EPISODE3. 特別でないただの雨の日
中間テストも終わった6月、今日も朝から雨が降っていた。
教室から見える花壇には色とりどりの紫陽花が咲いている。
自分の生まれた月でもあるが、トリッシュは雨降りがちな6月は嫌いだった。
ただでさえ癖のある髪が湿気を含んでまとまらず、今朝も洗面所の鏡の前で何十分も格闘したあげく
結局、納得いかない髪型のまま登校するはめになってしまった。
「あーあ、雨って嫌よね~……靴下まで濡れちゃうし、じめじめするし」
「あたしは雨降りのほうが調子いいけどなー、プール延期になったのは残念だけどさ」
そう言うFFはこの前も通り雨に浮かれて、傘もささずに跳ね回っていたところを徐倫に止められたのだそうだ。
向かいの席のエルメェスもグラウンドを思い切り走る事が出来ず、退屈そうに指先でペンを回している。
ヒマを持て余す女生徒たちの溜息ばかりが、曇り空に吸い込まれていった。
◆
授業が終わってトリッシュが寮の自室に戻ると、ヴァニラはまだ帰っていないようだった。
よく見ると彼の鞄だけが置かれており、その脇に置かれたノートを破った紙に走り書きで
『図書委員の用事で遅くなる』と残されていた。
書置きを手にとって見ながら、トリッシュはヴァニラが図書委員という事を初めて知った。
転校翌日から門限破りでスリリングな冒険をしたトリッシュだったが、寮生活にもすっかり慣れ
委員会や補習などやむを得ない理由で門限に遅れそうな場合は、事前にその旨を伝えておけば大目に見てもらえる事を覚えていた。
きっと一旦寮に帰って寮長に言付けてからまた出て行ったのだろう。
宿題を片付けたり下着を部屋干ししたりと私事を済ませていたトリッシュだが
もうすぐ夕食だというのになかなか戻らないヴァニラが心配になり、迎えに行こうとよせばいいのに寮を抜け出してしまった。
……こうして、トリッシュは一人で入るのは危ないと言われていた図書館に足を踏み入れたのだった。
重い扉を開けると、紙とインクと埃の入り混じった匂いがした。
湿気で紙が傷まないようにするためか空調が効いており、じめじめした外と違って心地いい。
司書はたまたま席を外しているのか、入ってすぐの貸出カウンターには誰もいなかった。
(ヴァニラ、どこにいるのかしら……)
図書館の中はカーテンが閉め切られて薄暗く、お化けでも出そうな雰囲気だ。
背の高い書架が並ぶ間をこわごわ歩き、トリッシュはヴァニラの姿を探した。
もしかするとここではなく、地下の書庫で本の整理でもしているのかもしれない。
書架の間をひとつひとつ覗いていく途中、トリッシュは思いがけないものを見た。
(あっ……!?)
トリッシュは一瞬目の前の光景が理解できなかったが、すぐに何か分かり頬をかっと赤くした。
人がいないのをいいことに、書架に背中を押し付けるようにして男女が抱き合っていた。
男の方は背が高く、暗がりでも目立つ派手な金髪をしている。
女は高等部の生徒らしい。 制服の胸が大きくはだけられ、ポニーテールに結った髪が乱れて艶かしいばかりだ。
二人ともトリッシュには気付かず、互いに脚を絡ませ愛撫し合っている様は
映画のシーンのように絵になっていたが、それとは比較にならない位生々しく思えた。
いけないものを見ていると分かっているのに、目をそらせない。
息を殺して情事の現場に見入っているトリッシュの肩に大きな手が置かれた。
「!!!」
声を上げそうになったが、恐る恐るトリッシュが振り向いた先にいたのは、探していた本人だった。
(ヴァニラ……)
ヴァニラは何も言わず、外に出るよう手で示した。
二人が足音を立てないようにその場から離れた後、金髪の男と女生徒は顔を見合わせ忍び笑いした。
「DIO様、気付いていらしたのね……悪い人」
「お前もとんだ役者だな、ミドラー」
「アイスの奴といっしょにいた、あの中等部の子……何という子かしら? あいつの知り合いみたいだったけど」
「気になるか? なかなかの上玉だったようだが」
「ふふ、まさか。 そんな事よりもDIO様……」
ミドラーがDIOの背中に華奢な腕を回す。
邪魔者がいなくなった所で、二人は再び唇を重ねた。
◆
図書館を脱出して外の空気を吸っても、トリッシュの鼓動はなかなかおさまらなかった。
(さっきの金髪の人がDIOって人だったのかしら、図書館であんな事してたなんて本当だったんだわ……
もしかして……ヴァニラも、あんな事を?)
予想外の場面を目撃したショックと、もやもやした気持ちが胸の中で渦巻いている。
俯いて悶々としているトリッシュに、ヴァニラが声をかけた。
「メモに気付かなかったのか? 遅くなると書いておいたが」
「あ、えっと、つい心配になって迎えに来ちゃったの…… そ、そうだ! ヴァニラ、聞きたいんだけど
DIOって人、いつもあんな事してるの? ここの司書だって聞いてたけど」
「……DIO様は……」
その名前を口にする響きに、トリッシュは何やら特別な思慕のようなものを感じ取った。
理由を聞かれれば「女のカンよ!」としか言えないが……
とにかく、DIOという男は彼にとって特別な相手のようだった。
その事を指摘すると、ヴァニラはどうして分かったのかというような少し驚いた顔をした。
「わたしは、DIO様のおそばにいたくてこの学園に来たようなものだ」
いつも硬い表情のヴァニラだが、DIOの事を話す彼は心なしか明るく見えた。
堂々と情事を行うのはとても褒められたものではないが、ヴァニラの心を捉えるDIOとはどんな男なのか少なからず興味が湧く。
あまり自分の事を話さないので、同室にも関わらずいまだ音楽の好みも分からないぐらいだったが
彼の事が少し分かったようでトリッシュは嬉しくなった。
「!! いけない! 早く戻らないと寮長に殺されるわ、ヴァニラ早く!」
門限に間に合う事を祈りながら、二人は傘を差す暇もなく雨の降る中を寮まで走っていった。
◆
幸い間に合った夕食の席で、暇をつぶすため怪談話をしようという企画が持ち上がった。
怪談で涼しくなるというにはまだ時期が早いが、雨の夜というシチュエーションはいかにも幽霊が出そうな感じでぴったりだ。
「面白そうじゃん、あたしは参加するぜーーッ お風呂入ってからやるの?」
「そういうのって林間学校の晩にやるもんじゃないの? どーせなら恋バナがいいなぁ」
「ギャハ! それだったらあんたなんか何も話すネタないだろ」
「言いやがったなコラァーーー!!」
入浴を済ませた後、物好きな寮生たちがお茶やお菓子を持ち寄って談話室に集まってきた。
怖い話が大の苦手らしい一学年下のペルラ嬢などは、うっかり話を漏れ聞かないよう部屋に閉じこもってしまっている。
百物語というほど本格的ではないが、それぞれ一つずつ怖い話を語るという決まりで各自が持ちネタを披露していき
エルメェスの『ひとりでに動く剥製』、FFの「倉庫の惨殺事件」と続き、今ちょうど
グェスの『ネズミ女』の話が終わった。
「マジで怖かった~!! でもさ、『友達の友達が~』って誰なのよ?」
「次だれ? だれの番?」
その時、たまたまヴァニラが談話室前を通りがかった。
彼は誘われても無関心な様子で夕食後も自室にいたが、何かの用事で階下に降りてきたのだ。
「そうだ、ヴァニラは何か怖い話知ってる?」
トリッシュが話を振ったが、ヴァニラは別に……と首を振るだけだった。
しかし、無口であまり輪に加わる事のない彼がどんな話をするのか気になり、一同は好奇半分で何か話をしてくれとせがんだ。
しつこくせがまれてさすがに根負けしたのか、不承不承その場に腰を下ろし
これはわたしが高等部の生徒から聞いた話だが、と前置きしてヴァニラは語り出した。
――その生徒の実名を出すのは控えるが、仮にキャリーとベッド、としておく。
二人は寮住まいで、ある日ベッドの部屋にキャリーが遊びに来た。
ベッドは『何か飲む?』と部屋の冷蔵庫を開けようとしたが、おかしな事に気付いた。
中の飲み物や菓子がすべて冷蔵庫の外に出されていたのだ。
もちろん本人に覚えは無いので『何かヤバい』と思い、とっさに口実を作ってキャリーを部屋から連れ出した。
そしてキャリーが寮長を呼びに行っている間、ベッドが薄く開いたドアの隙間から室内をうかがっていると……
冷 蔵 庫 の 中 か ら 、 全 身 傷 だ ら け の 男 が 這 い 出 て き た の だ 。
どう考えても人間は入れないはずの小型の冷蔵庫の中に、手足の関節を自ら外して身体を押し込めていたらしい。
その男はまるでトカゲのような動きで窓から出て行ったそうだ――
寮の天井を突き破るほどの悲鳴が響いた。
「何それーーッ怖いッ!! その高等部の生徒って誰!? マジ話なのッ!?」
「い……いやぁぁぁ!! もう冷蔵庫開けられない~~!!」
「今晩トイレ行けないわァァ~~!!」
この大騒ぎに、何事かと乗り込んできた寮長によって場はお開きとなった。
寮生達は蜘蛛の子を散らすように解散し、消灯時間5分前だったので仕置きを食らう事がなかったのは不幸中の幸いだった。
◆
「……ヴァニラ」
「…………」
「ヴァニラ、起きてる?」
「……ああ」
さっきの怪談話が怖くて眠れず、トリッシュは下段に寝ているヴァニラを呼んだ。
もう寝ていたらどうしようと思ったが、まだ起きていてくれたようだ。
灯りが消されて暗い部屋に、外の雨音がかすかに聞こえてくる。
「……やはり何も話さない方が良かったか、余計な事をしてしまったな」
「そんな事ないわよ! ヴァニラがあんなにうまく話せるなんて知らなかったわ
なんていうか、真に迫ってたっていうか」
「せっかくの雰囲気を壊して、怖がらせてしまった……」
「ん……まあ確かにすごく怖かったけど」
そもそも怪談は怖がらせてなんぼだが、本人はかなり気にしているらしい。
ヴァニラが後悔しているその様子に、トリッシュはふといいアイデアをひらめいた。
「あのねヴァニラ、今夜だけいっしょに寝てもいい? ……怖くて一人じゃ眠れないんだから、責任とってよ」
相手の弱みにつけこんでずるいかな、と思ったがヴァニラはあっさり了承してくれた。
トリッシュは梯子を降り、下段ベッドの薄い夜具の間にそっと潜り込んだ。
人の体温であたたまっているが嫌な感じはせず、冷えた夜気の中ではむしろ気持ちよかった。
「狭くないか」
「ううん。 ヴァニラのベッドって、なんだか落ち着くわ」
「そうか」
「たまにはこーいうのもいいわね……おやすみ、ヴァニラ」
すぐそばに人がいてほっとしたのか、ヴァニラの胸板に頭をすり寄せ、トリッシュはすぐに寝入ってしまった。
うっかり寝返りで潰さなければいいが、と思いながらヴァニラも目を閉じた。
◆
翌日、朝の支度にあわただしい空気の中、まだ食堂に来ていない寮生が二人いた。
同室のトリッシュとヴァニラだ。
二人揃って寝坊でもしているのかと、FFは飲みかけのコップを持って部屋まで呼びに行った。
「おーいトリッシュ、ヴァニラ、早く起きないと朝ごはんなくなる……」
ドアを開けた時、FFは下段ベッドで寝ている二人を目撃した。
一人は当然ヴァニラ、そしてシーツの端からちょこんと覗く髪の色はトリッシュのものだった。
動物の親子のように密着して眠っていた二人は目を覚まし、起こしに来たFFに気付いた。
「あ、おはようFF……ムニャムニャ」
「!! おい、もう時間が無いぞッ」
二人は時計を見てベッドから飛び起き、あわてて制服に着替えだした。
早くしなよー、とだけ言ってFFは食堂に戻った。
「どうだった?」
「んー、二人で抱き合って寝てた」
FFの何気ない台詞に、食卓の一同はざわついた。
「……マジで……?」
「飛んでるーッ」
誤解が広まり、できてんじゃあないのか?とあらぬ噂を立てる者もいる。
窓の外では長い雨が上がり、雨雲が去った空には鮮やかな虹がかかっていた。
<To Be Continued…>