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奇譚小函―きたんこばこ―

R-18 二次創作テキストサイト

俺屍サマナー

AWAKEN


零下の温度の中、蝶が舞い降りてきた。
冷気と死の匂いに惹かれて寄って来たチョウケシンが一羽、二羽と灯代の周囲を飛び交う。
瀕死の肉体からもうじき魂が羽化し、自分達の仲間に加わるのを待ちきれないように。
いつもの灯代なら容易く仕留められる悪魔だったが、指一本動かせず集られるままだ。
傷口から溢れ出る血は凍りつつあったが、死の国の蝶たちはかまわず生気を啜りにくる。
灯代にとっても今更血が止まった所で何にもならなかったが、目を背けたくなる程の腹部の裂傷を見なくて済んだのはある意味幸いだったかもしれない。

(動けない……それに、手が……)

右腕は継承刀を握り締めたまま白く凍りついていた。
巨大な亀の姿をした水棲の魔獣・タラスクの吐く冷気は、サマナー達が予想していたよりも遥かに強力で、結界を容易く突き破り正面にいた前衛を氷像と化した。
灯代も一瞬の判断ミスで得物を捨てなかったのが災いし、冷気に触れた刀を伝って右腕を凍らされたのだった。
逃げる事も抵抗する事もできないまま、氷像達はあっけなく太い前足に踏み砕かれ、硬い鱗に圧し潰されていく。
仲間を目の前で蹂躙され、灯代は居ても立ってもいられずやみくもに突進した。
その獅子に似た頭は前方の灯代ではなく、新たな結界を張ろうとする生き残りのサマナー達に向けられていたせいで、灯代を迎撃したのは氷の吐息でも鋭い牙でもなかった。
巨体の半分を占める長大な尻尾が唸りを上げて鞭のように飛び、小さな身体に叩き付けられた。
タラスクにとっては鬱陶しい小虫でも払うようなものだったろうが、灯代はひとたまりも無かった。
肩から腹にかけてまともに受けた致命傷に、上半身と下半身はほとんど皮一枚で繋がっているだけで、左腕は肘から千切れ飛んでいた。
地面に投げ出され、痛みよりも先に来た衝撃を和らげる術もないまま、灯代は自分の左腕がタラスクの下敷きにされるのを他人事のように見ていた。

(どうなるの、私)

ここまで死に近い状況に置かれるのは、人生で二度目だった。
曽祖父が逝去した直後、鬼首家がダークサマナーに襲撃を受けたあの時は、継承刀を抜く間もなく不意打ちでやられたんだったな、と思い出す。
激痛と出血で意識を失っていたはずだが、右目がひどく熱かった事だけ覚えている。

(そうだ……あの時は、陣内様が……)

灯代の仲魔が、タタラ陣内がその御魂と引き換えに灯代の命を救ってくれたのだった。
生まれ持った藍色のままの左目とはまるで違う、陣内の隻眼と同じ緋色に変化した右目がその証だった。
それなのに今ここで無為に野垂れ死んでは、陣内も何のために助けたのか分からないだろう。

(陣内様……がっかり、してるかな……私がこんなざまで……)

誰も助けられず、敵に一矢報いる事もできず、何も為せないまま死ぬのだろうか。
父様も、母様も、従兄様達も、あの世で不甲斐ない私を許してくれるはずがない。
陣内様は、こんな死に方をさせるために私を助けて下さったんじゃない。
日生さんに、近栄に、まだ何のお役にも立っていない、私は何も返せていない。

(まだだ! まだ! 私は!! こんな所で……!!)

死に瀕する灯代を支配していた感情は、恐怖でも絶望でもなく『怒り』だった。
大切なものを害する敵への、理不尽な運命への、何も出来ない自分へのやりきれない怒りだった。
悲痛なまでの怒りが血を沸騰させ、闘争本能を掻き立て、自身の魂までも燃やし尽くそうとする。

(二度と……二度と負けるものか! やってやる! 戦ってやる! 今度こそ私の手で守れるなら、どうなってもいい……全て斃してやる!!)

魂の叫びに呼応するように、灯代の右目に緋色の炎が宿る。
それは燃え尽きる間際の蝋燭が一際大きな炎を上げるのと同じ、少女の最期の生命が燃える炎であっただろうか。
動かない身体が熱いと感じたのは、度を越した低温に晒された神経の誤認のせいではなかった。
熱いものが身体中に満ちてくる感覚に、灯代は初めて紅蓮踏鞴を抜いた時の出来事を思い出した。
いや、あの時よりも遥かに激しく、全身の細胞の一つ一つが燃え上がっているようだ。
凍りついたはずの右手の指先に再び血が巡り始めているのに気付き、継承刀を握る指に力を込めた。
傷口に群がっていた蝶たちが空中で火を吹き、黒く焼け焦げた羽が次々と地に落ちる。
背後で膨れ上がる殺気を本能で察知し、進撃を止めたタラスクが警戒の唸り声を上げた。
倒すべき敵の姿を捉えた藍色と緋色の眼が、確固たる戦意に輝いた。



生き残り、近栄の屋敷に戻ったサマナー達は、誰もが青ざめた顔で、微かに震えている者もいた。
死地から生還した今になって恐怖が甦ったのでも、骨まで凍える冷気がいまだ残っているのでもない。
彼らの恐怖に満ちた視線の先にいるのは、灯代だった。
大きく引き裂かれ、元の色が分からないほどどす黒い血に染まった服はボロ布と変わらない。
そこから覗く肌にも同じように血がこびりついていたが、タラスクの尾に薙ぎ倒された到底助からないはずの致命傷は陰も形もなかった。

……突然現れた強い炎の気配が、タラスクの吐き散らす冷気とぶつかり発生した凄まじい蒸気が周囲を覆う中、死闘は始まった。
白い靄の中を赤い炎の軌跡が乱れ飛び、後を追うような立て続けの破砕音、そして獣のような雄叫びと狂ったような哄笑が響いた。
やがて蒸気が晴れ、決着を目にして生き残ったサマナー達は息を呑んだ。
それなりに腕に覚えのある前衛を一瞬で粉砕し、縦横無尽に暴れ回っていたタラスクが、堅牢な甲羅を力任せに叩き潰され、四肢はだらりと投げ出されていた。
一太刀で切断された尾は本体とは対照的に、切り離された事にまだ気付かないようにのたうち回っていた。
そして、この殺戮をやってのけた鬼首のサマナーが、右手の刀を杖がわりに突いて立っていた。
腹部の傷は完全には塞がっておらず、出血のためか眼差しも虚ろだったが、右目にはまだ炎が燃えていた。
どよめく近栄のサマナー達が、それにも増して信じられないものを目撃したのはその直後だった。
左腕を失った灯代は、戦場に転がっていた凍傷にまみれた誰かの腕を拾い上げ、自分の切断面に押し当てた。
気が変になったかと思われたが、灯代の身体にあてがわれた他人の腕の指先がかすかに蠢き、やがて拳を握ったり開いたりし出すのを目にしては絶句せざるを得なかった。
屋敷に戻るまでの間にその腕は灯代の身体に馴染み、肌の色や爪の形まで、恐らくは指紋までも灯代のものと同じになった。

――人間ではない。
――あんなとんでもない馬鹿力。
――自分のものならまだしも他人の腕を、術も呪具もなしに。
――鬼の血が混じっているというのは、本当だったのか。

無言のうちに注がれる畏怖と好奇の眼差しを、灯代はただ黙って一身に受け止めていた。



「……命拾いしやがったなァ」

大江ノ捨丸が吐き捨てるように呟いたのは、当主代行にタラスク討伐の報告を終えた男が部屋を出て行った直後だった。
その言葉が誰に対するものなのか、日生は訊かなかった。
さっきまでここにいた男は、今回の任務に参加していたサマナーの一人。
そして、鬼首家襲撃の際に同胞が犠牲になり、生き残りの灯代を近栄で保護するのを反対していた一人だった。
『現場の判断』で灯代を前衛に遣ったと連絡を受け、どういう事だと声を険しくする日生に男はこう答えた。

「『当主代行』が何を命令したか忘れたとは言わせませんよ。 あんただっていつまでもあの子の顔を見ていたくはないでしょう? それとも何ですか、今更友情に目覚めたとでも」

傷口を抉るような言葉に、日生は手にした携帯電話を握り潰さんばかりだった。
だが、任務が終わってその目論見は見事に覆された。
仇の一族の少女を未必の故意で死なせようとした当てが外れ、それどころか皮肉にも異能の血に目覚める手助けをしてしまったなど、誰が予想できるだろうか。
その異常な怪力と驚異的な回復力を間近で目にした男が、上着の色が変わるほど冷や汗に濡れた背中を晒して退室した様を滑稽と思う余裕もなく、当主代行は席を立つ。

「どこ行くんだ」
「……鬼首の所へ、『よくやった』って一言ぐらいかけてやらないとな」

私にはそれぐらいしか出来ないから、という日生の自嘲めいた呟きを、捨丸は聞かない振りをした。



少しでも恩を返せるように、自分に出来る事を精一杯やろう。
私がもっともっと頑張れば、成果を出せば、日生さんも周りから認められるはずだから。
目覚めた鬼の力に慄くどころか、逆にこの異能を活用しようと固く決意した灯代は、戦いを経るごとにより強くなっていった。
危険な場所に一人で出向いて、不死身の囮役となる。
仲間が危なくなれば、小柄な身体を躊躇いなく投げ出し盾となる。
そして、敵をどこまでも追い詰めて刃を振るい首級を取る。
一番の懸念だった人材の消耗率は減少し、確実に悪魔を仕留められる大きな戦力が加わった事で、近栄は討伐任務を安定してこなせるようになった。
灯代は自分の役割を懸命に果たし、当主代行の命じるまま何度も死地に赴き、そのたびに生還してきた。
『サマナー』でありながら、灯代は管を使わず仲魔を持たなかった。
適当な悪魔を管ごと与えられていたにも関わらず、召喚管が懐から抜かれる事はなかった。
当主代行と同じく、召喚の才が無いのかと噂されていたが、その理由を察しているのは引き合いにされた日生だけだった。
タタラ陣内を失った痛手から、まだ立ち直れていないのだと。
仲魔を道具と割り切って使役する近栄の方針からすれば、いささか甘いのかもしれないが、「かえって足手まといだから」と仲魔を持たず戦う理由に皆納得したのは、単独でも十分に強い灯代の力量のお陰だった。



当主代行に呼ばれた灯代が彼女の部屋を訪れた時、先客がいた。
あんなのを人間と見られるか、いつ爆発するか分からない爆弾と同じだ、と二人の男が険悪な様子で何やら詰め寄っている声が外まで聞こえてきた。
聞かなかった事にして後で来ようかと反射的に思ったが、灯代はわざと大きな声で「失礼します」と襖を開けた。

「お、おい……」
「……!!」

灯代の姿に気付いた二人はぎょっとした顔をして、逃げるようにその場を立ち去った。
さっきまで彼らがまくし立てていた『あの化け物』『当主代行の番犬』という呼称が、自分を指しているのだと灯代は知っていた。
灯代は努めて何でもない顔を装い、気付かなかった振りをして日生に挨拶した。

「お呼びですか、当主様」
「よしてくれ、私は『代行』なんだし、二人きりなんだから普通の呼び方でいい」

先輩に苦笑され、灯代は「ごめんなさい、日生さん」と笑う。
日生を当主として立てようと、公の場では殊更恭しい態度で接している灯代だったが、当の本人には毎度こんな風に言われている。
いつの間にか日生の傍らに現れた捨丸が「同感だなァ、上っ面なんてすぐ剥がれるもんよ」と皮肉な軽口を叩き、主人がそれを咎めるのを灯代は普段どおりの穏やかな顔で見ていた。
ただでさえ多忙な当主代行に要らぬ心配をかけまいと、灯代は努めて明るく振舞っていたが、今の近栄で最大戦力として貢献する少女は、それ以上に同族のサマナー達から腫れ物扱いされていた。
前回の任務で『ヒト』への攻撃をためらった若手のサマナーが反撃を食らいそうになり、横から飛び出してきた灯代がダークサマナーの首を脊髄ごと引き抜いた時、その場にいたのが先程の二人組だった。
灯代は自分の家族を奪った(と聞かされている)ダークサマナーと呼ばれる者を憎んでいるとはいえ、人間を殺める事への禁忌さえ捨てたと見なされ、化け物と謗られるのも道理だった。
それに加えて、彼らが灯代を恐れる理由は他にもあった。

(もう済んだ事とはいえ、隠し通すのに苦労したな)

嫌な記憶が甦りそうになり、日生は内心で溜息をつく。
以前までは、自分が陰でされている事を間違っても灯代に気付かれてはいけないと、何かと神経を使っていた。
近栄家の中で、無能な当主代行と憎悪の対象にされ屈辱的な思いを味あわされても、それでも近栄を存続させるのに必要だからという一念で日生は耐えていた。
灯代が戦列に立つようになってから、当主代行が鬱憤晴らしの標的にされる回数は次第に減り、捨丸が主人と一緒に残酷な余興に使われるような事もなくなり、今となっては当時の事には触れない空気が暗黙のうちに出来上がっている。
灯代が上げる戦果で精神的に余裕が生まれたからという理由の他に、当主代行に懐いているあの化け物に勘付かれたら何をされるか分からない、という恐れもあったのだろう。
いずれにせよ、日生と捨丸にとって多少なりとも状況は好転したといえた。
他者の苦痛を好む性分で、その対象が召喚主でも構わないとはいえ、日生が同じ近栄の人間にあんな目に遭わされるのは、近栄を守るため生み出された氏神には耐え難かった。
今度の任務について話している日生と灯代から少し離れ、僧形の骸骨は二人の少女を眺めていた。

(気付いてねェなァ、気付いてたらこの期に及んで無知な間抜けの芝居をする理由なんざねェだろうからなァ)

今や近栄のサマナー達が鬼首を見る目は、おぞましい屍鬼である自分を見る目と変わらないものだったが、実際その通りだと捨丸は思う。
魔除けの紋様を全身に施さなければ捨丸の瘴気に耐えられなかった新米が、淀んだ呪詛に満ちた空気を物ともせず白骨城の中で暴れ回っていたのは、鬼の血に目覚めてどのくらい経った頃だったろうか。
一日ごとにヒトから離れていくのを灯代自身も気付いているのか、最近はあまり他人と関わろうとせず、屋敷の近くの竹林か裏手の山で一人でいるか、屋敷にいても部屋に篭る事が多くなった。
捨丸と契約するまでのかつての日生と同じように、目立たず関わらず、自分を押し殺しながら灯代は生きていた。
自分がもっと頑張れば、もっと多くの敵を倒せば、きっと皆が助かると、皆から認められると、それだけを支えにして。

(……甘いんだよ)

自分の努力ではどうにもならない事があると、日生は十数年の短い半生で、捨丸は千年に及ぶ氏神としての生の間に知りすぎるほど知っている。
だが、灯代はいまだに甘い理想を信じ、正義で人を救えると思い、世界の残酷さを知らずにいる。
正しい行いが必ず報われるなら、その陰で踏み躙られ泣く者などいないというのに。
灯代一人がいかに骨身を惜しまず戦い続けようと、近栄という大きな集団の衰退を止める事はできず、先延ばしにするのがせいぜいだと、その衰退に拍車をかけた原因でもある当主代行とその仲魔は誰よりも実感していた。
せめて、彼女にとっての師であったタタラ陣内が側にいれば、残酷な現実に直面しつつある灯代を諭し導いていただろうが、今となってはそれも叶わぬ事だ。
近栄のため生み出された氏神として、千年の間家を支えてきた捨丸と、近栄に一族を滅ぼされながら、それを知らぬまま『当主代行』のため尽くそうとする灯代。
彼らのよすがである、近栄家最後の当主になるであろう女は、罪と痛みと不安を内側に押し込め、かろうじて真っ直ぐに立っていた。

「……全部で十四体、索敵はこちらで引き受ける、見つけ次第全て倒せ、いいな?」
「はい、頑張ります!」

日生に命じられた任務内容は、到底一人で達成できるようなものではなかったが、緋と藍の眼に恐れは微塵も無い。
その眼にかすかな愉悦の色が浮かんでいるのを見て取った日生は、雑魚悪魔をいたぶる際の捨丸と同じ雰囲気を感じて背筋を寒くした。
いつまで彼女の事を後輩サマナーとして、自分と同じヒトとして見ていられるのか、日生自身にも分からなかった。
せめて、自分を信じている灯代から最後の希望までも奪ってしまわないように、自分の弱さに耐えかねて彼女を余計に苦しめる事にならないようにと、日生は自分に言い聞かせた。

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