女が学園の門をくぐり、彼女の物語が始まった。
◆
担任の川尻先生に連れられ、教室に入ってきた季節外れの転校生はクラス中の注目を浴びた。
彼女は下ろしたての制服に華奢な身体を包み、少年のように短い髪が小さな顔を引き立てていた。
名前はトリッシュ・ウナ、父の仕事の都合で元いたネアポリス中学から転校してきた――との紹介に
机の間をひそひそと私語が飛び交う。
(かわいい子じゃない?)
(ずいぶん遠い所から来たのね)
簡単な自己紹介を終えたトリッシュは、クラス委員長のルーシーの隣の席を勧められた。
急な転校でまだ教科書が揃っていないための措置で、事前に担任から聞かされていたので
ルーシーは特に驚きもせず、よろしくねとにっこり会釈した。
トリッシュも少し緊張した面持ちで微笑み返す。
来訪者への興味と期待をはらんだ空気の中、一日が始まった。
◆
休み時間の教室は、小鳥のおしゃべりのような騒ぎで満たされていた。
転校生への質問攻めに加え、トリッシュは新しいクラスメイトの顔と名前を覚えるのにてんてこ舞いだった。
お団子頭が特徴的な徐倫、姉御肌のエルメェス、マイペースなFF(あだ名らしい)たちと
自己紹介を兼ねた昼食会となり、さらに話は盛り上がる。
お嬢様学校と聞いて身構えていたが、彼女らは普通の女の子とどこも変わらず、気取った態度などとは無縁で
トリッシュは内心ほっとした。
「そうだ、昨日寮に荷物が届いてたけど、ひょっとしてあんたの?」
「ええ、今日からお世話になるの」
「じゃああたしたちと同じだ! 寮長はスッゲー怖いけど、慣れたらいい所だよ」
聞く所によると、このクラスにも寮生は少なくないようで
徐倫は近所のグリーンドルフィン校の生徒だったが、素行の悪さを見かねた父によってここの寮に送られ、
エルメェスはスポーツ特待生という事で実家から離れて寮住まいをしているのだそうだ。
「寮生活って初めてでちょっと不安だったけど、ルームメイトがいるって何だか楽しそうね」
「そうでもないわよ~、この前なんか徐倫ったらあたしが下のベッドにいるって気付かずにマ……」
「グェスッ!! よけいな事言わなくていいッ!!」
楽しい昼休みと午後の授業はあっという間に過ぎ、すぐに放課後になった。
エルメェスとFFは部活があるというので、ルーシーと徐倫の二人でトリッシュに校内を案内する事になった。
「前の学校では、何かクラブ入ってた?」
「バドミントン部だったわ。 時々顔出す程度だったけど」
「うちは同好会も入れるとクラブはけっこう種類あるのよ、委員長は馬術部なんだ」
「馬術って馬に乗るやつ? すごいじゃない! 専用の馬とか飼ってるの?」
きゃっきゃと盛り上がりながら、あっちが理科実験室、こっちが体育館と三人は広い校内を回る。
「窓から見えるでしょう? 中等部と高等部の間のあの建物が図書館よ」
「図書室じゃあなくて図書館なの? 立派な建物ねー」
「あ、でも気をつけて…… 一人では行かない方がいいわ」
「そうねー、危ないかもね」
「危ないって? どうして?」
ルーシーはなぜか赤くなり、そのうち分かるわ、とだけ言ったが、徐倫はニヤニヤしながら
純真な転校生が色魔の毒牙にかかってもいいの? と意味深な事を口にした。
「DIOっていう、金髪の背の高い男には気をつけなよ~
ここの司書なんだけど、気に入った生徒を書庫に引っ張り込んでいかがわしい事してるって噂なの!
あんなのがクビにもされないなんて、ほんと不思議よねーッ」
「徐倫~♪」
「!! きゃあああ!」
徐倫の背後に音もなく近寄りいきなり抱きついてきたのは、妙な帽子を被った生徒だった。
表情といい身のこなしといい、悪戯な子猫のような印象を受ける。
徐倫はあわてて彼女を振り払い、小柄なルーシーの後ろに隠れるように距離をとった。
「あ! あなたが噂の転校生ね? わたし、隣のクラスのナルシソ・アナスイ。 といっても音楽室でサボってる方が多いかな……
ちなみに、趣味は物を分解する事」
何だか変わった子だわ……と思いながらトリッシュは一応挨拶した。
「どうも……トリッシュ・ウナです」
「お友達になりましょうね♪ でも、わたしの徐倫に手を出したら承知しないから」
「え!!?」
戸惑うトリッシュ達を残し、出て来た時と同じ唐突さでアナスイはどこかに消えてしまった。
やっと去ってくれた、と言いたげに徐倫がボヤく。
「アナスイの言う事はあまり気にしないでね、悪い子じゃあないんだけど……」
その時トリッシュは、窓から見える先程の図書館から大柄な人影が出てきたのを一瞬目にした。
顔立ちは分からないが、長い髪……しかし金髪ではなかった。
DIOという人でなければ誰かしら、と思ったが、徐倫にせかされてトリッシュはすぐその場を後にした。
◆
実家住まいのルーシーとは途中で別れ、トリッシュは徐倫といっしょに寮へと向かった。
寮長に挨拶を済ませ、指定された自分の部屋へと行く。
ルームメイトがいると聞かされていたので、ノックをして失礼します、とドアを開けた。
夕陽が差し込む部屋には誰もいない。
部活か何かでまだ帰っていないのかしら、とトリッシュは思ったが、それにしてはあまりに住人の気配がなかった。
部屋にはトリッシュの荷物が入った段ボールがいくつかと、備えつけの家具しか置かれていない。
まるで、トリッシュがはじめてこの部屋を使うように。
一旦部屋を出てドア横のネームプレートを確認したが、確かにトリッシュの名前の上に別の寮生の名前があった。
「『ヴァニラ・アイス』……」
ひょっとして、新入りのあたしが来るから私物をみんな片付けちゃったのかしら?
首をかしげながら鞄を置き、とりあえず荷物から着替えを出そうとしたトリッシュだが
2段ベッドの上下どちらを使えばいいか分からない事に気付いた。
他人のベッドで寝るのは抵抗があるし、相手だって自分のベッドを勝手に占拠されたらいい気分はしないだろう。
帰って来たら聞けばいいわ、と思ったが、下のベッドの枕に長い髪の毛が一本残されていた。
どうやらヴァニラ・アイスはこちらのベッドを使っているらしい。
(どんな人なのかしら?)
先住者の邪魔にならないよう遠慮して、こぢんまりと荷物を広げて私服に着替える。
あわただしい初日が終わり、一息ついたトリッシュは今日の出来事を反芻していた。
(『父の仕事の都合で転校』か……)
二ヶ月前、母を亡くして間もないトリッシュの元に生き別れの父からの手紙が届いた。
便箋には母の死を悼む言葉と、母子を何年も探し続けた事、許されるならばトリッシュを引き取りたいという望みが書かれていた。
自分が生まれる前に母を置いて逃げた男を憎いとも思ったが、それでも唯一の肉親には変わりない。
感動の再会……となるはずが、彼女を出迎えたのは父の部下だという知らない男だった。
そしてあろう事か、父が街を牛耳るギャングのボスだと知らされた時はもっとショックだった。
その上突然転校を命じられ、トリッシュはめまぐるしい周囲の変化に目が回りそうだった。
地元の進学校への推薦を目指していたトリッシュにとっては、全く余計なお世話だったが
これは『ボスの娘』である事の危険を憂慮しての処遇だと言われた。
ボスの身内であるだけで、金や利権、あるいは怨恨のために狙われないとも限らない。
そういった危険から身を守るため、トリッシュは地元から遠く離れたこの学園に送られたのだった。
これまでの経緯を思い出し、トリッシュは深くため息をついた。
(……父だか何だか知らないけど、勝手な事をしてくれるものだわ。
だいたい、いつも電話ばかりであたしにまともに顔も見せた事ないくせに!)
電話で怒鳴りつけてやろうかと思ったが、いっその事向こうからかかってきても無視してやろうと決めた。
それに、一人ぼっちで実家にいても気詰まりなのは確かだった。
娘を寮に入れたのは、外部の人間が侵入しにくく安全というだけでなく
家族がいなくとも寂しい思いをしないようにという、せめてもの親心なのかもしれない。
誰かがドアをノックした音で、トリッシュははっと我に返った。
「トリッシュ、そろそろ夕飯の時間よ。 エルメェス達も帰ってきてるわ」
「すぐ行くわ」
「今日はメニューもいつも通りだけど、週末にみんなで歓迎パーティーでもするから、楽しみにしててね!」
徐倫の優しい言葉に、さっきまでのもやもやした気持ちや父に対する不満が溶けて消えていく気がした。
……やっぱり、ここに来て正解だったかもしれない。
(そうよね、くよくよしてても仕方ないわ。 せっかく素敵な友達もできたんだもの!)
明日からの生活に胸を弾ませ、トリッシュは徐倫と共に楽しい晩餐の待つ食堂に向かった。
トリッシュの記念すべき転校第一日目はこうして過ぎて行った。
<To Be Continued…>