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奇譚小函―きたんこばこ―

R-18 二次創作テキストサイト

俺屍サマナー

WHO KILLS DEVIL?(R-18G)


重い瞼を開けた時、眼鏡のレンズにひびが入っているのに気がついた。
泥のような睡魔から逃れ、何とか意識をはっきりさせた原木だが、首から下の身体は瞼よりさらに重かった。
起き上がるのもだるく、目だけを左右に動かして周囲を見渡すと、どうやらここはどこかの倉庫のようで、自分は床に上着を敷いてデイパックを枕に寝かせられていると分かった。
高い位置の窓から青白い光が射して、雑然とコンテナが積まれた周囲を冷たく照らしている。

「――多々羅さんっ!?」

近くに姿が見えない事にはっとして、少女の名を呼ぶ。
自分の声は思いのほか大きく倉庫内に響いた。
サービスエリアで新手の襲撃の直後、多々羅は鍵がささったまま捨て置かれていたバイクを奪い(本来の持ち主がどうなったかは考えたくない)原木を後ろに乗せて全速力で逃走したのだった。
一般車道に下りて追っ手を撒くように走り続け、その途中でまた『ヤタガラス』へ連絡を取り、トラブルの発生を伝え早急な救援を要請した。
そのあたりまでは覚えているが、蓄積した疲労と全身を乱打された負傷に心身が限界に達し、情けなくも意識を失ってしまったのだった。

「呼びました?」

携帯端末の液晶をライト代わりにつけ、それを手にした赤毛の娘の姿が闇に浮き上がった。
すぐに起きて大丈夫ですか、と言いながら、多々羅は近くに置かれた白いポリ袋の中身を探る。
ヤタガラスに二度目の連絡を入れた時、二人はついでにコンビニに寄って食料や応急手当の品を買い込み、店を出た直後に原木が倒れてしまったのだった。

「怪我はそこまでひどくなかったけど、飲まず食わずで疲れが限界みたいだったから」

一日に二度も袋叩きにされる体験を得た原木の背中や肩には湿布が貼られ、擦り傷は消毒されガーゼで覆われていた。
きっと倒れている間に彼女が手当てしてくれたのだろう。
実際には原木は負傷よりも、常人の身で屍鬼どもの瘴気にあてられたせいで衰弱しており、その毒抜きの方が多々羅にとってはたいへんな手当てであった。
背中に湿布と一緒に貼った紙の人型に毒気が移り、それが完全に黒く染まったあたりでようやく原木の顔に血の気が戻った時はほっとした。

「飲みますか? 冷めてるけどコーヒーも買ってますよ」

多々羅が緑茶のペットボトルを差し出す。
ボトルを受け取り、原木は何から何まで彼女に助けられてばかりだと改めて感謝した。
渇ききった喉に流し込む冷たい茶は例えようもないほど美味く、一気にあおってむせ返りそうになったが何とか飲み下した。

「……多々羅さん、いま何時? 俺が倒れてからどうしたんだ?」
「11時45分です。 バイクで2時間ぐらい走って湾岸の倉庫街まで来て、で、ここに隠れて待機していれば12時ちょうどにヤタガラスからの迎えが来る手はずになってます」
「そうか……迷惑かけて、ごめ」
「おにぎりもどうですか」

言葉を途中で遮られたが、空腹に勝てなかった原木は黙っておにぎりを受け取り、包装を破いた。
多々羅の言うとおりならあと15分でこの災難もおしまいという事になるが……。

「前と全く同じ生活が送れるかは分からないけど、少なくとも原木さんの身の安全は保障されるはずです」
「そっか……本当に、ありがとう」
「原木さんも体張ってくれたんだし、お互い様ですよ」

サービスエリアで包囲された時、原木がおとりになった事だった。
ろくに打ち合わせもせず独断で飛び出したのを後で弁明する機会がなく、勝手な行動を怒っているんじゃないかと思っていたが、多々羅が分かってくれた事が嬉しかった。

「……じゃあ、気をつけて。 12時になれば外で赤いライトを点滅させる合図がそこの窓から見えますから」

自分がヤタガラスの者と会うのは面倒な事になりかねないからと、膝の上に横たえていた日本刀を手にして、ひとり倉庫から出て行こうとする多々羅に原木は戸惑った。
ここで大人しく待っていればじきに保護されるとはいえ、いきなり事件に巻き込まれ化物に襲われた原木にとっては、残り15分足らずの時間でも一人になるのはあまりにも不安だった。
せめてヤタガラスの使いが来るまで近くにいてほしい、との懇願に多々羅は頷いてくれたが、原木は自分から言い出したくせに間が持たなかった。
ただ一人で刀を振り回し、幽鬼の大群を相手にしていた少女。
「多々羅さんはいったい何者なんだ?」と訊ねたくて仕方なかったが、ふと口をついて出たのは友人の話だった。
原木が災難に巻き込まれ、この少女に助けられるきっかけを作った男。
白衣の女はとっくに始末され化け物の仲間入りをしたような事を言っていたが、原木としては今でも信じたくなかった。

「あの包みの宛先からすると、俺の友達はヤタガラスの事を知っていたんだろうけど……ヤタガラスの関係者だったからあいつらを探っていてこうなったんだろうか」

多々羅は逆に、元々ヤタガラスの者なら証拠品を一般人に預けるような回りくどい事をせず、自身の手ですぐ届けるはずだと思う。
経緯は闇の中で全ては多々羅の憶測に過ぎないが、恐らく原木の友人はサマナーで、それも自分の能力に自惚れ……いや、かなりの自信を持った一匹狼だったのだろう。
奴等に近付き、あるいは仲間の振りをして潜り込み、あの死返玉を持ち出した。
それをネタに脅迫するなり、自分の目的のため利用するなり、何にせよ奴等に都合の悪い真似をしようとして睨まれる事になった。
事態を甘く見ていたのかは知らないが、彼は原木に冗談半分で証拠品を託すよりも自らヤタガラスに助けを求めるべきだったのだ……
多々羅は結局自分の考えを口に出す事はなく、原木の話に曖昧な返事をするだけだった。

「時間みたいですよ」

多々羅の声に顔を上げると、高い窓から差す赤い光が一定の間隔で点滅を繰り返しているのが見えた。
合図に応え、二人は静かに倉庫を出た。
夜中で辺りには人っ子一人おらず、かすかに潮の匂いのする霧が立ち込めている。
次第に濃くなる霧に原木が周囲を見回していると、白い靄の中に大きな影が現れ、一瞬ごとにその全貌があらわになっていく。
原木が目を凝らすと、それは三本のマストを備えた大きな船だった。
いや、砲や機銃といった兵装を積んでいるのを見るに艦と言うべきか、現存するはずもない19世紀末頃の艦船だった。
見るものが見れば、日清戦争のために海外に発注され、日本に来る途中シンガポールで消息を断ったという巡洋艦「畝傍(ウネビ)」だと分かっただろう。
それにしても原木ひとりを迎えにわざわざ艦を派遣したのだろうか、ヤタガラスというのはかなりの規模の組織のようだ。
もしかすると、保護するというのもこの艦の中に匿われるのかもしれない、海上ならば奴等の手も及びにくいだろうから。
原木が驚いている間に、艦は眼前に横付けされ、甲板から舷梯が下ろされて人が降りて来た。
暗赤色の軍服―よく見れば色以外は昔の海軍の制服と分かる―を着込んでおり、彼らは残らず仮面で顔を覆っている異様な格好だった。
他には仮面をつけていない素顔の者が数人、こちらは身なりもそれぞれ違うが、銃や刀で武装している。
その中からフードを目深に被った男が進み出て、多々羅と原木に声をかけた。

「民間人保護の要請に従い、ヤタガラスより到着した者だ。保護対象はそちらの男で間違いないな」
「はい、それと大事な証拠品ですので、この包みのサンプルとディスクも」

体格や声から男と分かるが、フードの下の顔は包帯で覆われており、露出している両目以外表情は分からない。
何やら異様な雰囲気の男だが、これから彼らに引き渡されるのだろうか。
多々羅との短い会話で、リーダー格らしいこの男の名が綱辺(つなべ)という事を知った。

「以後、彼の身柄は我々が保護する。ご苦労だった、鬼首のサマナー」
「……失礼、今、何て?」

綱辺の一言に、原木は怪訝な顔になる。
『おにこべ』? 彼女は『多々羅』ではないのか?
原木の疑問はほんの些細な事だったが、次の瞬間状況を一変させた。

「!!」

横からいきなり突き飛ばされ、地面に転がった原木の頭上を銃声と衝撃が通り過ぎた。
反射的に顔を上げた原木の目に飛び込んできたのは、立ったままの多々羅の左の脇腹が赤く抉れている、というより吹き飛ばされた箇所が空洞になって向こう側の景色が見えている様だった。
その後ろで、控えていた男が構えた散弾銃の銃口から煙が上っている。あれに至近距離で撃たれたようだった。
発砲の轟音で耳がおかしくなったのか、多々羅が地面に倒れる音が遠くから耳に届く。
弾を受けた時に飛び散った血肉と、抉れた脇腹から溢れ出た血が多々羅の着ていた白いニットを汚している。
その赤が彼女の体の下からコンクリートにどろりと浸食するのを見て、原木は自分が絶叫しているのに気付いた。
綱辺が包帯の下で口元を歪め、舌打ちする。

「誰が撃っていいと言った、間抜けめ」
「も、申し訳ありません。どうしますか、眼鏡の方は」
「この娘の他にも誰かに漏らしたかも知れん、連れて行って吐かせろ」

綱辺と部下の男の会話は原木の耳に入っていたが、動く事はできなかった。
ついさっきまで会話していた多々羅を目の前で撃ち殺されて恐慌に陥った原木は、ただ馬鹿みたいに泣き叫ぶしかできない。
おい立て、と蹲る原木の頭を銃口で小突き、言うとおりにしない相手に苛立った男は足を上げて蹴りを入れようとした。
ひゅっと風が鳴った。
片足を上げたままの格好の男の頭から、何かが地面に落ちた。
まるで帽子を落としたようだったが、それは鼻から上を横に切断された頭の上半分だった。
持ち主の体が散弾銃を手にしたままぐらりと傾ぎ、ひっくり返った。その断面からは殆ど血も出ていない。
背後から居合い斬りで頭を切り飛ばしたのは、さっき散弾で腹を吹き飛ばされたはずの多々羅だった。
焼き尽くさんばかりの視線でこちらを睨みつけ、破損して血に塗れた白いニットから臍が覗いていた。
周囲の部下がどよめく中、無惨な空洞になっていた脇腹に早くも肉が盛り上がり、一秒ごとに傷口が塞がる様を綱辺は観察していた。
あれほど泣き叫んでいた原木さえ声も出ない様子で、呆けた顔で多々羅を見上げている。

「間抜けはあんたの方だよ、最後の詰めで台詞をしくじってとんだ大根役者ね」

辛辣な言葉を叩きつけながらも、多々羅と名乗っていた少女は内心で自嘲する。
こちらが一度も本名を名乗っていなかったにも関わらず、うっかり口を滑らせボロを出した綱辺の迂闊さを笑えない。
昼間にサービスエリアで襲撃された時、自分たちの行き先が割れている事に気づくべきだった。
尾けられていなかったなら、連絡を取ったヤタガラスから情報が漏れている可能性は十分あったはずなのに。

「あんた達は何者? ヤタガラスと何の関係があるの」
「我々はれっきとしたヤタガラスの者だ。とはいえもはや組織は一枚岩ではないが」

味方の中に敵がいた事実が綱辺の言葉で確定し、改めて口惜しい気分になる。
部下が斬り殺されたというのに、この不気味な包帯男は意に介していない、その態度が多々羅の癇に障った。
それに周りの奴らの反応と違い、脇腹が抉れる深傷が再生しているのを目にしても大して驚いてもいない。

「ここ一年で有力なサマナーの集団が次々に滅びたのをきっかけに、ヤタガラスは内部の対立が激化し、それまで飼い殺しにされていた者の軛(くびき)が外れた。
 権力争いや責任転嫁に汲々している幹部連中の下にいつまでもついているほど馬鹿ではない」

綱辺は丸腰のまま喋り続けているが、周りを囲む部下達はそれぞれ武器に手をかけており一触即発の状況だ。
油断なく刀を構えながら、多々羅は傍らで蹲ったままの原木に目をやり、安心するよう視線だけで促した。
原木に伝わったかは分からないが、今はどうにかして彼の身の安全を確保しないといけない。

「血筋や権威主義に凝り固まった連中とは違う、我々はいずれ実力でヤタガラスを支配するつもりだ。近栄で化物扱いされていた君にも、その力に相応しい栄誉を与えてやれるんだぞ?『鬼首灯代』君」

つまり彼らはヤタガラスのやり方に不満を持っている一派で、死者を屍鬼として蘇らす死返玉で私兵を作り、組織からの独立あるいは造反を企てているという事だった。
それにしても、こいつらは多々羅と名乗っていた灯代の事をどの程度知っているのだろう。

「要は、自分達のしてる事を上にばらされたらマズいとビビっているわけね」

挑発する口ぶりに「ああ?」「何だと」と周囲で口々に上がる声、それを無視し灯代は必死で計算を巡らせる。
こいつらが組織の一部でも支配下に置くほどの権力があるなら、こんなに大勢で捕らえに来る事はないはずだ。
焦って途中で襲う必要もない、二人が予定通りの場所に着くのを悠々と待ち構えて、そこで好きに料理すればいい。
『一枚岩ではない』と綱辺が言ったように、もしヤタガラスからの本当の救援が動いているなら、まだ望みを捨てるには早いかもしれない。
もっとも、先回りしたこいつらに妨害されるなり殺されていなければの話だが。

「正直その通りだ、こちらも詰めが甘かったと反省しているよ。そこでひとつ、取り引きをしないか?」
「…………」
「こうなったのも何かの縁だ。君が我々の仲魔になり、忠誠と奉仕を約束するのなら、そちらの原木君には一切手を出さないと誓う。原木君は黙ってさえいれば依頼通り安全を保証される、君はその力を役立てて居場所を得られる、悪い話じゃあないだろう?」

さも親切そうに言ってはいるが、無力な原木の存在を持ち出し、武力を背景に脅しをかけているのは明白だった。
それにヤタガラスに提出するはずだった証拠品はもう綱辺の手中にある。
一対多数、相手の仲魔含めて戦力は不明、足枷となる原木の存在、彼を人質にされたら……あらゆる不利な要素が灯代の頭の中で回る。
綱辺の申し出が見え透いた嘘でも、せめて時間を稼ぐためにここは首を縦に振るべきだった。
灯代はそうするべきだった、だが。

「ふざけるなッ!!」

一喝したのは原木だった。
さっきまで弱々しく蹲っていた姿が嘘のような剣幕だった。

「俺たちの事をハメやがったくせに、なーにが誓うだ!多々羅さん、こんな奴らの言う事なんか信じるな!
 脅せばビビって黙るとか思ってんのか、舐めんなバカ野郎!お、お前らブッ殺して仇を取ってやる!!」

ヤケクソでまくし立てながら足元の死体の手から散弾銃を取り上げ、撃ち方など分からないだろうに銃身を構える。
相手に約束を守る気がないと承知でもここは取引に応じるのが賢明であり、それを台無しにした原木の行動は支離滅裂としか言いようがなかったが、灯代は原木を制止しなかった。
呆気に取られたのが半分、もう半分は、原木が「自分のため取引に応じてほしい」と言わなかった事が、矛盾した感情だが嬉しかったのかも知れない。

「原木さん」

灯代に呼ばれ、原木は肩をびくりと震わせてこちらを向いた。
怒りを奮い立たせて必死に怯えを抑えつけている表情だった。
本心からの叫びだったろうが、衝動的に刃向かったのを半ば後悔しているのかも知れなかった。

「……ありがとう」

他に言いたい事がないでもなかったが、灯代は原木に笑ってみせた。
こんな非常事態ではあったが、腹の傷が塞がっている事を気味悪がられなければいいな、と場違いな事も思った。

「交渉決裂、という事でいいかね」

包帯越しでくぐもった綱辺の声に向き直り、灯代は「聞いての通りだよ」と答える。
いっそう濃くなった白い霧の中で一気に殺気が膨れ上がった。
小銃を残らずこちらに向けている暗赤色の仮面兵からは、人間とは違う気配を感じる。
周囲の部下もいずれも手練のサマナーと見て、灯代は戦術を練り始めた。
リーダーである綱辺を人質に取れば、この場を切り抜ける事が出来るかもしれない。
一触即発の状態の中、深い霧に吸い込まれてしまいそうな、羽根が触れ合う程度のかすかな音を灯代の鋭い感覚が捉えた。
上空から降ってくるものに緋色と藍色の瞳が見開かれる。
舞い降りてきたのは大きな翼を持つ、何体もの異形の天使だった。



「こいつら……!!」

灯代と原木に向かって急降下する天使達の口が聖歌を唱うように動く。目を灼くほどの白い光が溢れる。
破魔の術の射程内にいたサマナー達は、咄嗟に結界を張り聖なる光に消し飛ばされるのを防いだ。
まともに受ければ死体どころか、不浄な肉体は蒸発したように欠片も残りはしない。
逃れようがない奇襲をかけた天使達は、満足気な微笑を浮かべた。

「!?」

白い光が完全に消え失せないうちに、それを引き裂くように小さな影が飛び出してきた。
人影が腕を振るうと鋭く細い光が走り、天使の一体が胴を両断された。
二つに分かれて地に叩きつけられる間際、天使は地面のコンクリートを剥がした分厚い防壁と、その陰に伏せる原木の姿を見た。

「一体やられた! 今どこかに隠れたぞ!!」
「しくじったか!?」

空中の天使達と地上の人間達の間に動揺が走る。
それに加えて視界のきかない霧の中にいる事が不安をかき立てたが、灯代にとっては攻勢に転じる絶好の機会だった。
「まず一人」と口の中でカウントし、次の標的に向かっていく。
天使達の動きを疾風に例えるなら、灯代は閃光だった。
かつて四人がかりでも手こずった天使。それが今、灯代一人で何体もの改造天使を相手取っている。
あの時は素早く宙を舞う天使に攻撃を当てるのも難儀したが、灯代の人間離れした身体能力は翼を持たなくとも互角以上の空中戦を可能にしていた。
髑髏顔の天使の身体を踏み台にしてさらに高く跳躍した灯代は、半身を機械化された天使が銃口の照準を合わせる間もなく、一太刀で翼を断ち落とした。
血かオイルか分からない体液が迸り、地面に衝突してスクラップと化した天使の絶叫が耳をつんざく。

「二人!」

二体目の天使を始末した灯代は、原木を発見したサマナーの一人に追いすがり、背後から刺そうとした。
しかし気配で察したサマナーは振り向きざまに召喚管を抜き放つ。緑色の光が迸り、ずんぐりした巨体に蛇の尾を持つ怪物――ヌエが襲いかかってきた。

「アオーン!! オレサマ オマエ マルカジリ!!」
「やってみろ!!」

巨体にも関わらず素早いヌエは、主人と連携した動きで灯代の接近を防ごうとする。
刀を持つ手首をヌエの爪に押さえつけられ、取っ組み合いしながらも、灯代は巧みに立ち回り敵を原木に近づけさせない。
原木は防壁から身を乗り出して散弾銃を向けるが、敵味方が密集しているせいで、灯代を援護しようにも巻き添えにする事を恐れ、撃つに撃てない。銃口が落ち着きなく揺れる。
銃を構えたまま引き金を引けず、まごまごしている原木にサマナーの男を掴まえた灯代が叫ぶ。

「私ごと撃って!」
「き、貴様!! やめ……!!」

その声に押されるように、原木は目をつぶって無我夢中で引き金にかけた指に力を込めた。
強烈な反動の上に狙いをつけるどころではなかったが、もがく男の上半身にばらまかれた散弾が当たり血肉が爆ぜた。
密着していた灯代も散弾を受けたが、歯を食いしばって堪える。瞬く間に組織が再生し、潰れた金属片を筋肉が押し出していく。

「……三人!」

生まれて初めて人を撃ち、恐怖と興奮にわななく声で原木がカウントを引き継いだ。
召喚主の意識が失くなり、制御できなくなったヌエの巨体が光の塵に分解され、小さな管の中に還っていく。管は男の手から落ち、からんと乾いた音を立てた。
灯代は男を離さず、消えかかった命の炎を吸い尽くそうとするように傷口からマグネタイトを吸収し、僅かなりとも自分の傷の回復に充てた。
咄嗟に男の体を盾代わりにして飛んできた光の矢を防ぎ、すかさず距離を取って霧の中に逃げこむ。
一対多数の乱戦に熟練した者の動きだった。

「四人! 五人!」

双剣を操るサマナーの斬撃を紙一重で躱し、伸びきった両腕を一瞬の躊躇いもなく切断する。
腕もろとも武器を失ったサマナーは、苦痛よりも衝撃に叫び声を上げた。
灯代は剣を掴んだままの血まみれの腕を空中で掴み、飛来する天使に投げつけて迎撃する。
降りそそぐ光の矢の間を縫って飛んだ剣先は、天使の喉を貫いて後頭部の光輪へと抜けた。
味方が次々倒されていくカウントに混乱が広がる中、灯代は原木をかばいながらなおも奮戦する。
濃い霧の中に目を凝らすように、船の甲板からその光景を見下ろす者がいた。

「ああ~、あの子お気に入りだったのにぃ……まさに鬼だよね」

客船ならともかく、艦船の甲板にリゾート風のパラソルとデッキチェアが置かれている様はなんとも場違いだ。
さらに場違いな事に、デッキチェアにはゴスロリのワンピースに身を包んだ少女が寝そべり、半身を起こして双眼鏡を覗いていた。
視界に存在する者の生体反応のみを映すレンズ越しには、霧も暗闇も何ら意味は無い。
その隣に立つ白衣の女、丑込が金髪のツインテールを揺らす少女の手から双眼鏡を取り上げる。

「あ、ちょっと、返してよ」

視界の中で、ひときわ強い生体反応が何者かを探しているように動いている。
丑込は灯代の意図に気付いたが、修羅場の真っ只中にいる綱辺に注意を促すような事はせず、少女に声をかけた。

「杏樹、もうじき『鬼退治』の時間だ 見ものだよ」


数に勝る相手を引っ掻き回し、優位に立っているようであったが、灯代の胸中には焦りがあった。
一人一人潰しても、孤軍でいつまでも戦っていられるはずもない。頭を潰すか、人質に取るかしなければ打開できない。
目の前に立ち塞がった人影を斬り倒して八人目にカウントした直後、灯代はそいつが暗赤色の軍服を着ている事に気付いた。
緋色の炎が燃える右目を凝らすと、その先には暗赤色の仮面兵に守られるように立っている男がいた。フードの陰から包帯顔が見えた。
灯代はチャンスに賭け、愛刀を構えて一気に駆け出した。相手もこちらに気付いたようだが構わず走る。
仮面兵は小銃の筒先を揃え、一斉射撃を行った。複数の銃声が重なってひとつに聞こえる。
身体を低くして転がったが、さすがに弾丸の全てを躱す事はできず、赤い髪が千切れ飛び、肩をかすめ、一発は太腿を貫通した。
仕損じた仮面兵が再び狙いをつけるより早く、灯代はその勢いのまま綱辺に肉薄した。
こいつには自分と原木が逃げおおせるための人質になってもらう。変な真似ができないよう片腕を切り落としてやるつもりだった。
綱辺はゆっくりとすら見える動作で武器を持たない右手を伸ばし、炎の尾を引いて迫る切っ先をその掌に刺して受け止めた。

「痛いじゃあないか」

拍子抜けするほど穏やかな声に、緋色と藍色の眼が見開かれる。
掌を刺している、それは分かっているが手応えが全くない。手袋越しだが血も出ていないようだ。刃から柄、柄から手へと不気味な感覚がぞわりと這い上ってきた。
何だ、これは。何なんだ、こいつは。
灯代は瞬時に我に返り、刀身を引き抜くか掌を斬り裂くかしようとしたが綱辺の力は意外なほど強く、紅蓮踏鞴を掴んで離さない。
片手で太腿に付けた短刀を抜こうとしたが、綱辺はその動きを見逃さず、自由な左手で何かを灯代の腕に突き刺した。ちくりとした痛み。
それは手の中に隠れるほどの注射器だった。蚊が刺した程度のダメージでもないが、中の赤い液体が体内に吸い込まれていくのを目にした瞬間、凍りつくような不吉さが灯代の背筋を駆け上った。
反射的に振り払おうと、柄を掴んだままもがいた灯代だったが、綱辺はあっさり力を緩めて刀身を解放した。
反動で地面に尻もちをつき、灯代は怒りに任せて再び斬りかかろうとする。

「――うっ……!?」

すっと血の気が引き、視界が急激に狭まる。耳元で変な動悸がする。
貧血のように足元がふらつき、倒れるのを踏みとどまった脚ががくがく震える。
息を吸っても吸っても肺に届かないようで、手足はどんどん冷たくなり、痺れたように感覚が失われていく。
さっき射たれた赤い薬のせいだと、聞かずとも理解できた。それにしても麻酔薬か筋弛緩剤か、こんなにすぐに効く薬があるものだろうか。体質が変化してから呪殺や神経への攻撃に耐性を得たと思っていたが……

「……くそっ……何なの」

悪態をつく間にも、目が回って世界がぐらぐらと揺れる。
握力が失せて取り落としそうになる刀を必死に握りしめ、酔っぱらいのような覚束ない足どりで綱辺に向かっていく。一分前までの身のこなしからは考えられない姿だ。
仲魔とサマナー、合わせて八名を斬り捨てた灯代を注射器一本で無力化した綱辺は、相手がまだ辛うじて立っているのを見ると、感嘆したように手を叩いた。
腹立たしい事に、彼の周囲を守っていた仮面兵は管に仕舞われたのか撤収している。もう脅威は除かれたから身を守る必要はないというように。

「そのざまでまだ勝つ気でいるのかね、いやいや、大したものだ」
「……もう勝った気に、なってるの……まだ……」
「丑込、好きにしろ」
「アイアイサー」

綱辺の呼びかけに対し、舌なめずりするような応答とともに、艦舷から機銃の弾丸が雨あられと降ってくる。
拳銃や小銃などとは違う威力の弾がコンクリートに撃ち込まれ、派手に破片が飛び散る。
機銃掃射で両足を薙ぎ払われ、灯代はたまらず膝をついた。手をついて起き上がろうとするが、手にも力が入らず無様に倒れる。
灯代の近くにいた綱辺も掃射の巻き添えになり、衣服にいくつも穴が開いた。常人なら即死の箇所だったが、穴からは血の一滴さえ出ておらず、平然とした様子で突っ立っている。

「はあっ……はぁっ……」

灯代は倒れたまま、浅く荒い呼吸を繰り返していた。寒くもないのに震えが止まらず、自分の心臓の音ばかりが狂ったように体内で響く。
銃弾を受けた血まみれの脚を綱辺に靴底で踏みつけられ、激痛に呻き声が押し出される。
その時灯代は、身体の負傷が回復の兆しを見せない事実に気付いた。

「『神便鬼毒酒』というのを聞いた事はあるかな? 人には薬で鬼には猛毒となる酒だが……効果の一つとして、細胞の回復を阻害し、肉体の再生を封じる力がある」

綱辺が空の注射器をちらつかせ、ご丁寧に解説する。足蹴にされながらも灯代は睨みつけたが、唾を吐きかけてやる力も出ない。
舷から降りてきた女二人が、綱辺の後ろに立つのが見えた。ひとりは見覚えのある白衣の女で、灯代に一矢報いてやり満足気にニヤついていた。
もうひとりはつぎはぎの天使に抱きかかえられたゴスロリ衣装の少女で、天使達の亡骸を見回して「うわぁ~、ザックリいってる……」と呑気にコメントしている。
綱辺は灯代の手から紅蓮踏鞴をもぎ取った。感覚を失い痺れきった手で今まで手離さなかったのが不思議なほどだったが、灯代は愛刀と共に最後の希望までも取り上げられた事を知った。

「いい刀だ、何百何千という鬼を斬ってきただけの事はある」

一度自分を刺した刀身を目の前に翳し、綱辺は独りごちる。
それはお前なんかが持っていいものじゃない、陣内様の刀に触るな、と叫びたかったが、灯代の喉からは誰にも聞こえないかすかな声しか出なかった。

「『鬼首』の最後の一人に引導を渡すには、一番ふさわしい獲物だと思わないか?」

――クソ野郎、いい気になってもう勝ったつもりでいるのか。
わざわざ自分の大事な刀を取り上げてとどめを刺そうという綱辺の悪趣味さに、灯代の中で憎悪が煮え滾り、薄れゆく意識を持ち直させた。
許せない相手への怒りが本能的な死への恐怖をも駆逐し、動かないはずの指先がかすかに動いた気がした。だがそれだけだった。
紅蓮踏鞴があるじの細い頸へと振り下ろされ、ヒトと同じ色の血潮が噴き出て赤い髪をより紅く染めた。
自らの愛刀で首を刎ねられる間際に灯代が見たものは、刀身に燃え上がる炎のような刃文の輝きだった。



「だいぶ手こずらせてくれたけど、綱辺様にかかれば小娘ひとり、呆気無いものだったわね」
「まあ、そこそこドラマチックな最期だったんじゃない?」

首領の手による処刑を見届け、丑込と杏樹がそれぞれ口にした。
そんな中、ひとり離れていたのか暗赤色の仮面兵が綱辺に駆け寄り、主人に何やら耳打ちした。
何やら急を要する報告だったらしく、綱辺は声を上げて残った部下に速やかな撤収を命じた。
「ニ分以内にこの場を離れる、急げ」との声に集まってきた部下がざわつく。

「死体はどうしますか」
「出来る限り回収して乗せろ、再利用する値打ちはある。鬼首のものは特にな……」

綱辺は仮面兵に指図し、他の死体を回収するより先に、首を失った灯代の身体を船内に運ばせようとした。
仮面兵はぼろぼろになった灯代の身体を抱え上げたが、何かを探すように辺りを見回す。
首から上がない。今し方まで死体の傍らに転がっていたはずが、どこにもない。
綱辺もそれに気付き、不審に思ったがすぐに疑問は晴れた。
首が転がっていた血溜まりから点々と、血の雫がこぼれた痕が続いている。誰かが拾い上げて持ち去ったように。
包帯で覆われた綱辺の口元が、にやりと歪んだ。

「鼠が引いていったようだ」
「ああ、あの貧相な野郎ですか……またチョロチョロと余計な事をやってくれたみたいね」

せっかく満たされた復讐心に小さなケチがついたような気持ちになり、丑込が苛立ちに顔を歪める。
そういえば原木も何か喚いていたが、戦闘が始まってからは誰も彼も大暴れする灯代一人に気をとられていたせいで、途中から原木の存在は意識の外だった。

「申し訳ありません、私が責任をもって始末しに参りますので、綱辺様はお先に離脱なさって下さい」
「あの子の眼、きれいな色だから新作のパーツに欲しかったのになー」
「あんたは引っ込んでな」

丑込と杏樹のやりとりに「いや、いい。お前たちも早く乗れ」とだけ返し、綱辺は戦利品の紅蓮踏鞴を手に舷梯を上がる。
入れ替わりに降りてきたのは別の男だったが、その顔を見て二人の女は胡散臭げな表情になった。
何という奴だったか、名前も覚えてないが、今はもう無き近栄から移ってきたサマナーの端くれというのは知っている。
その男に優越感に満ちた顔で馴れ馴れしく話しかけられ、丑込と杏樹の表情ははっきりと不快を示すものになった。

「もういいっすよ、お二人さん、鼠狩りはこの俺に任せて下がってて下さい」
「いや、あんたに聞いてないんだけど、綱辺様は何て仰ってたわけ」
「綱辺様じきじきに俺に命じて下さったので。手柄を立てる機会を横取りするのは行儀が悪くないですかねぇ?」
「ふざけるな、あたしのミスだからあたしが取り返すんだろ」
「できますかねぇ? お二人ともあの化物にやられて結構手駒減ってるでしょ?
 ……それに、アナタが遊び道具にしている死返玉は、そもそもこの俺が綱辺様に差し上げたものだと忘れないで下さいよ」
「…………はぁ?」

ミスをしたのも手駒を失ったのも事実だが、実力からいえばはるか格下の相手に舐めた口をきかれ、丑込の額に青筋が走った。
そもそも死返玉もその資料も、こいつが傘下に入る際、傾きかけた近栄から火事場泥棒同然に持ち出して手土産にしたもののはず。こいつが作ったわけでもないのに恩着せがましく言われる謂れはない。
それに一連の騒ぎが終わってからのこのこ出てきたが、今までどこに隠れていたのだ。
調子にのるな、と丑込に睨まれた男の表情にわずかに隠せなかった怯えがよぎる。

「こんな奴にイラつく事ないって、シコメさん。早く行こう」

そう言う杏樹の目は笑っていない。丑込と違い苛ついてはいないが、取るに足らぬ男だと見下しているのは明らかだった。



倉庫街をよろめきながら走る人影があった。
まばらな明かりが照らした男の顔は焦燥と恐怖が貼り付き、赤い丸いものを後生大事に抱えていた。
天使の死骸の下敷きになる形で身を隠していたのが幸いだったが、こうして彼女の首を持ち去れた事だけでも正直一生分の運を使いきった気がしていた。
疲れきった両足をやみくもに前へ前へと動かし、血の味がする呼吸に喘ぎながら、原木は自問自答する。
奴らは自分がまだ生きていると知れば追ってくるかもしれない、いや間違いなく気付いて追ってくるだろう。奴らから逃げきれるのか。逃げ切ったとしてもどこへ行けばいいのか。
そして何よりも、すでに身体から切り離された首なんかを抱えてどうするのか。たとえ医者に見せても手遅れに決まっているのに。
彼女は自分の刀で首を刎ねられる間際、折れた翼の下で必死に息を潜める原木の方を見たような気がした。
色を失った唇がかすかに動いて、声にならなかった最後の言葉は(助けて)かそれとも(逃げて)か。分からない。あるいは原木の錯覚かも知れない。
一体何がしたいんだ、俺は。しかし今はとにかく逃げなくては、逃げるしか生き延びる方法はない。

「BOW!!BOWBOW!!」
「……ひぃっ!!」

不吉な咆哮が耳朶を叩き、原木は耐え切れず後ろを振り向く。その途端後悔した。
血で染めたように赤い毛並みの巨大な犬が、猛然と吠えながら自分を追いかけているのだ。首輪に光る大きな棘がいかにも剣呑だ。
信じられない素早さで、犬は見る間に距離を詰めてくる。
原木は脚をもつれさせながらなおも逃げようとしたが、前方に人影を発見し、つんのめるように立ちすくんだ。

「見ぃーつけた、おい、見逃してほしいか?」
「…………!!」

前には得体の知れない男が立ち塞がり、後ろからは馬鹿でかい猛犬が迫ってきている。
前門の虎、後門の狼の言葉通りの状況に追い詰められ、原木はとっさに積み上げられた資材の陰に飛び込んだが、三方をコンテナの壁に囲まれ、いよいよ袋の鼠となった。
せめて何か、何か武器になるものは無いか。
原木は荒い息をつきながら、赤毛の首級をそっと足元に置き、意を決して物陰に積まれていた鉄パイプを掴んだ。
やがて観念して姿を現した原木を見て、男は堪えきれず吹き出した。
笑うのも道理だ、虎並みの体躯を誇る魔犬ガルムと、ただの人間が鉄パイプ一本で戦おうというのだから。
無力な相手をいたぶるのを楽しんでいる胸糞の悪い笑みに、原木は怒りを奮い立たせる事で恐怖を抑えようと努めた。

「GRUUUU……」
「来いよ、犬ッコロ!!」

鉄パイプを握った左手を前に出し、半ば裏返る声で原木は挑発した。
数mの距離をたやすく跳躍し、深紅の魔犬が飛びかかる。その瞬発力と猛烈な勢いに原木は反応できず、気付いた時には左腕に食らいつかれていた。
凄まじい悲鳴が迸り、原木は呆気無く手から武器を取り落としてしまう。

「っぎゃああぁぁ!! 痛ッ、痛い――!!」
「ははははっ! 情けねぇーザマだな、もうちょっと頑張ってみろよぉ?」

さっきの威勢も虚しく泣きわめく原木を男は嘲笑ったが、速やかに急所を狙わず獲物をいたぶろうとしたのが失敗だった。
鉄パイプは一本だけではなかった。袖の中に添え木のように何本も突っ込んでおいた硬い鉄パイプは、あえて差し出した左腕が獣の大顎に食いちぎられるのを防いでいた。
しかしギリギリと腕に食い込む牙の痛みは耐え難く、腕を噛み裂こうと魔犬が頭を激しく振るのに傷口を抉られ、涙と脂汗が滝のように流れる。
それでも原木はベルトに突っ込んでいた本命の武器を後ろ手に抜き、なおも獲物を離そうとしないその口の中に散弾銃の銃口を突っ込んだ。

「わああああぁぁーーーッ!!」

絶叫しながら引き金を引く。一発!――もう一発!
原木の一か八かの策は成功し、ゼロ距離で放たれた散弾は、魔犬の頭蓋を内側から粉々に破壊して血肉と脳漿を霧状に撒き散らした。

「マジかよ……ありえねえ……」

ガルムをけしかけた主人も、ただの一般人である原木が仲魔を返り討ちにするのを目にし、気圧されていた。
頭を吹き飛ばされた魔犬は断末魔に四肢を痙攣させているが、ようやく強靭な顎から逃れた原木の左腕もズタズタに噛み裂かれて鮮血を滴らせていた。
凄惨な形相の原木は男に銃を向け、引き金を引いたが――今度はカチン、という音しか出なかった。
カチン、カチン、何度やっても弾は出ない。原木の顔に驚きと焦りが浮かぶ。装弾数など考えていなかったし、もし予備の弾丸があったとしても、装填のやり方など知っているはずもなかった。
一瞬だけ戦慄したが、弾切れで切り札を失った事を確信した男は、原木を殴り倒した。

「生意気に一杯食わせやがって、クソ雑魚がよ……!」

自業自得であるが、完全に舐めてかかっていた相手にしてやられた怒りに加え、丑込と杏樹に白眼視された腹いせもついでにぶつけてくれようと、逆上した男は鉄パイプを拾い、丸腰の原木をなおも殴りつける。
他にも仲魔のストックはあったが、自分の手で殴って鬱憤を晴らさなければ気が収まらない。

「どいつもこいつも舐めやがって! 近栄にいた時からそうだ、あんな連中と俺と、何が違うって言うんだよぉ!」

鉄パイプを何度も振り下ろしながら男は喚き立てたが、原木が答えられるはずもない。
死闘で重傷を負った上に乱打を受けてぐったりしていた原木だったが、男が肩で息をしながら物陰から何かを引っ張り出すのを横目で見て、顔色を変えた。
それは多々羅、いや鬼首の生首だった。赤い髪を乱暴に掴まれ、ゴミのように地面に放られる。

「てめえ、何て事……」
「近栄じゃ散々ビビらせてくれたが、この化物ももう運の尽きだな、ははっ、ザマァねえわ!」

調子づいた男は首を踏みつけ、サッカーボールのように蹴り飛ばす。ボールのようには弾まず、硬い地面に顔がぶつかってわずかに血が飛んだ。
原木への復讐はともかく、もはや抵抗もできない死者の生首に対するこの蛮行は常軌を逸していた。
それは彼女への恐怖の裏返しでもあるのだが、原木は義憤に焼かれながらも痛みで身体を起こす事さえできない。
好き放題に相手を傷めつけた事で少々冷静さを取り戻した男は、原木に向かって宣告した。

「首の回収を優先しろと言われてるからな、お前の方の生殺与奪は俺が決めてやるよ、ぼちぼち死――」

語尾が途切れ、男は周囲を見回す。
かすかに響くバイクのエンジン音が耳に届き、それが徐々に近づいてくる。
追っ手の増援か、と原木は身を固くし、男は焦りと困惑が半々の表情で霧と闇の向こうを凝視する。
味方ならばせっかくの手柄を奪われかねない、そしてもし敵なら、そいつは……。
霧と闇の緞帳をハイビームが切り裂き、魔犬の咆哮に劣らない轟音と共に大型バイクが姿を現した。

「!!?」

密林から飛び出してきた猛獣のようなバイクは、咄嗟の判断が遅れた男に正面衝突し、さらにフルフェイスの乗り手はその場で車体を旋回させ、倒れた男の両足を駄目押しのように轢いた。

「うげっ!! あぎゃあああ!!?」

悲鳴を上げてのたうち回る男を尻目に、バイクは倒れた原木の前で急停止する。
先ほど蹴り飛ばされて男と距離が開いていたため、地面に転がった少女の首はタイヤに踏み潰されるのをすんでの所で逃れた。
正体不明のライダーがフルフェイスのヘルメットを取ると、淡い色の髪が流れ落ち、あらわになった端正な素顔がライトに照らされた。

「君が、原木さん……で良かったかな?」

髪は長いが、よく見ると声も体格も男のものだ。
原木は何が何だか分からないまま頷いたが、それだけの動作にも苦痛を伴った。
新手の優男はバイクをアイドリングさせたまま足元の首をちらりと見下ろすと「ちょっと時間に遅れたけど、手遅れじゃなくて良かった」と独白し、こう名乗った。

「誰だ?って聞きたそうな顔してるんで自己紹介しておくよ、俺は『鴉の羽裏』の乃木綾人。そこの灯代ちゃんの連絡を受け、ヤタガラスの命によって君達を救援に来た」


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