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奇譚小函―きたんこばこ―

R-18 二次創作テキストサイト

俺屍サマナー

SATURDAY NIGHTMARE SPECIAL


天窓から月明かりが差し込むのを眺めながら、男は全身の痛みと失血からくる寒さに耐えていた。
埃の積もったカビ臭い床に転がされ、白いスーツが台無しにされたのが耐え難かったが、膝下を染めている撃ち抜かれた両脚からの出血の方が余程深刻であり、後ろ手に手錠をはめられている以上どうにもできなかった。
よく見れば端正と言える顔は私刑でこさえられた青痣であちこち腫れ上がり、ブランド品のサングラスにもヒビが入っている。
得物も携帯も、全ての道具を奪われ処刑を待つばかりの男は、裏切り者として惨殺されるよりも失血死を迎える方が早そうだった。


男がそれまで身を置いていた組織――ファントムソサエティ支部の幹部が何者かに倒された後、その混乱に紛れて配下のサマナー達は散り散りになった。
ある者はサマナー同士のいざこざで死亡し、ある者は別の組織に鞍替えする中、組織の追っ手からあてどない逃亡を続けていた男に声をかけたのは、かつての先輩だった。
稼げるシノギがある、お前にとっても悪い話じゃない――
その『シノギ』とは、ヒトに近い姿の悪魔を生け捕りにし、マグネタイトを吸い上げて魔力を弱める首輪をつけさせ、悪趣味な金持ちに売り飛ばすというものだった。
要は奴隷売買だが、人間ではないのだから彼らに人権はなく、この非道が法で裁かれる事もない。人一人監禁するとなると手間も費用もそれなりで、足がつく危険もあるが、閉じ込めておける召喚管を追加で売りつけてさらに利益を得るというわけだ。
超国家機関ヤタガラスの方で妙な動きがあったようで、いざという時の頭数として雇われた男だったが、幸いというべきか、余所のサマナーと出くわしたりヤタガラスに嗅ぎつけられるトラブルもなく、『商品』は楽に手に入った。
しかし、男に渡された報酬は、先輩が自慢げに喋っていたシノギの額面に比べれば呆れるような端金だった。
話が違うと抗議した男に、たいした仕事もしていない新参にはそんなものだ、と木で鼻をくくる返事をしたまでは許せた。
だがその後に続けられた、「『組織』から追われてるお前を匿ってやったのが誰か分かってんのか? お前の心がけ次第だから、今後も役に立ってくれよ」という足元を見た一言が男の神経を逆撫でした。
檻の中に閉じ込められ、「どうしてこんな目に、巣に帰してよ」と泣いている蝙蝠羽の少女に、男はこう言ったものだった。

「堪忍なぁ、お嬢ちゃんの事はほんまに気の毒やと思うけど、おじさんはお金の方が大事やねん」

金の方が大事。それは紛れもなく本心だった。
だから男はこの一件を内部告発という形でヤタガラスに密告し、先輩とその一味を売った金で報酬の埋め合わせをしようとした。
正義感とは程遠い利己的な理由だが、ただ、人の金玉を握ったつもりでいる阿呆にいいように使われるのは我慢ならなかっただけだ。
裏切ったからといって恨まれる筋合いはない、こんなやばいシノギを舐めてかかった授業料だ――と思っていた男だったが、実際はそう上手く行かなかった。
事が露見し、先輩とその一味による私刑に遭い、さんざん袋叩きにされて今に至るという訳だった。
血が滲む唇からやりきれない独言が漏れる。

「クッソォ……滅茶苦茶やりくさって……金を二重取りしようとしたのがそんな悪いんかい……」
「そんな事したからやられたんですか」

頭の上から少女の声がした。目玉だけを動かして確認すると、声の主は十代半ばと思しき赤毛の娘だった。首にマフラーを巻き、小柄な体に似合わない日本刀を提げている。
彼女が刀の柄に手をかけた直後、男の目には一瞬閃光が走ったようにしか見えなかったが、居合い斬りで瞬時に手錠は断ち落とされ両手が自由になった。
少女に助け起こされ、脚の傷を止血されながら男は悪態をついた。

「こんなガキ一人寄越してからに……ヤタガラスはどんだけ人手不足やねん」

しかし、見た目で実力を計る事の愚かさはサマナーの端くれである男も理解していた。実際、気配もなく地下室に侵入してきた事といい、先程の剣技といい、ただ一人で救出に来たのも納得できる。
耳慣れぬ訛りに少し戸惑った様子で、少女は「ガキとは何ですか、私は鬼首灯代です」と言い返す。よく見るとその眼は左が藍色、右は緋色と色が違っていた。

「正確に言うとヤタガラスじゃありません、上の方ではもうしばらく泳がすつもりだったみたいですけど、ある筋から個人的に私が依頼を……」
「どっちでもええわ、助けに来てくれたんなら御の字や」

灯代と名乗った少女の背後から顔を覗かせたのは、ひと目で人外と知れる蝙蝠羽を生やした銀髪の少女だった。紫色の眼が警戒半分怯え半分の表情で阿久津を見下ろしている。
「おじさんが逃してくれたってちゃんとヤタガラスの人に言うんやで」と恩着せがましく言い含めた甲斐はあったようだ。彼女の姉妹がまだ囚われの身であるだけに、一人で逃げる事はないと踏んでいたが。

「そうだ、これ返しておきます。 あなたのものなんでしょ?」

灯代は小さな金属片を手渡した。
一対の小型発信機と受信機が仕込まれたネクタイピン、少女を逃がす際にその片割れを託しておいたおかげで、ヤタガラスの目を眩まそうと場所を移されても易々とここを突き止められたというわけだった。
何でも備えあれば憂い無しやな、と男はタイピンを付け直したが、せっかくの上等なネクタイもスーツも血と汚れでひどいものだった。

「あなたをこうした連中と、捕まってる悪魔はどこに……」
「上や、今ちょうどオークションの真っ最中やろ」

約束の『商品』を早々に売り渡し、逃亡資金を作る必要があった。そして……
ふと、少女の眉がひそめられる。その鋭敏な耳が捉えたのは地下へと続く階段を降りてくる二人分の足音。

「俺を連れ出しに来たんやろな、オークションの余興に、人が生きたまま食われるのを見せるとか言うとった」
「とことん悪趣味ですね」

しばらくじっとしててね、との言葉に銀髪の夢魔は素直に頷き、自ら召喚管ごと少女のポケットに収まった。
そうこうしている間に鍵が開けられ、黒スーツの男が二人入ってきた。

「よぉ、阿久津ぅ~、お待ちかねの処刑タイムだぜぇ~」
「あと5分あるから、待ち時間に最後の煙草ぐらいは吸わせてやるよ…… あれ?」

転がされているはずの裏切り者がいないのに気付き、狼狽する間もなく二人の男の脳天に刀の鞘が振り下ろされた。白目をむいて倒れた元仲間の懐をすかさず探り、阿久津と呼ばれた大阪弁の男は得物を取り上げる。管は召喚主本人でなくては使えないため、二丁のオートマチック拳銃の弾倉を確認してベルトに差し込んだ。

「よっしゃ、行こか」
「えっ、そんな体でやる気ですか……? 安全な所にいた方が」
「このまま帰ったら治療費だけで赤字やねん、それに俺にかて奴らにやり返したる権利はあるやろ」

灯代は何も言わなかったが、代わりに何か丸いものを投げて寄越した。生命エネルギーが凝縮された『生玉』と呼ばれるものだ。
阿久津の言い分に身勝手ながらある種の矜持を見たのか、灯代は無言のうちに共闘を認めた。



何十年も前のバブル期に金に飽かせて建てられ、今は廃墟と成り果てた郊外の美術館。
その館内で密かに行われている闇オークションは宴もたけなわ、法外な値段で競り落とされているのは絵画や彫刻にも劣らぬ見目の良い悪魔ばかりであった。呪文が刻まれた鎖が何重にも巻き付けられた檻の中、俯いた美貌を塗りつぶすのは無念、諦念、そして絶望……。
参加者の中には名の知れた議員や芸能人の姿も見られ、一様に後ろ暗い欲望に歪んだ笑みを浮かべていた。

「この前買った妖精も楽しめたが、今回の目玉商品の銀髪の姉妹もそそられるなぁ……何なら選挙資金を引っ張ってきてでも……」
「前は某国から孤児を買ってましたが、ここは品質が違う! それにヒトと違って滅多な事では死にませんからな」

嫌でも耳に入る醜悪な会話に、一時とはいえ片棒を担いでいた阿久津も苦々しい顔になる。
灯代も居合わせた客を一人一人念入りに殴りつけてやりたかったが、今やるべき事は他にあった。

「『ザントマン』」

灯代の手にした管から、三日月型の頭部を持つ悪魔が現れた。灯代と阿久津が潜む吹き抜けの天井の梁から、眼下のオークション会場へと担いだ袋の中身を振り撒いていく。
催眠効果のある細かな砂が目に入ったが最後、瞼を開けられなくなり客達はたちまち眠りに落ちていく。次に彼らが目覚めた時はヤタガラスにしょっ引かれているというわけだ。
これから一悶着始まるのに備え、騒がれると面倒な一般人を黙らせた灯代だったが、さすがに売り手側は異変に気づいたようだった。
舞台の上で「商品を下げろ、仲魔を出せ」と指示を飛ばしている格子柄のスーツの男が、阿久津の言う『先輩』、つまり奴隷売買の一味の首謀者だろう。
状況に対処する間を与えず、全ての照明が落とされ、会場が闇に包まれた。

「やったホ~!」
「ナイスタイミングだね、ボクら」

配電盤の前で、ジャックランタンとモコイがハイタッチする。
バックヤードに忍び込ませた灯代の仲魔が、頃合いを見てブレーカーを落としたのだった。
驚異的な身体能力を発揮して梁から飛び降り、その勢いのまま灯代は刀を抜いて舞台へと突進する。彼女の眼には暗闇など障害にはならず、夜目が効かずまごつく相手を一方的に斃していく。
しかし、無我夢中で管を抜いた男が居た。緑色の光が迸り、全身に雷の気を纏った巨体が姿を現す。
鬼の顔を持つ巨大な蜘蛛、その帯電した肢と空気が触れて燐光を放ち、周囲を照らし出した。

「やれ! ツチグモ、阿久津の前にそいつから食い殺せ!」
「面白いですね、そうこなくちゃ」

剛毛の生えた節足が異様な素早さで蠢き、獲物を捕らえんと粘ついた糸を吐き出す。灯代は不敵な笑みで糸を躱しながら、マフラーをなびかせてツチグモの肢から肢へと飛び移り、その度に振るう刃先が閃光と化して煌めいた。
四方から襲い来る肢の先の鉤爪が、灯代の体をずたずたに引き裂くかと思われたが……

「GUAAAHHHH!??」

目にも留まらぬ早業だった。灯代の刀に肢を節々で切断され、ツチグモの巨体がバランスを保てず崩れ落ちる。
残った肢で攻撃を仕掛けようとあがく敵にとどめを刺そうとした灯代の背後から、奇襲を免れた黒服の男が管を向ける。
殺気を察知した灯代が後ろ手に短刀を投げつけるより早く、銃声が響いた。

「後ろにも注意しいや!」

梁から降りてきた阿久津の援護射撃で掌に穴を開けられた男を尻目に、灯代はツチグモの頭に刀を突き立てる。
――制圧を終えた灯代が指先に炎を灯して合図をすると照明が戻り、やがて仲魔が駆け寄ってきた。囚われている悪魔の保護を彼らに命じ、愛刀に付着した蜘蛛の体液を拭い落とした。
阿久津の視線が倒れている男達の顔を一人一人なぞり、やがて舞台裏の開いたままの非常口へと向けられた。

「……どうも一人だけ、うまいこと逃げよったみたいやな」



後生大事にトランクを抱えて這々の体で会場を脱出し、地下駐車場に停めてある車に乗り込んだ首謀者の男は、なかなかエンジンがかからないのに苛立ちながら忙しなく足踏みをしていた。

(畜生……! なんでここをヤタガラスが突き止めたんだ!? やっぱり阿久津の野郎をブッ殺しておくべきだった!)

唐突な銃声に体が硬直する。後ろのタイヤが撃たれて車の後部が沈み込み、追いすがる阿久津と赤毛の少女の姿をドアミラーの中に認めた次の瞬間、ミラーも阿久津が放った銃弾で砕け散った。冷や汗が滝のように流れて格子柄のスーツを濡らす。

「残るはあんた一人や、肚ぁ決めて往生せえや!」
「クソッタレが……勝った気になってやがんのか? 切り札は最後まで取っておくもんだ!」

車から降りると同時に、手元のトランクを二人に向けて開ける。中身はぎっしり詰められた札束ではなく、それはトランク型のCOMPだった。
召喚プログラムが起動され、内側の魔法陣から悪魔が這い出てくる。阿久津ですら見た事のない仲魔。
3m近い巨大な白蛇に四肢が生えた禍々しい姿は、ミシャグジ様と呼ばれる祟り神だった。四肢には鎖が繋げられ、その端はトランクの中の空間へと伸びている。
目のない頭部が蠢き、手にした御柱を槍のように振りかざすのを灯代が迎え討った。

「ふんッ!!」
「ちょいと揉んでやろうかのぉ」

その言葉通り、ミシャグジ様の御柱は灯代の太刀筋を余裕の体でいなした。四肢の鎖は動きを縛るものではなく、逆に魔力を送り込む装置のようだ。
祟り神の神格がそのまま力になっているのか、一合斬り結んだだけで腕が痺れる。後ろに跳ねて距離を取り、返す刀で狙うは召喚主の男。印を結んだ灯代の指先から紅蓮の炎が放たれ――

「ううッ……!?」
「ふぉふぉ、青いのぉ、さまなぁよ」

毒虫に刺されたような疼痛に襲われ灯代が呻き声を上げる。炎を放とうとした左手が指先から黒く腐食し、次第に蝕まれていく。呪詛返しの応用――召喚主へのあらゆる攻撃を祟りとして跳ね返すのはミシャグジ様には容易い事だった。
ぬるりとした流れるような動きで、体勢を崩した灯代へ御柱のフルスイングを見舞う。防ぐ間もなく小柄な体は吹き飛ばされて車に衝突し、痛打に骨が砕けるばかりか古傷までも開いてしまう。

「いっだぁ~~~……!」

解けかけたマフラーの間から、首を一周する傷痕が見られた。ちょうど斬り落とされた首をまた繋いだようなそれは、今は半ば傷口が開いて鮮血が溢れており、まさに首の皮一枚で繋がっているような有様だった。
痛いどころの話ではないが、灯代はいびつに折れた手でマフラーを巻き直し、ぐらつく頭部を自力で固定しようとしている。

「ちょ、自分喋って大丈夫なんか……!? 首ガッサーいってんねんけど!?」
「阿久津さん、退がってて!」

首がもげそうな灯代の惨状に目を奪われている阿久津に、白い巨体が迫っていた。
ミシャグジ様の口らしき部分から、白い唾のような粘液が阿久津めがけて吐き出された。それが銃弾よりもヤバいものだと本能で察し、阿久津の背中に鳥肌が立つ。

「ぅおっと!」

躱したつもりが、唾は軌道を変えてしつこく追尾してくる。必死に逃げ回り、ぼろぼろになった上着を咄嗟に脱いで防ぐも、得体の知れない粘液をまともに受けていたらどうなっていたか考えたくもない。
ベルトからもう一丁の拳銃を抜き、加重弾の連射で牽制するも祟り神の体組織には通用しないのか、相手は痒そうに身をよじるだけだ。次に攻撃されたら、傷ついた脚でこれ以上走れるか……
赤毛の方は戦闘不能と見て、後は手負いの阿久津を叩き潰すのみという状況に驕ってか、『先輩』は饒舌になる。

「阿久津よぉ、何だそのザマは」
「…………」
「仲魔一体の召喚で息切れしてたヘボサマナーごときが、なんでまた幹部サマに重用されてたか理解できねえな」
「……今、その理由を先輩に見せたるわ」

ヒビの入ったサングラス越しに冷徹な視線を送り、阿久津は地面を見下ろした。
生玉で体力は回復したとはいえ、撃たれた脚の手当ては応急に過ぎず、さっき逃げ回っていた時に開いた傷口からは絶えず血が滴っていた。
その、阿久津自身の血で描かれた円陣の中に、ミシャグジ様が一歩足を踏み入れた。

「……なんぢゃ? この気配は――」
「『――根の国、蓬莱、自凝島、黄泉比良坂、儀来河内、ここではないどこでもええから常世の国の果てへと還れ』」

阿久津のでたらめな祝詞が終わると同時に、円陣の内側の空間が消失した。ぽっかりと出現した暗黒の淵に、その巨体が落ちるというよりは吸い込まれるように姿を消した。
瞬時に暗黒の穴も塞がり、地面からは血の円陣さえ消えて何事もなかったかのよう。
芸人を落とし穴にでも落っことすドッキリのような、あまりにも呆気ない最期に、勝ち誇っていた『先輩』も、灯代も開いた口が塞がらない。
だが、仲魔との魂の繋がりが問答無用で断ち切られ、最大戦力を失った事実を男はサマナーとしての第六感で嫌というほど理解していた。
話にだけ聞いている、仲魔を強制的に管に還す術とも違う、これは――

「召喚の逆……もと居た世界に悪魔を送り返す『送還』や」

人の手に負えんあまりにもヤバイ連中を召喚してしもた時に備えて、この俺がおったんやけどな。
阿久津の声は男の耳にはもう入っていないようで、ERROR表示を点滅させるトランク型COMPを抱えている。中から伸びた鎖は中途で消失していた。

「さて、先輩……こんな男前なツラにしてくれたお礼をせんとな」
「別に生かして捕らえろとは言われてませんし、こいつに捕まってた悪魔達の前に放り出してもいいんですけど」

いつの間にか折れた手足が元通りに自然治癒している灯代は、ケロリとした顔をして首の角度を直している。
その物騒な発言と、自分の眉間に狙いをつけた阿久津の銃口にびくりと肩を震わせ、首謀者の男は必死の形相で泣きついてきた。

「頼むっ……助けてくれ!! ヤタガラスに引き渡してくれていい、もうこんな真似はしないから!」
「えぇー……そんなんしても一銭の得にもならへんやん、そもそも先輩との金のトラブルがこじれてこうなったんやで」
「金なら今までの儲けを後で渡す! お、俺を殺せばもう手に入らなくなるぞ!?」
「どないしよかなぁ……先輩は約束を平気で反故にしはるからなぁ」

傷はまだ痛むだろうし、失血で顔色も真っ青なのによくこんな軽口を叩ける元気があるものだと、灯代は半ば呆れながら阿久津と男のやりとりを眺めていた。
ろくでもない悪党とはいえ、命乞いする無力な相手をいたぶるのは気が引ける。生死を問わずという依頼内容は本当だが、命が助かったにせよこの男には明るくない将来が待っている……

「帰りを待っている女房と娘がいるんだ……確かに俺は殺されても仕方ない悪どい真似をやったが、お前らだって何の罪もない母子を悲しませたくないだろ……!? なあ!!」
「はぁ……?」

反省したそぶりや金で釣るのは無理と見て、今度は情に訴える作戦に出たのか、手垢にまみれた台詞を口走る男。
灯代ですらうんざりする陳腐な言い草に、(さっき出会ったばかりの短い付き合いではあるが)シビアな阿久津が乗せられるわけがないと思ったが、意外にも阿久津は男の話に応えた。

「そら初耳やなぁ……先輩所帯持ってたんか、娘さん、おいくつ?」
「む、6つになる、ほらこれが写真――」

懐柔の余地ありと目にかすかな希望をちらつかせ、懐に手をやるその動作に、まさか、と灯代が身構えた瞬間、阿久津の指がトリガーを引き、台詞の途中で男の脳天を撃ち抜いていた。
何が起こったか分からない顔のまま、仰向けにひっくり返る男の手から隠し武器ではなく、一葉の写真が地面に舞い落ちた。
阿久津の指がそれを摘み上げる。30代ほどの女性と、男が最期に口にしていたのと同じ年頃の少女が微笑んで写っていた。
助かりたいがためのデタラメじゃなかったのか、と灯代は後味の悪さを感じたが、阿久津は無感情に男のポケットを探り、ライターと煙草の箱を取り出した。一本咥えて火をつけ、その火口を写真に押し当てて燃え移らせる。
物言いたげな灯代の視線に気付いた阿久津が、紫煙混じりの溜息をつきながら答えた。

「なんぼ土壇場でも恨み買ってる相手に大事な身内の事とかベラベラ喋るわけないやろ、そっちにまで危害が及ぶかも知れんのに」
「…………」
「ましてこんな稼業の者が家族の写真なんぞ持ち歩くはずがない……九分九厘、無関係な赤の他人のもんや」

万一本当に家族のものだとしても、写真がこの場に残っていれば彼女らも面倒事に巻き込まれかねないから、どっちにせよ焼いてしまったのではないか。
そう灯代は思ったが、阿久津にあえて聞く事はせず、携帯端末を取り出して任務終了の報告をした。

「綾さん? はい、今終わりました……例の人、怪我してるので迎えを寄越して下さい。客はみんな朝まで目覚めませんから、後は煮るなり焼くなり。
 ただ、首謀者が死んでるんですよね……私じゃないですよ、阿久津さんがいきなり撃ったから……」

写真が燃え尽き、阿久津が煙草を吸い終わると同時に、黒塗りのリムジンが音もなく地下駐車場に入り込んできて二人の前に止まった。

「あっ今着きました。 さ、乗って下さい」
「えらい早ない!?」

異様に早い迎えの到着に驚いたが、阿久津としても体力は限界だった。こんな状態で知らない相手の車に乗せられるのは危険だが、選択の余地はない。
運転席にドライバーがいないのに気付く余裕もなく、革張りの後部座席に倒れ込んですぐ意識を失った阿久津を、高級車に偽装したオボログルマは悠々と運んで行った。



それから数ヶ月後。
某市繁華街の雑居ビル前で、灯代はメモの住所と建物とを見比べていた。今日は首の傷を黒革のチョーカーで隠している。
やはり綾人に紹介されたのはここで間違いはないようだと得心し、薄暗い階段を上っていく。4階のテナント『ACTSスタッフサービス』のドアを決められた回数と間隔で叩く。
ひとりでにドアが開き、入った室内は小汚い雑居ビルの外観とは別世界の、高級モデルルームのようなオフィスだった。その顔が映りそうな新品のデスクに脚を投げ出し、行儀悪く煙草を燻らせているのは……

「げっ」
「……やっぱり」

灯代の顔を見た阿久津は、女教師に喫煙を見つかった不良学生のような反応をした。
ボロ雑巾のように痛めつけられていた初対面とは打って変わって、一目で高級と分かるスーツに身を包み、髪もオールバックに整えられている。とはいえ青年実業家というよりは、ガラのよろしくない自由業という方が相応しい印象だったが。

「どうも、お久しぶりです」
「鬼首ちゃんが来るとか聞いてへんで、乃木の兄さんも言うてくれたらええのに」
「もしかしてここの事務所って、あの後で綾さんが……」
「そやで、ほんま開店資金を出してくれた乃木の兄さんには足向けて寝られへんわ」

奴隷売買の一味がヤタガラスに引き渡される前、オークション会場に居合わせた客は依頼主の綾人によって「決してこの一件を口外しない」という口止めを条件に無事な姿で解放された。
こんな奴らキツくとっちめてやった方がいいのに、と灯代は不満だったが、綾人の狙いは別にあった。彼らの素性を押さえ、後日この件をネタに様々な手段で脅迫したのである。
法で裁けないのだから罪は立証できない、やれるものならやってみろと高を括っている相手に立場を分からせるため、多少手荒な真似も必要だったが、それには灯代も手を貸した。
灯代は与り知らぬ事であったが、結果的に財力や権力やコネを融通してくれるいくつものパイプを個人的に手に入れた蒼乃祇は、また一歩ヤタガラス乗っ取りに近付いたというわけであった。

「人材派遣会社と聞いてますけど、サマナー絡みの仕事なんですか?」
「まあそれもあるな、国家機関が受けへんような依頼の民間窓口や。 慈善事業やないから何でも金次第やけど」

灯代はトートバッグの中から無造作に輪ゴムで留めた札束を取り出し、卓上に積み上げる。阿久津は手際よく枚数を確認した後、引き出しから頼まれていた書類一式を取り出した。
それは灯代の偽の身分となる各種証明書と、新しい住居となるマンションの契約書であり、保証人の欄には『阿久津 操』のサインと印鑑が捺されている。

「不備はないと思うけど一応確認してや」
「ありがとうございます、このお名前『みさお』って読むんですか?」

保証人との関係は表向き叔父という事になっているが、何かあった時に名前を間違ったらまずいと思い、灯代としては何気ない質問だったが、阿久津は急に話題をそらした。

「ああそれと……俺の『切り札』の事を黙っといてくれてありがとな、実はあの能力のおかげで、おじさん長~い事追われる身なんよ」
「シッ、綾さんの事だからここに盗聴器とか仕掛けられてるかもしれませんよ」
「えぇ~、嘘やん」

口調は笑っていたが、サングラスの奥の眼光は油断なくコンセントや観葉植物の鉢に注がれている。

「そうだ、あの時阿久津さんが逃がした娘の事、覚えてますか?」
「へ?」
「今は私の仲魔なんですけど、また会えたらお礼がしたいって」

灯代はポケットから管を取り出し、仲魔を召喚した。月光の色そのものの銀髪に、皮膜が張った羽と鞭のような尾を持つ可憐なサキュバスが現れる。

「この娘です、私はサキって呼んでます」
「お久しぶりですおじ様、あの時は本当にありがとうございました」

誰でもたちまち虜になりそうな潤んだ紫色の瞳で微笑みかけ、次の瞬間強烈な平手打ちが阿久津の頬で鳴った。
椅子から転げ落ちる阿久津に、さっきまでのしおらしさとはかけ離れた悪魔的な態度で言い放つ。

「あたしと姉様を売り飛ばそうとした事は、今の『お礼』でチャラにしてやんよ、サマナーとの付き合いもあるからね」
「ちょっと、サキ……!」
「死んでないからいいじゃん、コンゴトモヨロシクね、ミサミサ」

(お礼ってお礼参りの事かいワレ……)と脳を揺さぶられ床に倒れ伏したまま阿久津は思った。
まだわちゃわちゃやっている灯代とサキを横目に、彼女らとの今後の付き合いが長くなりそうな嫌な予感を感じながら……

(To Be Continued…?)

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