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奇譚小函―きたんこばこ―

R-18 二次創作テキストサイト

俺屍サマナー

ESCAPE FROM LIVING DEAD


高速道路を首都圏に向かうワゴンを運転しながら、原木はそろそろガソリンが切れそうな事に気付いた。
元は他人の車で、しかも強奪同然に乗り逃げして来たのだから無理もない事だった。
持ち主だった四人の男達は、二時間前まで後ろのシートに手足を縛られ転がされていたが、高速に乗る前に人目につかない場所に捨て置かれた。
それをやってのけた『共犯者』いや『主犯』が、助手席に座っている小柄な少女だと、原木はまだ信じられずにいた。
原木を窮地から救ったこの隣人については、多々羅という姓しか分からない。
赤い短髪と対照的な白いニット、チェック柄のキュロットから伸びた細い脚にブーツを履いて、細長い包みを抱えている。
アパートでの騒動の後、必要な物だけを持ってすぐに家を出るよう原木を促した多々羅だったが、彼女も荷物らしいものはそれだけだった。

「……やっぱり、このまま警察に駆け込むわけにはいかないかな」
「あの化け物を見たでしょう? はっきり言って警察の手に負えるものじゃないです、それにあいつらの仲間にも同じ事が出来る奴がいるだろうし、何人いるかも分からない」

化け物、という単語を口にする時、少女の眼にちらついた複雑な感情に原木は気付かなかった。
いきなり押し込み強盗まがいの被害を受け、自分に謎の包みを託した友人とも連絡がつかないとなれば、普通なら警察を頼るべきだ。
しかし、小さな管から骸骨の化け物を呼び出した、あんな魔法のような事をやってのける得体の知れない奴等が法に訴える程度の事で手を引くとは思えないし、第一そんな話を警察が信じてくれるものか。
通報しようかどうか躊躇う原木に多々羅は、『こういった事件』を取り扱う専門の機関があると教え、友人が投函を頼んだ包みを宛先に直接持ち込んで保護を求める事を提案した。

「少なくとも、ヤタガラスを頼れば原木さんの身の安全は保障されると思います」

ヤタガラス、それがこれから向かう機関の名前だった。
包みを見せられた多々羅は、記された宛先がヤタガラスの支部のひとつだとすぐ見当をつけ、原木の携帯を使って連絡をつけた。
こういう事に慣れているのか、彼女は淡々とした口調で事情を説明し、突拍子もない話ではあるが、相手の方も納得して経緯を聞いているようだった。

――はい、私の方は名乗れませんが、すみません……自分の都合でサマナーを辞めた身なので……
――多分ダークサマナーの一派が……原木さんという男の人と、その友人の方も連絡がつかなくて、出来ればそちらも……
――いちおう中身を改めさせてもらったんですが、その中に、まかるがえしのたまが……

会話の中には意味の分からない単語がいくつもあったが、通話を切った多々羅によると、保護する態勢が整っている場所で一番近いのは、都内某市にある施設だそうだった。
自分よりも年下の少女に言われるがまま行動している原木だったが、隣にいる彼女を100%信じるべきか否かはまだ分からなかった。
だが、彼女はあの時危険を顧みず修羅場に飛び込んで、成り行きとはいえ原木を助けてくれた。
多々羅が来てくれなければ、友人に託されたものを奪われた挙句、口封じのために骸骨の化け物に殺されてとっくに食われていたかも知れないのだ。
厄介な騒動に巻き込まれたのはむしろ彼女の方で、たかが一度挨拶しただけの相手の運命など知った事ではないと考えてもおかしくないのに、原木自身が頼んだわけでもないのに今こうして同行してくれているのが、少なくとも悪い人間ではないと思える根拠だった。

「でも、原木さんが車運転できて良かった」

私免許持ってないから、と言う少女に、原木は曖昧に笑った。
実家にいた頃、家業に必要だからと親の薦めで自動車免許を取っていたのだった。
その実家も家業を継ぐか進学するかで揉めて自分から出て行く事になったが、浪人生活を始めてからは配達のバイトで弁当屋のバンを運転しており、今は恐らく立派な盗難車であろうワゴンを突っ走らせて逃亡している。
何事も身に着けておいて損はないと言うべきだが、昨日まで一応真面目に勤めてきたバイト先の弁当屋に何と連絡しようか、と原木のテンションは下がる一方だった。



さらに走っているとサービスエリアが見えたので、給油と休憩のためワゴンは迷わずそこに入った。
駐車場には車は少なく、休日なら賑わっているであろうフードコートや土産物売り場もあまり人はおらず空いている。
一刻も早く保護してくれる機関とやらに到着したい所だが、緊張状態が続いた上に慣れない高速の運転で疲れた原木には、少しでも休息が必要だった。
セルフスタンドでガソリンを入れた後、用心して交代でトイレを済ませ、二人は腹ごしらえをしようとフードコートの席に着いた。

「カツカレー温玉のせと、海鮮丼と、あんかけラーメンにします」
「一人でそんなに!?」
「だって今朝6時にバイトから帰って、冷蔵庫の牛乳しか飲んでなかったんですよ……」

男達から車もろとも奪った四人分の財布があるので、当座の金には余裕があるが、ちょっと珍しそうに食券を購入する多々羅に対し、原木の方はどうも食べる気にはなれなかった。
腹が減っていないはずはないのだが、神経が参っているせいか肝心の食欲が湧いてこない。
それでも、目の前で多々羅が美味そうに料理を平らげているのを見ていると、ピリピリしていた気持ちが多少なりとも和らいできて、軽い物なら腹に入れられそうな気がしてきた。

「せっかくだから、俺もうどんでも食べようかな」
「それがいいですよ、あ、ついでにジュースも買ってきて下さい」

はいはい、と席を立ち、食券と交換したうどんの丼とジュースの紙コップをトレイに載せて戻ってきた原木は、駐車場に面した大きな窓から表の様子を見て妙な顔をした。
さっきまで晴れていたというのに急激に外が暗くなり、濃灰色の曇り空からにわか雨が降り出したのだ。
雨足は次第に激しくなり、さらに雷のせいか建物内の照明も点滅し始めた。

「何か変な天気だな……」

原木と同様に外を見ている多々羅の表情は険しく、余程大切なものなのか、今も膝の上に横たえている細長い包みに手をやっている。

「原木さん、私から離れないで下さい」
「えっ?」
「もうそこまで来てる……多分、私達を追って来たんです!」

先程までとは打って変わって、緊迫した多々羅の声に再び外に目をやると、何十……いや何百もの人影が、雨の中サービスエリアの建物を取り巻いていた。
これだけ大勢が迫っているというのに、雨音にかき消されて気付かなかったのか、異常な雰囲気に原木は息を呑む。
アパートで襲ってきた男達の会話から、彼らに仲間がいる事は分かっていたが、まさかこんなに早く、こんな大勢で……
日が翳って薄暗い中、室内の蛍光灯の明かりが外の人影を照らし、その風貌に彼らがバスツアーの団体客などではないと一目で知れた。
枯れ木のように細い土気色の四肢はむき出しで、胸と肩を甲冑で覆い、三角形の笠で頭部は完全に隠されている。
一様に同じ風貌で手に手に槍を構えており、幽鬼の兵たちは自動ドアに殺到した。
体当たりされたガラスにひびが入って割れ、いやに生ぬるく湿った風と、大粒の雨が勢い良く吹き込んでくる。
思い思いに休憩していた他のドライバー達や、カウンターの中の従業員が悲鳴を上げた。

「逃げて下さい!!」

彼らに叫んだ多々羅は、細長い包みを握り締めて椅子から立ち上がる。
力任せに梱包を引き破くと、中から姿を現したのはなんと一振りの日本刀だった。
よく見ると鍔のあたりに鉄の鎖が幾重にも巻き付けられており、まるで刀が鞘から抜けないように施したようだった。
見る間にその鎖は高熱で炙られているように赤熱し、音を立てて千切れ飛んだ。
鞘から抜き出された刀身は紅蓮の炎を纏っており、多々羅は刃を正眼に構えて押し寄せてくる幽鬼の軍勢に相対した。
彼女は逃げるつもりではなく、自ら道を切り開こうとしていた。

「紅蓮踏鞴(ぐれんだたら)の久々の獲物にしちゃあ……これっぽっちじゃ物足りないぐらいね!」

吼えると同時に目前に立ち塞がった一人を、それこそ巻き藁でも斬るように両断した。
二つに断たれた身体が乾いた枯れ木のように炎上し、白煙を上げてたちまち一塊の灰となる。
同じ室内とはいえ狭いアパートの部屋とは違い、存分に得物を振り回せるがそれは相手も同じで、操り人形のようにぎくしゃくした動作ではあるが、統率のとれた連携でいっせいに槍を突き出してくる。
腕に覚えがあるらしい多々羅とはいえ多勢に無勢、しかも間合いの長い槍の方が有利かと思われたが、彼女は不利な条件をものともしなかった。
突き出された槍を足がかりにして跳躍し、一息で距離を縮めて槍を握る幽鬼の首を笠ごと薙ぎ払う。
間髪入れず襲い来る槍ぶすまを一太刀で叩き斬り、振り向きざまに返す刀で背後の幽鬼を斬りつける。
次の瞬間によってたかって八つ裂きにされてもおかしくない窮地だというのに、彼女の動きは計算された殺陣か演舞のようにすら思える。

「くたばれッ!! 死人ども!!」

いつしか多々羅の緋色の右目は燃えるような輝きを帯び、彼女の振るう炎の太刀筋と相まって空中に二筋の赤い軌跡を描いていた。
それに目を奪われていた原木の方にも幽鬼どもの魔手は伸びてきた。
折れそうに細い貧相な腕にも関わらず、万力のような凄まじい力で手を掴まれ、それに加えて死人のような冷たさに原木は悲鳴を上げた。
笠の下からは瘴気としか形容しようのない嫌な気配が漂ってきて、もし隠された顔を見てしまったら間違いなくろくな事にならない、と本能に訴える不吉さが胃を絞り上げた。
既に用足しを済ませていたのと、食事を胃に入れる前だったのと二つのささやかな幸運に感謝する間もなく、原木は咄嗟に片手で湯気の立つうどんの丼を投げつけた。
丼が三角の笠を直撃し、熱い出汁と麺が飛び散るが、相手は一瞬怯んだだけで掴んだ手は力を緩める素振りさえない。
もう一つ、苦し紛れに掴んで投げたのはジュースの紙コップだったが、こちらは劇的な効果を上げた。
悲鳴こそ上げなかったが、かかった飛沫が硫酸だったかのように飛び退き、原木の手は解放された。
どういうわけか、熱いうどんよりもジュースの方が堪えているようで、周囲の幽鬼達は床にこぼれたジュースの水溜りさえも忌避するように後ずさりし、近付こうとしない。
包囲網がわずかに緩んだ隙を突いて、原木は床に落ちていた刀の鞘を拾い上げ、持ち主の元へと走った。

「多々羅さん!」

二人は外に停めてある車に走ろうとするものの、後から後から湧いて出てくる幽鬼の群れが壁となり、屋内からの脱出を阻む。
そして、今の多々羅に課せられた複数の不利な条件の中で、最も重いのは原木という足枷の存在だった。
丸腰の原木を背後にかばいながら戦っているため、動作のたびに僅かな隙が生じ、それが積み重なっていくつも手傷を負っているのだ。
このままではジリ貧になり、いずれ大軍に押し潰されるであろう現状は原木自身にも分かった。
幽鬼の軍勢が全滅するのが先か、多々羅か自分がやられるのが先か。
孤軍奮闘する多々羅だが、後から後から押し寄せて来る幽鬼の兵たちを見るに、前者は期待できそうになかった。
こいつらに何か弱点でもあれば……と思うものの、今の原木には冷静に観察して分析するような余裕はなく、多々羅の後ろで身を縮めているのが精一杯だった。

「こんな大勢の仲魔を操るサマナーなんて……」
「操る……サマナー?」

彼女がヤタガラスとの電話でも口にしていた単語に、原木は鸚鵡返しに聞き返す。
こいつらを操っている……この不気味な軍勢を率いている誰かがいるのか。

「サマナーの力がどれほどのものかは分からないけど……こいつらを操っている奴がどこかに、近くにいるはずです! アパートで襲ってきた奴みたいに!」

多々羅の言葉で、自分を襲撃してきた男達の事が思い出された。
あの中のリーダー格の男が取り出した管、その中から現れた動く骸骨の化け物。
彼女の言うサマナーという単語の意味が何となく理解できたが、辺りは見渡す限り幽鬼の群れに埋め尽くされ、もはやこのサービスエリアには自分達以外の生きた人間など存在しないのではないか、と原木の背中は冷や汗にまみれていた。

(いつか観た映画では、ゾンビに囲まれてショッピングセンターに閉じ込められた主人公達は、マンホールから脱出したんだっけか……!?)

絶体絶命の状況の中、原木は必死に考えを巡らせる。
今まで何度も受けた模試でもこれほど頭を回転させた覚えはなかったが、この場を何とかして切り抜ける可能性が一つだけ思いついた。

「……多々羅さん」
「何ですかっ!?」

何の得もないのに、自分を守るために必死に戦っている彼女に対し、勝手な事だとは分かっている。
でも戦う事ができない、身も守れない自分にはこれしか方法がない――助かるには、こうするしかない。
多々羅をさらなる危険に晒すこれからの行為に、原木は心中で必死に自己弁護した。

「――ごめん!」

そう言うや否や、幽鬼の進軍を食い止める多々羅の脇をすり抜けて原木は一人で駆け出した。
危ない、と叫ぶ声がデイパックを担いだ背中に跳ね返るのも無視し、幽鬼共の動きが鈍いのを幸いに、包囲を突破しようと雨の中を転がるように走る。
何十という幽鬼の群れの真っ只中に残された多々羅がどうなっているかなど、振り向いて確認する余裕さえなく、捕まったら終わりだという一念で心肺を酷使する。
刀の鞘をやみくもに振り回し、迫ってくる幽鬼の手から間一髪で逃れながら、駐車場に停めてあるワゴンまで数mというその時だった。

「!!」

幽鬼どもの中から、医者のような白衣を着込み、黒髪を長く垂らした女が現れた。
そばに控えている幽鬼の一体が、槍の代わりに手にした古めかしい番傘を女の頭上に差しかけている。
分厚い緞帳のような前髪から眼鏡をかけた顔が覗き、実験動物でも見るような視線が原木を射抜いた。

「一人か、まあいいわ」

明らかに異様な女の雰囲気、何よりも幽鬼を従えているその様に、原木はこいつが『追っ手』だと瞬時に理解した。

「う、うああぁぁ!!」

大声を上げながらやみくもに振り上げた鞘を呆気なく幽鬼の槍に弾かれ、原木は水溜まりの中に尻餅をついた。
別の幽鬼に両腕を捻られ、容易くデイパックを奪われてしまう。
濡れ鼠ではあはあと必死に息をつく原木を見下しながら、白衣の女は嘲るように笑った。

「小娘を囮にして自分だけ逃げるとはね、その浅知恵に免じて、先に殺して欲しいか後に殺して欲しいか選ばせてあげる」

雨に打たれたせいだけではない身体の震えに耐えながら、原木はちっぽけな矜持を奮い立たせてで女の目を見返し、精一杯タフな口調を作った。

「逆だ、俺が囮になったんだよ」

なに、と女が聞き返す間もなく、原木は喉も裂けよとばかりに力の限り叫んだ。

「多々羅さーーん!! 『サマナー』はこいつだぁーーっ!! 操ってるやつはここにいるっ!!」

降りしきる豪雨の音に紛れて、屋内の多々羅に聞こえたかどうかは分からないが、なおも居場所を教えようと必死に叫ぶ原木の背中を槍の石突が打った。
刺されなかったのは幸運と思うべきかも知れないが、思わぬ事態に怒りと嗜虐心にぎらつく女の目つきを見る限りでは、それ以上の痛い目が待ち構えている事は明らかだった。

「やってくれたね、このクズが……! お前も――と同じようにしてやるよ!」

白衣の女の口から出た友人の名前に、原木は痛みも忘れはっとする。
その表情を見て取ったのか、女は皮肉な笑みを浮かべながら勿体ぶって続けた。

「『お友達がどうなったか知りたい』って顔だね? 元気で働いてるわよ、今は。 ただ『こいつらの中の誰』かは、この私にも分からないけど」

女の言葉の意味を理解し、原木の顔から血の気が引き、頭が真っ白になった。

「――てめえぇぇ!! 何て事すんだ!! 嘘ついてんじゃねえぞックソ女っぐゥ!?」

頭に槍の柄が振り下ろされ、水浸しの地面に倒れ伏した原木に、複数の幽鬼が骨も砕けよと乱打を浴びせる。
数人がかりで叩きのめされる状況に、数時間前のアパートの部屋での出来事が思い起こされた。
ワゴンから捨てられた後、彼ら四人はこの女に経緯を聞き出され、取り逃がした罰としてやはり幽鬼の仲間入りをさせられたのだろうかとうっすら思ったが、この状況下でそんな当て推量は何にもならなかった。

(ちくしょう……ちくしょう!!)

眼鏡がずれ、滲んできた涙でぼやける視界の中、女がどこからか取り出した銃をこちらの頭に向けるのが見えた。

「死ね、私の手を煩わせやがって」

白衣の女の指が引き金にかかったその時、凄まじい爆音が轟いた。
幽鬼に包囲されているサービスエリアの建物が真っ赤な炎を噴き上げて燃えていた。
厨房のガスにでも引火したのか、離れたガソリンスタンドに燃え移りそうな火勢の中、火達磨になった幽鬼が何体もさまよい歩き、松明のようだった。
原木のもう一つの意図は、自分が多々羅と離れる事で彼女が足手まといを気にせず戦えるようにする事だった。
それに気付いてくれたかどうかは分からないが、燃え盛る炎を見る原木の目には希望が宿り、多々羅が炎に巻かれて死んだなどとは欠片も思いはしなかった。
女もまさか、という顔になり、腹立ち紛れに原木を始末しようと再び銃口を向けなおす。
その手から銃を弾き飛ばしたのは、どこからともなく空を切って飛んできた短刀だった。
銃と短刀が金属音を立てて地面に落ち、短刀が飛んできた方向に女と原木の視線が向けられる。
炎の中から現れた小柄な人影は、長いものを携えて、炎と見紛う赤毛が熱風に揺れていた。
多々羅だった。

「こいつがどうなっても――」

原木を押さえつけた幽鬼に指示を出す女だったが、多々羅の手が動く方が早かった。
白いものが宙を飛び、女でも幽鬼でもなく原木に命中して、甘い香りの飛沫を撒き散らした。
紙コップが軽い音を立てて濡れた地面に転がったのと、幽鬼どもが脅えるように原木から離れるのとは同時だった。

「!?」

何が起きたか分からず目を白黒させる原木と、顔を歪ませ舌打ちする女。
幽鬼の軍勢――ヨモツイクサが、邪気を払う桃をイザナギに投げつけられあえなく退散したように、原木が偶然にも彼等を退けたのが『桃のジュース』だったと気付いた多々羅が、店から失敬して来たのだった。
多々羅は一気に踏み込んで女の側の幽鬼を斬り倒し、奪われたデイパックを原木に投げて寄越した。

「サンプルを返しなさい!『あれ』の値打ちなど知らないくせに……!」
「『死返玉(まかるがえしのたま)』の事ね」

まかるがえしのたま。
多々羅がヤタガラスとの電話で口にしていた、聞きなれない言葉だった。
あの包みの中の小さな容器に収められていた、半透明の卵の殻の欠片のようなものを多々羅はそう呼んだ。
一転して追い詰められた顔で喚く白衣の女に、多々羅は油断なく切っ先を突きつけている。

「以前、死返玉で生み出されたゾンビの群れを相手にした時と同じ感じがしたからすぐピンと来た……この大軍も同じようにして、死人から生み出されたんだって」
「どうせ生きてた所で大した事も出来ない連中さ、『再利用』すれば私の役に立てるんだから結構な事じゃない!?」
「黙れッ!!お前の考えなんかどうでもいい!!」

身勝手極まる理屈に加え『再利用』などと資源ゴミのような言い草に腹が立ったのは、側で聞いていた原木も同じだったが、多々羅が女の喉に突きつけた刀を押し込むのを見て息を呑んだ。
女が身を引いたため鋭い切っ先は喉を貫きこそしなかったが、皮膚から血が流れ、女の膝が震え出した。

「お前一人でやった事じゃないだろ……お前の他にもこんな真似をしている奴がいるのか!? 『死返玉』をどうやって手に入れたか、答えろ!!」

多々羅の右目が再び燃え、口調が徐々に険しく変化していく。
今にも本気で女の首を斬り飛ばしかねない剣幕に、先程まで殺されそうになっていた相手とはいえ、原木は止めようかどうか逡巡していた。

「た、多々羅さん、少し落ち着……」
「!!」

原木が声をかけようとした瞬間、多々羅がはっとした顔で振り向いた。
「危ない!」と体当たりされ、多々羅の小さな体越しに視界が真っ白に染まった。
背中をしたたかに打ち、先程の暴行の痛みが衝撃に上乗せされて喉の奥から呻き声が押し出される。
暗雲を漂白するような輝きの中に浮かぶ、翼を広げた人型のシルエットを多々羅は見た。
聖なる光で邪なる者を消し飛ばすハマの術は、恐らくは奴が放ったものだろう。
その射程内から咄嗟に飛び出した多々羅は、まだ目が眩んでいる原木を抱え、第二撃が襲う前に一目散に逃走した。

「……あ~あ、逃げちゃった」

この場にそぐわない暢気な声に、白衣の女は分厚い前髪をかき上げ声の方向に顔を向けた。
翼の大きさが左右で違い、体がつぎはぎになった天使に抱きかかえられた少女が、微笑んで女を見下ろしている。
いわゆるゴスロリ風の衣装に身を包んだ少女は、言葉を続ける。

「なんか建物とかすっごい燃えてない? 大丈夫だった、シコメさん?」
「私は丑込(うしごめ)だよ、いつになったらまともに人の名前を呼べるの脳みそ綿菓子女が」
「あーひどい、それって危機一髪で助けてもらった恩人に言う言葉?」
「私まで巻き添えにする気でぶっ放してくれたクソアマにはお似合いだわ」

異形の天使を従えたゴスロリの少女に軽口を叩かれ、苦々しい顔の女――丑込は吐き捨てる。
実際、とっさにヨモツイクサを召喚して盾にしなければ、自分が光に巻き込まれて塵になっていただろう。
少女は逃げた二人に天使をけしかけて追い討ちをかける事はせず、やがてバイクのものらしいエンジン音が遠ざかるのが聞こえても、建物が炎上する様を見物しているだけだった。
その素振りには、獲物にわざと逃げる猶予を与えて狩り立てるのを楽しむような気配があった。

「あんた、追わなくていいの」
「いいよ、遅かれ早かれ『向こうから』行く先を教えてくれるでしょ。
 あたしより自分の事心配してなよ、サンプルを持ち逃げされた不始末の上に200対2で遅れをとったんだからね?」
「……クソが」

その悪態が目の前の少女に対してなのか、まんまと逃走した標的の方か、恐らく両方なのだろうが、丑込は舌打ちをした。
さっきまでの通り雨は嘘のように止み、天候も次第に回復しつつあったが、追う者と追われる者どちらの側にもいまだ暗雲は重く垂れ込めていた。


(To Be Continued→)

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