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奇譚小函―きたんこばこ―

R-18 二次創作テキストサイト

俺屍サマナー

THE DAY WHEN BOND WAS BORN


鬼首家は古くからヤタガラスに仕え、サマナーの任務を代々受け継ぐ一族だった。
この鬼斬りの一族が、歴史の影でどれほどの悪魔を始末して来たかは数え切れない。
ゆえに、倒した者やその眷属から恨みを買う事も多々あったが、その多くは返り討ちにされ復讐を遂げられぬまま滅びていった。
だがある時、鬼首家に生まれて間もない赤子に復讐の矛先が向けられる事になった。

『ヤタガラスに使われる悪鬼どもめ、今までお前達一族に殺された者の恨みをこの赤子に受けて貰う、お前達の罪を背負って苦悶の果てに死んでいくのを見てせいぜい悔やむがいい』

一族に生まれたとはいえ諍いには何の関係もない赤子を選んだのは、呪いに対し抵抗力がないためという理由だけではなく、守るべき小さな存在を失う事でより苦しめようという意図もあったのだろう。
齢百を超えてなお現役でサマナーを務め、今も歴代最強と名高い老剣士・暁丸(あかつきまる)は、呪いを抱えた曾孫を抱き、父である当主にこう命じた。

「この娘の髪は決して切るな、せめて六年は切らず伸びるに任せろ」

灯代と名づけられたその女児は、身体に悪い所はどこもなく一見健康に育っているように思えた。
呪いが杞憂に終わればいいと誰もが思っていたが、物心つくようになった頃いきなり灯代は体調を崩して寝込んだ。
急病で熱を出すのは幼い子供にはしばしばある事だったが、その様子が尋常ではなかった。
ひどい高熱と共に首を締められるような苦しみに襲われ、夜は延々と悪夢にうなされた。
しかもその悪夢の内容は常に決まっており、真っ赤な池に落とされて溺れた、針の山の上を歩かされて足に刺さった、と夢から醒めた灯代は泣きながら地獄で受けた責め苦を訴えた。
どれほど恐ろしい悪夢か知らないが、たかが子供の見る夢ではないかとは誰も言えなかった。
そんな時は実際に窒息寸前まで呼吸が止まっていたり、柔らかな足の裏に痛々しい刺し傷が残っていたからだ。

初めて『発作』が起きてからというもの、灯代は心身共に徐々に衰弱していき、屋敷から滅多に出されなくなった。
医者にもどうにも出来ない恐ろしい発作が起きる間隔は月日が経つごとに短くなり、悪夢に苦しむ時間はそれに反比例して長くなり、灯代の苦悶も一層激しくなっていた。
対処療法として、一族に伝わる薬や呪いの進行を防ぐ符でいくらか苦痛が和らぐが、それも一時しのぎの気休めに過ぎなかった。
もちろん、実父である当主をはじめとした鬼首家の者がただ見過ごすはずもなく、八方手を尽くして呪いについて調べたが、ヤタガラスのつてを頼っても呪いを解く有力な手がかりは見つけられなかった。
そして六歳の冬に起きた、今までで一番長い発作に、家族の献身的な看護も空しく灯代の容態はいよいよ悪化していた。
曽祖父・暁丸が長い旅から久し振りに鬼首家に帰ってきたのはそんな時だった。
一族の誰よりも多く悪魔を狩ってきた暁丸は、自分達のとばっちりを負った曾孫の境遇に対し、誰よりも責任を感じており、灯代を苛む呪いの手がかりを見つけるために単身で方々を訪ねていたが、妖精の魔力も外法の秘術も呪いを取り除く事は出来ないようだった。

(やはり、あの手段をとるしかないのか)

昏睡する曾孫を枕元で見下ろしながら、暁丸は思考を巡らせていた。
六年間一度も切らず伸ばすままにしていた灯代の赤い髪は、解けば腰の下まで届く長さになっていた。
その髪に暁丸の手が伸びた時、偶然意識が戻ったのか、灯代が眼を開けた。

「おじいさま……」

曽祖父の姿を認めた灯代は、悪寒に震える小さな手を布団の中から伸ばし、すがるように老剣士の手に触れる。
この二週間高熱と悪夢にうなされ続けた曾孫の幼い顔には、痛ましい事に死相さえ浮かんでいた。

「大丈夫……必ず灯代を助けてやる、大丈夫だ」

何千という魔を屠ってきた、皺と筋の浮き出た手で小さな手を包み、小鳥の雛でも守るように暖めてやる。
灯代が熱で再び意識を失う直前に見たものは、曽祖父の腕の中にある、鉄鎖で雁字搦めに巻かれた一振りの刀だった。

呪言が彫刻された鎖を張り巡らせた室内で、全ての準備を済ませた暁丸は、精神集中のため一定の呼吸法を繰り返していた。
老剣士の前には曾孫が背を向けて座り込んでおり、その両手首を梁に渡された白いこよりで吊り上げられていた。
子供の体重とはいえ、ごく細いこよりは切れもせずにぐったりと項垂れる灯代の上体を支えている。
意識のない灯代の長い髪はうなじで一つにまとめられ、同じ白いこよりを複雑に編み込んだ紐で束ねられていた。
白い寝巻きの下、全身に描かれた魔除けの紋様に行き場をなくした『呪』が、先を争うように赤い髪の中へと流れ込んでいくのが見える。
紋様は『呪』を身体から髪へと誘導するため身体に描いた結界であり、腰まである髪を束ねる白いこより紐は、『呪』が逆流しないための弁の役目だった。
こうして『呪』を身体の一部に移転させ、その部分ごと蜥蜴の尻尾のように切除する。
とんでもない荒療治だったが、この六年調べ続けても灯代にかけられた呪いがどのような系統かも分からないため、中途半端な解呪の処置をすれば余計に悪化しかねない。
仮にそれで呪いは解けたとしても、まだ幼く衰弱した灯代自身の身体が耐え切れないだろう。
暁丸の提案で、六年の間灯代の髪を伸ばし続けていたのは、呪いが解けなかった時の最終手段として、この『呪詛斬り』を行う器とするためだった。
髪に魔力が溜まるのと同じ要領で呪いを溜め、何より手足を失うのと比べれば髪をばっさり切る方が遥かに支障がないという理由だ。

「はじめるか」

息をひとつ吐き、脇に置いた刀を手にして、暁丸が立ち上がった。
鬼首家に伝わる継承刀・紅蓮踏鞴(ぐれんだたら)。
呪われた武器を破壊するため鍛冶神によって造られたこの剣は、それ自体に呪いに対抗する力が込められている。
灯代の呪いにまで有効かどうかは保証できないが、これを使うのが適しているだろうと暁丸は『呪詛斬り』に、かつて扱っていたこの紅蓮踏鞴を選んだ。

「お前に触れるのも何十年ぶりになるか……あん時はわしの都合で勝手に封印して、悪かったな」

鉄鎖で封印された継承刀に話しかける暁丸の独語の意味を知る者は、もはや一族には誰も居ない。

「また、わしの勝手な都合でお前を抜く事になったが、年端も行かぬ鬼首の末裔を救うためなら、まさか嫌とは言うまい」

その言葉に応えるように、剣を鞘ごと縛っていた鉄鎖が熱で溶け、千切れ飛ぶが暁丸は眉一つ動かさない。
老いてなお研ぎ澄まされた緑の眼が鋭く見据えているものは、灯代の髪を封じる白いこより紐だった。
あたかも瀕死の蛇のように、ひとりでにびくびくと震え、こちらも今にも千切れそうになっていた。
髪の中に閉じ込められ、荒れ狂う『呪』の勢いに、逆流を防ぐ弁が壊れかかっているのだ。
もはや一刻の猶予もないと判断し、暁丸は継承刀の鯉口を切った。
全てを焼き尽くす灼熱の力が刃から解き放たれ、灰の色をした老剣士の髪が一瞬にして炭火が熾るように真紅に変わり、逆巻く熱風に乱れる。
自らを排除しようとする者の気配を察したのか、灯代の髪に封じられた『呪』が反応した。
赤い髪がひとりでに蠢き、何束にも分かれ、神話の怪物宜しく鎌首をもたげた蛇と化して暁丸に牙を剥く。
蛇の八つの頭が一斉に殺到し喰らい付こうとするのと、『紅蓮踏鞴』が炎の尾を引いて閃くのは同時だった。

死神の手から逃れた灯代は、昨日までの苦しみが嘘のように安らかな寝息を立てていた。
呪詛斬りの成功をただ祈っていた親は涙ながらに喜び、屋敷が久し振りに明るい雰囲気で満たされている中、曾孫を救った功労者である暁丸は一人、灯代が安静に寝かされている部屋の隣で胡坐を組み瞑目していた。
その前には、子供の掌に収まりそうなほどの小さな箱がぽつんと置かれている。
白いこよりを十字にかけられた箱の中に保存されているものを知るのは、呪詛斬りを行った暁丸ただ一人だった。

(得体の知れない呪いを帯びた髪を一本でも残すのは危険だが……いつかまた同じ事が起きるかもしれん)

同じ呪いが再び一族の者を襲った時に備え、暁丸は斬った灯代の髪の一房を大事な手がかりとして厳重に封印したのだった。
暁丸は小箱を懐にしまい、立ち上がろうとして、体の節々にどっと重い疲労が押し寄せてくるのを感じた。
秘術と鍛錬で若さを維持しているが、さすがに百を超えると年には勝てんか、と自嘲する。
隣室の襖を静かに開けると、曾孫は温かい布団に包まれ、あどけない表情で眠り込んでいた。
手にした継承刀をお守りのようにそっと枕元に置き、暁丸は部屋を出て行った。

灯代は物心ついた時から、いつ『病気』の発作が起きるか、日々怯えながら生きていた。
屋敷からもほとんど出されず、家族以外の人間とあまり顔を合わせる事もない灯代は、いつも自分の病気の事で家族が心配したり悩んだりしているのを幼いながら理解しており、そんな自らの境遇に対して辛さ以上に悔しさとも歯がゆさともつかない思いを抱いていた。

(ずっとこのままでいたくない、ずっとこのままじゃ、いけない)

幼い灯代がそのやりきれない気持ちを言い表せるはずもなかったが、それは自分を苦しめ、家族を悲しませる理不尽な運命そのものへの反発だった。
どうにかしたいと思ってはいても、何も知らず何の力もないただの子供に過ぎない灯代には発作の苦しみに抗う術はなく、実際どうする事も出来なかった。
いつも前に起きた時よりも数段ひどい発作に襲われ、灼かれるほどの高熱と首を締め付けられるような苦悶の果てに、意識を失っても苦しみからは解放されない。
目を閉じた暗闇の中では悪夢にうなされ、地獄の恐ろしい責め苦で現実以上の苦痛を延々と味わうのだ。
しかし、今の灯代は血の池の中でも針山の上でもなく、暖かな日差しと心地よい春風の中にいた。
見渡す限り青々とした田畑ののどかな風景が広がり、小さな灯代に危害を加えるものは何も無い。
体調がいい日に少しだけ外出できた時でも、あまり遠くに行ってはいけないと家族に言われるが、草の上を裸足のまま歩くのは初めてでとても気持ちよく、このままどこにでも行けそうな気がした。
緑の香りを含んだそよ風が吹いてきて剥き出しの首すじを撫でられ、灯代はある事に気が付いた。
親に梳かしてもらいながら、お前のためにずっと伸ばしておくんだよ、と物心ついた時から言われていた、腰より下まで伸びていた赤い髪がすっかり短くなっていた。

「……どうしよう、かみのけ……」

こうなる前の事を思い出そうとしても、どうしても思い出せなかった。
自分で切ってしまったのか、誰かに切られたのか分からないが、男の子のように短くなった髪に何度も触りながら、灯代は家族に何と言おうかと途方に暮れた。
いきなり心細くなり、道端に座り込んだ灯代の頭上に影がさした。

「どうした、娘」

声をかけられて顔を上げると、髪を不思議な形に結っており、古い映画の中で見た剣客のような眼帯を着けた男が目の前に膝をついて灯代の様子を見ていた。
きょとんとした灯代の顔を見て、男は何かに気付いたように独り言を口にした。

「ああ、お前――そうか、悪いもんが寄ってこないようにあいつが置いてったんだな」

男が何を言っているのか灯代にはよく分からなかったが、一度も会った事のない人のはずなのに、何だかとても懐かしい気持ちになった。

「おじさまは、だれですか」

灯代の問いかけに、男は少し微妙な表情になったが、すぐに気を取り直したように「お前の爺さんの古い知り合いだ」と答えた。
それを聞いて少しほっとした灯代の方に男は手を伸ばし、温かい掌で頭を撫でた。

「その髪、切っちまって悪かったな……でも、命が助かったのだから勘弁してくれよ」
「おじさまが? きったの?」
「ああ」

髪を切った事と命が助かった事の因果関係が幼い灯代にはよく分からなかったが、体のどこも苦しくない事からこの男が自分を楽にしてくれたのだというそれだけはぼんやりと理解できた。

「ありがとうございます」
「はは、礼ならお前を助けた爺さんに言えよ。 鬼首の娘、お前もいつかサマナーになるのか?」

男が何気なく言った言葉だったが、サマナーという単語を耳にした灯代の中に一つの思いが浮かび上がった。
曽祖父はとても偉大な「サマナー」だと、家族が寝物語に話してくれるその武勇伝は、呪いに体を侵されほとんど外にも出られない灯代の数少ない楽しみだった。
忙しくてあまり家に居つかず、話をする事もそれほど無いが、曽祖父の事を灯代はおとぎ話の英雄のように思っており、男が言う事が本当なら曽祖父は自分を救ってくれた本当の英雄だった。
そして、苦しんでいる自分を曽祖父やこの男が助けてくれたように、今度は自分が同じサマナーになって誰かを助けたいと思った。
小さな灯代の中に生まれた、初めての決意だった。

「わたしも、サマナーになりたいです。 おじいさまやおじさまみたいに、こまっているひとをたすけられるサマナーに……」

世の中の事を何も知らない幼児が口にした言葉に過ぎなかったが、その藍色の眼に宿る決意の輝きを見て、男は口元にいかにも面白そうな笑みを見せた。
単純で子供っぽい夢を一笑に付すのではなく、思いがけない場所に埋もれていた原石を見つけたような笑みだった。

「お前がもしもあいつの跡を継ぐのなら、いつかまた俺と会う事になるかもしれんな」
「おじさまと?」
「……そうだな、あんな生意気な小僧よりも女剣士の相棒をやる方が面白いだろう」

一人で笑いながらそう言う男はどこから取り出したのか、鞘に納まった一振りの刀を手にしていた。

「餞別だ。 大事にしろよ、何せ俺のもう一つの名が付いた刀だからな」
「これ、くださるんですか?」

どう見ても玩具とは違う拵えのその刀を、男は灯代に手渡した。
子供が持つには大き過ぎる上、重過ぎる真剣だったが、灯代は小さな両手でしっかりと受け取り、大事に胸に抱きかかえる。
曽祖父と同じように刀を手にして、それだけで勇気が湧いてくるようだった。
いつしか周りの景色も風も日差しも消え、世界には二人だけになっていた。

「夢から覚めたら俺の事は忘れちまうだろうが、俺の刀と一緒に精進するがいい」
「おじさま、わたし、またいつかあいにきますね」
「おう、いつかお前の仲魔になるのを楽しみにしているぞ、鬼首の娘」

曽祖父と共に灯代を救った隻眼の男は、大きな温かい掌でもう一度灯代の頭を撫でた。
灯代が瞬きすると男の姿は消えており、代わりによく知った家の天井が目に飛び込んできた。
すっかり軽くなった身体で布団から跳ね起きた灯代の手には、夢で授けられたのと同じ刀が握られており、その枕元では昨夜灯代の命を救った継承刀が、全てをただ静かに見守っていた。

父に付き添われた幼い曾孫を目の前にして、鬼首家最強の剣士である暁丸は呆気に取られていた。
劇的に元気を回復し、昨日まで昏睡状態だったのが信じられないほど生気に満ちた笑顔でいる曾孫の腕の中には、一振りの刀があった。
すっかり短くなった髪を気にする様子もなく、灯代は元気の良過ぎる声を張り上げた。

「おじいさま、ともよにけんのけいこをつけてください!」
「……お前なあ……」
「朝からこう言って聞かんのですよ。 この刀、どこから持ち出して来たんだか」

呪いが解け、危篤状態から持ち直して一日も経たないうちに、おじいさまとおなじサマナーになる、などと無茶な事を言い出した灯代に家族は当然驚いたが、その理由に心当たりがあったのは暁丸一人だけだった。

(……まさか、『あいつ』が唆したんじゃあるまいな)

暁丸はかつて自分の師でもあった仲魔に疑念を抱いたが、再び鎖で封じられた継承刀からは何の反応もなかった。
鬼首家は暁丸以外にも複数の腕利きサマナーを抱えており、本来なら灯代は家業を無理に継ぐ義務などはなく、これ以上危険とは縁のない普通の生活を送ってほしいと親は望んでいた。
すぐに飽きるか辛くて投げ出すだろうと、周りの大人達は初めのうちは高をくくって剣や術を教えていたが、幼い灯代は全身傷だらけ痣だらけになりながらも、意外なほどの熱意と粘りを見せた。
何も出来ず寝付いてばかりだった頃とは違い、別人のように活発になった灯代の顔は厳しい稽古の中でも明るく輝き、その胸には希望が燃えていた。
絆創膏をいくつも貼った擦り傷とマメだらけの手で、眠る時も布団の中で刀を握り締めている灯代に「血は争えん」と大人達は苦笑したものだった。

あれから十年後、最終試練を終えた灯代は晴れてサマナーとして正式に認められ、それと同時に初めての仲魔を持つ事になった。
九重楼から疲れ果てて帰還した灯代は、家に戻るなり破れた制服も着替えず倒れるようにして眠り込んでしまい、仲魔の召喚を解除して刀の中に戻すのも忘れていた。
そのため、試練に成り行きで手を貸し、半ば強引に押しかける形で仲魔になった鍛冶神・タタラ陣内の初仕事は、灯代の試練合格を本人に代わって家人へ報告する事だった。

「そういう経緯ならば、まだ半人前のふつつかな娘ですがどうぞ宜しくお願いします、タタラ陣内様」
「……うむ、こちらの方こそ鬼首の人間には代々仲魔として世話になる身だ。 宜しく頼む、当主殿」

灯代の父である現当主からの挨拶は、何やらサマナーと仲魔の主従関係というよりも娘を嫁がせる相手に対するようなもので、陣内は少し妙に思ったが普通に流した。
……その晩、主役不在の祝いの席もそこそこに抜け出した陣内は、自室の布団で健やかな寝息をたてている主を見下ろし、新米サマナーの本当の試練は明日からになるだろう、と考えていた。
彼の懐にある、白い革鞘に収められた短刀は、試練の際に折れた『天目一刀』を打ち直して新しく生まれ変わらせたものだった。
陣内の脳裏に、折れたこの刀を拾い上げた灯代の言葉と交わした視線が甦った。
まっすぐな藍色の瞳、刀身に刻まれた銘、そして今日初めて知った彼女の名前。

(灯代……お前だったのか、あの時の娘は)

鍛え直す過程で、一振りの刀に施された手入れや使い込まれた跡から灯代の思いを感じ取り、刀を手に取る陣内の胸には熱がこみ上げ、振るう鉄槌には知らず力が篭った。
幼い頃、夢の中で出会った陣内の事は時が経つにつれ忘れても、その時授けた夢ではない証の『天目一刀』はずっと灯代と一緒にいて、厳しい修行を共に乗り越えてきたのだと生みの親である陣内にはよく分かった。

(お前は本当に、あれからずっと大事にこれを持っていたのだな)

タタラ陣内は、幼かった灯代と出会った『呪詛斬り』の一件を思い出した。
生きている限り切られた髪はまた伸びるものだが、呪いを断ち切り二度と再生させない『紅蓮踏鞴』に斬られたせいで灯代の髪はもうこれ以上伸びない。
手足や、まして命を失うのと比べれば比較的軽い代償かもしれないが、若い娘としてそれを気にした事もあっただろう。
出会いのきっかけとなった事件の名残である灯代の髪を、陣内は赤銅色の武骨な手で撫でた。
短い髪を指で梳きながら、慈しむような悔いるような複雑な感情がその隻眼に浮かんでいた。
女の命である髪を切ってしまった責任を取るため、などというのは古臭い考えに過ぎるかも知れないが、せめて仲魔としてこの娘の力になってやりたかった。

(いや、それだけではない……お前がどう成長するのか、どこへ行き着くのか、俺は最後までこの目で見てみたい)

「陣内、ここにいたか」

襖の隙間から小さく声をかけたのは、すっかり老け込んだ暁丸だった。
去年から病で寝込みがちであり、薄暗い中でも顔色が優れないのが見てとれたが、その声だけはしっかりしたものだった。
陣内は枕元からそっと立ち上がり、暁丸のいる廊下に出た。

「暁丸、起きてきて大丈夫なのか」
「嫁入り前の曾孫に夜這いかけようとするのを見過ごせるか」
「……それだけ口が立つならまだまだくたばりそうにねぇな、お前」

鬼首家の最年長者にして最強の剣士である暁丸にこんな口を利くのは、数十年前に彼の仲魔であり、師であったタタラ陣内ぐらいのものだろう。
自分の未熟な新米時代を知っている相手だけに、暁丸もついつい日頃の威厳ある態度からはかけ離れた伝法な口調になっている。
二人はほとんど足音を立てずに板張りの廊下を歩く。

「さっきお開きになったが、今から向こうで呑み直すか? 身体に障るからって一杯で止めさせられて物足りん」

手酌だから色気無いがな、と暁丸はニヤリと笑いながら、酒宴から抜け目なくくすねてきたのか、半纏の内側から手品のように酒瓶を取り出す。
知らない間に年老いた暁丸だが、その仕草だけが十代の頃そのままで、陣内は一瞬時の感覚を失念した。

「陣内よ、相手が新米の小娘とはいえ、サマナーの命令には絶対服従しろよ」
「試練の時に座り小便漏らしてた小僧に一丁前に言われるまでもねえ、折れた刀で向かっていった灯代の方がよっぽど肝が据わってたぜ」
「また封印されたいのか、クソ野郎め」

刃を交わすように憎まれ口を叩き合いながらも、互いの表情はどこか朗らかなものだった。
その夜、二人の間で十年越しの祝杯が挙げられた事を知らず、灯代はただ安らかな表情で眠り続けていた。
明日から始まる本当の試練も、いずれ飛び込んでいく数々の戦いも、歩き始めたばかりの彼女はいまだ知らない。


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