俺屍サマナー
GO! MY THOUGHT ON THE WINGS OF A PHOENIX
晴天にも関わらず太陽のない青空の下、無人の街並みは闇に沈み、暗がりの中にはぽつぽつと寂しく灯りが点っている。
昼の空の下に夜の街が広がる、現世ではシュールレアリスム絵画の中にしか見られないような、この奇妙な静けさに満ちた異界の光景の中、二人のサマナーが死闘を演じていた。
立ち並ぶ建物も街路樹もいずれも暗く闇に覆われていたが、戦いの舞台である建設途中のこのビルも例外ではない。
工事用の照明に白く照らされ、張り巡らされた鉄骨の上で一進一退しながら剣を交える人影はより濃く深くなる。
剣技を駆使して戦っている二人のサマナーは、両名とも短髪の少女だったがそれぞれ違う制服姿で、ブレザーの方がセーラーの方に押されているようだった。
(強い……! 全く隙がない……)
間合いを取りながら、ブレザー姿の赤毛のサマナー・鬼首灯代は相手の力量に内心驚嘆していた。
相手取るセーラー服姿の少女は、平地と変わらないように地上数十mの鉄骨の上を自在に跳び回る。
灯代よりもなお小柄な、カナリア色の髪のサマナー。
その愛くるしい顔立ちに似合わず表情は険しく、強い意志を秘めた碧の瞳は冷徹に獲物を仕留める狩人のそれだ。
手にしているのは西洋でフランベルジュと呼ばれる、燃え盛る炎のように波打った刀身の剣。
武器というよりは芸術品のような彫刻が施されたその剣が繰り出されるたびに、噛み合う刃と刃の間に火花が咲いては散る。
美剣飛鳥(みつるぎ あすか)、栞の仲魔と同じ名を持つ、美しく揺らめく剣が閃き灯代の肩口を切り裂いた。
「うあぁっ……!!」
悲鳴を上げてよろめく灯代は、既に何箇所も同じ傷を受けていた。
優美に波打つ刀身は傷口を引き裂き、止血や縫合といった治癒を妨げ、高い殺傷能力に加えてより相手に苦痛を与える。
灯代の治癒術はまだ未熟で、擦り傷や打ち身程度ならすぐに治せても、骨折や神経まで達するような重症は痛みを和らげるぐらいしか出来ないのだが、魔力の篭る刃で斬られたせいかそれさえも効いてはいない。
(一体どうしてこんな事に……)
乱れる息を抑え、継承刀を構え直しながらも、灯代はこの少女と戦う理由が分からないままだった。
ここのところ、前ぶれもなく人々が行方不明になる神隠し事件が起きていた。
それはいずれも狭い範囲に集中しており、異界に迷い込んで戻れなくなったか、あるいは悪魔絡みの事件の可能性もあると、近隣のサマナーである灯代に調査の指令が出された。
タタラ陣内を伴い現場を調べに訪れた灯代は、人が消えたという屋上で異様な気配、いや殺気を感じ全身に鳥肌を立てた。
大きな翼の羽音に上空を見上げると、まぎれもない殺気の主と目が合い、サマナーと仲魔に緊張が走る。
セーラー服を着て奇妙な形の剣を携えた小柄な少女と、大きな翼を背に持つ白皙の美青年が、青空を背景に給水槽の上に立っており、こちらを見下ろしていた。
その物々しい武装と、明らかにヒトではない姿の連れに一目で同業者と知れた彼等は、機先を制すように灯代達に声をかけてきた。
「ご機嫌いかが?お嬢さん 僕のことはあすかって呼んでよ、そしてこちらの彼女が僕の可愛いおさなづまだよ」
舞台俳優の口上のような挨拶に灯代は戸惑い、陣内は顔をしかめる。
芝居がかったキザな口調に馴れ馴れしい態度、それにこの自分を眼中にないとばかりに無視しているのも何もかも気に入らない。
同じ男として認めたくない、いけすかない奴だと陣内は第一印象で感じ、あすかと名乗ったこの優男を本能的に敵視した。
『おさなづま』と紹介され、冷めた目で連れを一瞥する少女に灯代はおずおずと尋ねた。
「あの、あなた達もサマナーで……?」
「勝浦栞(かつうら しおり)、あなたたちを討伐しに来た者よ すぐに死ぬ相手に名乗っても仕方ないけど」
『討伐しに来た』、『すぐに死ぬ相手』。
彼女の口から出たその物騒な言葉を、聞き間違いではないかと思った灯代と陣内だが、栞と名乗った少女が剣先をこちらに向けるのを見て、事態が理解出来ないまま反射的に身構える。
空は青く晴れたままにも関わらず、街を侵食するように影が覆い出し、灯代たちのいる建物も夜の闇に包まれる。
現世から異界へ、急激に移行する舞台に灯代は足元が揺らぐような感覚を覚えた。
「そういう事で、僕の栞ちゃんのために、君達を始末させてもらうよ」
「な……何しやがるッ!?」
陣内の声と、躊躇いのない襲撃は同時だった。
給水槽から飛び降りたその勢いのまま、栞が繰り出した跳び蹴りを灯代はすんでの所でかわし、一瞬遅れて衝撃と振動が伝わってきた。
小さい身体のどこにこれほどの力があるのか、踵がめり込んだコンクリートの地面が陥没しているのを目の当たりにし、僅かに反応が遅れたら自分の脳天がああなっていた、と灯代の背筋に冷たいものが走る。
「灯代ッ! 剣を抜け、こいつら問答無用でやる気だ!」
タタラ陣内は応戦しようと両手に魔力を溜め、赤熱する炎に変えてあすかへ放つ。
余裕で腕を組んだままのあすかには防ぐすべはない、そのはずだったが、予想だにしない事態に驚きの声を上げたのは陣内の方だった。
「うおおっ!?」
あすかの背中の翼が陣内の掌と同様に赤熱し、不死鳥の翼のように燃え上がり黄金色の火の粉が舞い散る。
舞うような動きで軽く羽ばたくと、炎と共に向かい風が巻き起こり、放たれた炎に自分の炎を上乗せして陣内の方に返した。
陣内は前方に巨大な剣を出現させ、それを盾代わりに火炎を防ぐが、鉄を溶かすほどの業火の威力は自分自身がよく知っている。
あすかの燃える翼との相乗効果で、数千度にも達する高熱が分厚い鉄塊をバターのように溶かす前に、陣内は灯代と共に隣の建物へと走っていた。
再び生み出された数mものの長大な剣が隣の屋上へと倒れ込んで橋となり、その上を二人が渡り終えると同時に剣は形を失い消えていく。
「追いましょう、あすか様」
「やれやれ、追いかけっこかい? 汗をかくような事は遠慮したいね」
次々に剣を出現させては橋代わりにし、あるいはビルの壁面にいくつも突き立てて剣の階段を作り、それを足場代わりに飛び移りながら二人は影絵のような街中を逃げていたが、空を飛べる仲魔が相手ではどうしても分が悪い。
そして、いかに身の軽い灯代とはいえ、文字通り刃の上を渡るような危うい軽業をいつまでも続けてはいられず、ついに剣から足を踏み外してしまった。
「あっ……!」
「灯代!」
青い空と黒い街の間を落下する灯代の後を追い、陣内が空中に身を投げ出す。
差し出された灯代の手を力強く掴み、もう片手から鉄鎖を建物の壁に投擲する。
鉤状になった鎖の先が引っ掛かり、灯代は陣内の腕に、陣内は鎖に体重を預けて二人は宙吊りになった。
一命をとりとめた二人を見下ろし、栞を抱えて優雅に滞空するあすかは呆れたように呟く。
「おやおや……しぶといね、いっそ華々しく散ればいいものを」
栞とあすかの視線は、片手に命綱、もう片手でサマナーを支える仲魔に向けられていた。
両手が塞がった今の陣内には防ぐ事も迎撃する事もできない。
やばい、と内心で冷や汗をかきながら、陣内は灯代に小さく声をかける。
「狙いは俺だ、向こうの建物まで飛べ」
「陣内様は……」
「後で合流する、行け!」
鎖で吊られた陣内の身体ごと振り子のように揺らし、大きく反動をつけたその勢いを借り、空中ブランコの要領で灯代は虚空に身を躍らせる。
ジャングルジムのように組み上げられた鉄骨を晒した、建設途中のビルの梁へと跳ぶ。
悪魔と互角に戦う身体能力とはいえ、命綱も安全ネットもない、地面に叩きつけられれば即死もあり得る決死のジャンプは辛うじて成功した。
鉄骨にしがみついた灯代が身を起こし、後ろを振り返った時には陣内の姿はすでになく、中程で断ち切られた鎖が壁面でむなしく揺れているだけだった。
「陣内様……!?」
まさか、と最悪の予感に駆られた灯代は、下の様子を見ようと身を乗り出すが、それ以上に驚くべきものに目を見張った。
宙にひらひらと舞う、鳥の形に切り抜かれた紙片。
一見ただの紙切れにしか見えないそれは、術者が魔力を込める事で自在に操れる式神の一種だ。
飛び石のように浮かぶそれを足場にして空中を渡り、最短距離で灯代を追って来た栞が目前まで肉薄する。
いくら小さな軽い身体とはいえ、どれほどの修練を積めばこんな芸当が可能なのかと考える間もない。
炎の形を模した美しい剣と、炎の力を宿す刀が激しく交錯しぶつかり合う。
「どこを見ているの」
「っ、ぐ……!!」
「あなたの仲魔はあすか様が始末した、大人しく首を差し出せばすぐに後を追わせてあげる……!」
「待ってッ! 何か誤解してるんじゃ……」
灯代には同じサマナーである彼女と戦う理由も、討伐されるような悪事を働いた覚えもない。
自分も先輩サマナーの仲魔を悪霊と勘違いして戦いを挑んだ事があるだけに、相手を説得できなくとも、話をする余地を作ろうと灯代は必死に言葉を選ぶ。
「栞、さん!? 同じサマナーだと言うならなぜ私を狙うの?」
「あなたの言い分なんか知った事じゃない、罪もない人をその刀で何人斬ってきたか知らないけど、今あなたの番が回ってきたのよ!」
「……『人』!? どういう訳!?」
こちらが小娘と思ってとぼけているのか、仲魔か刀に逆に操られて本当に記憶にないのか分からない標的の態度に、表情にこそ出さないが栞は内心で苛立った。
悪魔が取り憑いた妖刀を使う、連続辻斬り犯のダークサマナー。
そいつを狩り、証拠の首と刀を持ち帰るのが栞に課せられた任務だった。
幼い頃からたった一人で、死と隣り合わせの過酷な戦いを乗り越えてきた彼女にこれまで失敗は一度もない。
類稀な素質を受け継いで生まれながらも、一族から『失敗作』と呼ばれる栞にとって、任務を失敗した時は死よりも恐ろしい運命が待っている。
栞を産むのと引き換えに命を落とした母と、同じ運命が。
(今度も失敗するわけにはいかない、いつだってそうだった……やらなきゃ、私がやられる!)
剣を振るう栞は知らない。
この任務を与えた者の目論見を、そして教えられた標的の特徴も顔写真も出鱈目だという事を。
同じヤタガラスの無実のサマナーを害するように仕向けて彼女を陥れ、サマナーの資格を剥奪して一族の手駒とするための罠だという事実を。
栞の忠実な騎士たる鳳あすかも、謂れ無き戦いに巻き込まれた灯代と陣内も知るはずもない事だった。
「……はぁ……はぁっ……畜生……!」
荒い息ごと呻き声を噛み殺しながら、陣内は夜の地上を逃走していた。
とはいえ、結構な高さから着地し損なって足を痛めたせいで走るのも覚束なく、手負いの身体をどうにか引きずっていると言う方が正しい。
それ以外の負傷も軽いものではなく、暗い路上には傷口から滴る血の跡が点々と残されていた。
ビルの壁面から落とされて召喚主と分断された所を、飛んで来たあすかにすぐさま追撃されたのだった。
一対一とはいえ、機動力に優れた相手に一方的に上空から攻撃され、陣内は圧倒的不利な状況に追い込まれた。
(あの優男、只者じゃねえ……灯代と合流して態勢を立て直さねえと……!)
二重三重の剣の結界であすかを足止めし、辛うじて逃げおおせたものの、それが精一杯だった。
今の陣内にはあれだけの武器を生み出す魔力は残っておらず、追い付かれれば今度はまともに反撃さえできないだろう。
すぐに戦えない以上せめて地の利を生かし、自分に少しでも有利な土俵に持ち込まないと、勝機どころか逃げ延びる事さえ危うい。
建物の壁に背中を預けて辺りの様子を伺い、陣内は目星をつけたその場所へと駆け込もうとしたが……
「遅かったじゃないか、ここに逃げて来るだろうと思っていたよ」
「……くそ!」
剣の結界を潜り抜け、先回りしたあすかが地下道の入り口の前に立って薄い笑みを浮かべていた。
相手の飛行能力を殺ぎ、上空から襲われるのを防ぐために地下に逃れる、という目論見は相手に読まれており、手詰まりの状況に陣内は舌打ちした。
「獲物の思考が単純すぎると狩りもつまらないものだね……栞ちゃんはどうしているかな? 指令が標的の抹殺でなければ、あの赤毛の子を僕の子猫ちゃんにしてもいいけれど」
「子猫ちゃんだぁ? 主人よりてめえの心配でもしてろ、このスケコマシ鳥頭!」
あすかの独り言めいた呟きが怒りの導火線に火を点け、陣内は自分の窮地も忘れてまくし立てる。
陣内の罵声を形のいい鼻先で一笑し、鳳の化身はその背から白い翼を広げた。
両翼に急激に魔力が集まり、正面に立つ陣内が頬に微かな風を感じた次の瞬間、竜巻が直撃したような風圧が襲ってきた。
暴風の渦の中に舞い散る羽の一枚一枚が薄い刃と化して五体を切り裂き、鮮血が飛沫く。
華麗なまでの一撃を正面からまともに受け、陣内は巨大な見えない拳で殴られたように吹き飛び、無人の店舗のショーウィンドーに叩きつけられた。
派手な音を立てて割れたガラスが散乱し、風圧の余波で瓦礫が積み上がった暗い店内で陣内はようやっと身体を起こす。
全身を打った痛みで息が詰まりそうだが、切られた傷はいずれも浅く、武器を精製するための両手はまだ無事だ、と弱々しい明かりの下で確認する。
「ちくしょう……やってくれたな……! だが、太刀風様の竜巻に比べりゃ屁みたいなもんだぜ……」
陣内は折れた歯の欠片を血と一緒に吐き出し、店外から悠然と見下ろすあすかを睨み付けた。
満身創痍でうずくまる陣内に対し、あすかの方は輝くような銀髪に頂く羽飾りさえ乱れておらず余裕綽々といった風だ。
「全く、手こずらせてくれたおかげで自慢の羽が汚れちゃったよ……むさ苦しい上に見苦しい男はこれ以上視界にも入れたくないね」
「ケッ、キザ野郎が! その澄ましたツラぶっ飛ばしてやる!」
「はは、そんなザマでどうするつもりだい? もういい加減諦めなよ」
「諦める? そいつは……どうかな?」
既に体力も魔力も底をついたと思われた陣内を囲むように、十本余りの剣の結界が精製される。
無から有を生み出すためには多くの力を使うが、あらかじめそこに『有るもの』を媒介とすれば必要な力もそれだけ抑えられる。
崩れた家屋の瓦礫から突き出た鉄材を原料に、鍛冶神の手は武器を作り出した。
「ありがとよ、わざわざ反撃のお膳立てをしてくれたようなものだな」
「おめでたい人だね、もう勝ったつもりでいるのかい? さっきみたいに吹っ飛ばされるために作ったようなものさ」
魔力によって武器を精製するタタラ陣内が、サマナーが未熟なゆえの魔力切れを補うため『材料』を確保するだろう事は、あすかは既に予想していた。
灯代と一緒に逃走劇を繰り広げていた時も、陣内はただやみくもに逃げていたわけではなく、自分に有利な舞台として、鉄材には事欠かない建設途中のビルを目指していたからだ。
(三方を瓦礫に囲まれ逃げ場もない袋小路……もはや詰んだね)
飛べない状態で刺されるのを警戒して屋内までは深追いせず、唯一の出口に立ち塞がりながらあすかは再び翼を広げる。
先程タタラ陣内を店もろとも滅茶苦茶にした威力の、翼の羽ばたきから生まれる暴風で無数の剣を防ぎ、全身を切り刻んでとどめを刺す算段だった。
西部劇の決闘のように二人は距離を置いて睨み合い、陣内の生み出した剣たちはあすかの『風の結界』を貫き通そうと狙いを定める。
(やってみるがいい、剣を放った瞬間が君の最期だ!)
相手が血にまみれたボロ雑巾以上に無惨な姿と化すのが目に浮かび、あすかの唇が酷薄な笑みを形作る。
しかし、背後からの刺突が一瞬早く、真空刃を放つ寸前の両翼を貫いていた。
「えっ……!?」
思わぬ攻撃を受け、悲鳴ではなく驚きの声があすかの口から漏れる。
衝撃に次いで走る痛みによろけて膝をつき、たまたま目に入った足元のものに気付いてあすかは眼を見開いた。
陣内が店に突っ込んだ時に割れたショーウインドーのガラス、砕け散ったそれが周囲に散らばっていた。
その破片から作り出された、透き通るガラスの剣があすかの両翼を串刺しにし、純白の羽毛を鮮血に染めていた。
「鉄だけじゃねえ、硝子も高熱で溶かしてやればこうして形を変えられるんだぜ」
溶かして武器に出来るのが鉄だけだという相手の思い込み、そして真っ向から剣を向ける事で陣内のいる前方に注意を向けさせる、とっさに立てた一か八かの策だった。
陣内に一杯食わされたと知り、あすかは第二撃を警戒して空へ逃げようとするが、翼の腱が傷付いたのかうまく羽ばたけず、その一瞬の隙が運命を分けた。
無数のガラスの破片が鍛冶神の力でひとつに溶け合い、飴細工のように形を変えながらあすかを包囲する。
澄んだ音を立てて美しいガラス細工の鳥篭が生み出され、有翼の神をその中に閉じ込めた。
敵を閉じ込める結界にしては妙にきらびやかで繊細な鳥篭は、陣内の意匠ではなく中にいるあすかの魔力の影響のせいで、彼の美意識の反映かも知れないが、この修羅場でそれを気にする者はいない。
「忘れたのかい!? 僕の火力ならこの篭ごと君を…… っうああああッ!!」
あすかの攻撃の気配に反応したように、鳥篭の内側から鋭い棘が何十本と突き出し、逃げ場のない細い身体を容赦なく穿った。
美しい見た目に反した拷問器具のような仕掛けのガラスの鳥篭は、炎で溶かされるどころか逆に放ったあすか自身を焼き、炎に耐性がある翼さえ無惨に焦がす。
夜に覆われた街中で篭の中の炎はひときわ明々と燃え盛り、囚われた鳥が苦しみもがく影絵を壁に映し出した。
「その鳥篭は内側からは破壊できない……串刺しにされて自分の炎で焼き鳥になりたくなきゃあじっとしてな、色男」
閉じ込めるだけで精一杯だったが、強敵を捕らえた鳥篭ごと引きずり、陣内は孤軍奮闘している主人のもとへよろめきながら歩き出した。
「やあぁぁぁ!!」
「くううっ!!」
荒くせわしない息遣い、放たれる気合の声、勢い良く鉄骨を蹴る靴音。
そして何十回、何百回目ともつかない剣撃の音が響き、どこまでも静かな空と街に吸い込まれていく。
栞と灯代の戦いはまだ続いており、手だれの狩人を相手に灯代は仲魔も無しでよく保っていた。
しかし、防戦一方の末に全身の裂傷は増えており、動きも明らかに鈍くなっている。
鉄骨の端に追い込まれ、栞が一歩一歩近付いてくるのが死の秒読みに思えたその時、低い機械音と共にビルの昇降機が動き、灯代と栞が死闘を繰り広げている階層で止まった。
鉄格子の扉が重い音を立てて開き、足を踏み出したのは見間違えようもない隻眼の男だった。
「陣内様!」
「待たせたな、灯代!」
戻って来たのがタタラ陣内だった事に、灯代は喜びと安堵、栞は戸惑いの表情を見せた。
では、こいつを追っていた自分の仲魔は、あすかはどこにいるのか――どうなったのか、栞の中で不安が膨れ上がる。
女として生まれたばかりに勝浦家の中で孤立し、一人で重圧に耐えていた自分を支えてくれた仲魔。
率直すぎる求愛に呆れつつも、口にこそ出さないがかけがえのない伴侶と思っている彼は、陣内と戦ってどうなったのか。
「お前の仲魔は既に捕らえたぜ、観念して剣を収めな」
「――あすか様、を!?」
陣内が指差す先、ビルの鉄梁の端に大きなガラスの鳥篭が吊るされている。
鳥篭の中で未だくすぶる炎は、捕らえられたあすかを生きながら火炙りにして苛んでいた。
傷付いた仲魔の姿を目にし、あろうことか仕留めるべき敵に背を向け、栞は一目散に駆け寄る。
その動揺ぶりは先程まで灯代を追い詰めていた時の冷静さからは考えられないものだった。
「あすか様っ!!」
「来ちゃ駄目だ、栞ちゃん!!」
あすかを閉じ込めた鳥篭は内側からの力にはびくともしなかったが、ガラス細工だけあって外から加えられる力には脆く、栞の打撃を受け格子に音を立てて亀裂が入った。
剣を振るうだけでは間に合わないというように、自分の手が傷付くのも構わず栞はがむしゃらに拳を叩きつける。
例えガラスではなく鋼鉄の鳥篭であっても、粉々に破壊するまでその行為をやめなかっただろう。
百戦錬磨のサマナーといえども、今の栞はパートナーであるあすかの危機に、背後からの気配にも気付かないほど冷静さを欠いていた。
その一時の不覚を見逃す陣内ではなく、枷と鎖を放って栞の全身を絡め取り捕縛した。
「く……うっ! こんなもの……!!」
あすかと同様に身体の自由を奪われ、栞の小さな身体は鉄鎖の中で必死にもがく。
「殺さなかったのはお前らから理由が聞きたいからだ、俺達を襲ってきた理由をな」
そう言う陣内だったが、実際の所は捕らえるのがやっとの強敵を相手にこれ以上戦い続ければ、こちらが間違いなく殺されるというのが本音だった。
「理由? あんたらが一般人を手にかけるような真似をしただけで十分よ!」
「そんな、本当に何かの間違いじゃないんですか? 落ち着いて話して下さ……」
サマナーの任務か個人的な動機かは知らないが、栞の言い分と事実は食い違っており、実際に灯代達の側にも覚えがないのだから埒があかない。
誤解を解くなり納得して剣を収めてもらうなりしなければ、ここで相手を退けても殺さない限りまた襲って来るだろう。
相手が自分と同年代の少女という事もあり、灯代としては戦う理由がない以上、無益な殺生はしたくなかった。
「私は……絶対に負けない、絶対に!!」
仲魔を捕らえられ、二対一になっても力の差は歴然として栞の側に分があったが、あすかが敵の手に落ちた事で栞は本人が思う以上に精神的に追い込まれていた。
一度でも負ければ、失敗すれば、一族に全てを奪われて使い潰されてしまう。
いや、それより先にこいつらに――やらなきゃやられる、やらなきゃ私がやられる、と栞は知らず口の中で繰り返していた。
感情の昂ぶりに比例して高まっていく栞の魔力が、押さえつけている陣内の力を上回った時、栞を拘束する鉄鎖が弾け飛んだ。
「何だと!?」
捕縛から解放され、跳ね起きる栞の碧い眼が一層鋭い殺気を帯び、カナリア色の短い髪が逆立つ。
波打つ刀身を持つ美剣飛鳥の柄を握り締め、栞は弾丸のように飛び出した。
「あああぁぁぁ!!」
振り下ろされる美剣飛鳥を受け止めた紅蓮踏鞴の刀身が軋み、なおも押し込まれる力に灯代の腕が震える。
交差する得物越しに見える栞の表情には、一種の狂気すら宿っていた。
今にも継承刀ごと脳天を割られそうな灯代を援護しようと、陣内が鉄骨から作り出した何本もの剣が一斉に襲いかかるが、栞はそれを見ようともせず腕を一振りしただけだった。
栞の手から飛び出した紙の鳥が宙を舞い、殺到する剣に次々とぶつかって込められた魔力を弾けさせ爆発を起こす。
栞が使役する式神に一つ残らず剣を迎撃され、陣内は残り少ない魔力をかき集めて次を生み出そうとするが、鍔迫り合いを続ける灯代の力はもう限界だった。
相手の剣圧を支えきれず、たまらず後方に跳んで逃れたがら空きの胴を波状の刃が襲う。
脇腹を横薙ぎに切り裂かれ、もう少し深ければ内臓にまで達していただろう傷に、灯代の全身から血の気が引く。
「ぐ……あ゛ぁ…… うぅ……!!」
斬り付けられたのは灯代だったが、食いしばる歯の間から苦悶の声を漏らしたのは栞も同じだった。
発作を起こしたように震える身体から視認できるほどの魔力の渦が立ち昇り、その周囲でショートしたような火花が不穏な音を立てて弾ける。
精神の過負荷が限界を迎えたせいで、持って生まれた膨大な魔力をコントロールできず暴走している、と灯代達が知るはずもなかったが、尋常でない様子なのは見てとれた。
荒い息をつく栞の小さな身体は、内側で荒れ狂う力に耐え切れず今にもはちきれてしまいそうだった。
「……一体、どうしたの……!?」
突然の不調に栞の剣捌きは乱れ、凄まじい攻撃の合間に隠しようのない隙が生まれる。
これを機会と捉え一気に反撃するか、再び拘束するか灯代と陣内が決めかねたその時、どこからともなく歌が聞こえてきた。
そんな場合ではないと分かっていても、聞き惚れずにはいられないような魔性の旋律。
手も足も出ない状況で身を焼かれながら、あすかは唯一自由になるその声を張り上げ、栞を懸命に援護していた。
鳥篭の中で歌うあすかの魔力を込めた呪歌に、栞の負った傷がみるみる塞がっていき、灯代は眼を見張った。
辺りに響く歌声と打ち消し合い、徐々に魔力の暴走が抑えられるにつれ、栞の表情は冷静さを取り戻していく。
(……まずい!!)
あすかを閉じ込めたガラスの鳥篭に入ったヒビ、その亀裂が徐々に広がりつつあるのを見て、陣内の顔が強張る。
こんな回復能力を持っている仲魔が、いま戦線に復帰すれば勝ち目はない。
もちろんこの機会を見逃すあすかではなく、壊れかけて結界が綻びた鳥篭から脱出しようと、何度も細い身体で中から体当たりしてさらに亀裂を広げる。
鳥篭の上から鉄鎖でがんじがらめにしようとする陣内だが、栞に阻まれてかなわない。
何十回目の体当たりの末、派手な音と共に輝く破片が飛び散り、あすかはついに自力で鳥篭の結界を破った。
正気を取り戻し、傷も回復し、万全の状態となった栞が灯代に迫る。
やるしかない、と唇を噛む灯代の右目に炎が宿り、燃え上がる紅蓮踏鞴が翳される。
まさに一触即発のその斬撃の間合いに、躊躇いなく飛び込んできた者がいた。
「栞ちゃん! 待ってくれ!」
割って入った一声に、二人のサマナーの剣は互いの衣服をかすめただけで、急所に届く寸前で止まっていた。
火の粉と白い羽根が舞い散る中、栞も灯代も、陣内さえも呆気に取られた顔になる。
火傷と刺傷にまみれたその身体で、巻き添えになってさらなる傷を負うのも構わず、あすかが身を挺して召喚主を止めたのだった。
先程まで彼の容赦ない攻撃を受けていた当人の陣内は、敵である灯代を庇うようなその行動が信じられず、思わず口に出して尋ねる。
「お前……なぜ自分の主人を止めた?」
「……君達がもし聞いた通りの殺人鬼なら、僕達を捕らえた時点ですぐに殺してるはずだからね、言い分を聞く位してあげてもいいんじゃないかって思っただけさ」
「あすか様、でもこいつらは……!」
「栞ちゃん……今回の任務はどうも妙な事が多すぎるよ、そもそも、本当に始末するべき相手は違うのかも知れない」
「…………っ」
何か思い当たる事があったのか、栞の視線が一瞬宙をさまよい、再びあすかに向けられる。
灯代は息を整えながら、これ以上戦う意志が無いのを示すため先に剣を下ろした。
主人のその行動を見て、陣内も剣の精製を途中で解除する。
「勘違いで襲ってきた……というか、誰かに嵌められてこうなったってわけか」
「可能性はあるね、栞ちゃんは……僕のサマナーは身内に敵が多いから、そいつらのうちの誰かかもしれない」
あすかの言葉にも、栞はずっと黙ったままだった。
以前から身内に狙われる事はあったものの、そのたびに危機を潜り抜けやり過ごしてきた栞だったが、もし今回の任務がでっち上げられたもので、無実のサマナーを手にかけていたらと考えると、それを口実に一族からどんな理不尽な処罰を受けていたか知れたものではなかった。
「……とにかく、俺達は同じサマナーであるお前らに討伐される謂れはねえ、それだけは分かってもらう、何なら後で身元を調べてくれても構わん」
タタラ陣内が念を押すようにあすかに言う。
あわや殺されかけた相手ではあるが、謀られてやった事だと分かった以上、灯代はそれを命じられた栞の立場が急に心配になり、彼女が身内に陥れられるのを放っておけない気になった。
大人しく首を差し出すわけにはいかないが、せめて栞が板ばさみにならないようにしたいと、灯代はおずおずと口を開いた。
「あの、栞さん、これからどうするんですか、結局、任務は……」
「……分からない、でも最初から、あなた達を始末する任務が成功しようがしまいが、何らかのペナルティを受ける筋書きだったと思う……」
「じゃあ私も一緒に報告に行きます、それで『調査中、悪魔に襲われた所を栞さんに助けられた』と証言します」
「……えっ?」
もう一度呆気に取られる栞だったが、陣内は「なるほどな」と頷く。
下手すれば死人に口無しで栞が全ての罪を被せられる所だったが、こうして灯代が生きている以上、始めから交戦の事実などなかったと本人が言い張る事で、でっち上げにはでっち上げで対抗するという訳だ。
そして実際に、灯代に後ろ暗い事は一切ないのだから、栞に間違った任務を与えた者はその責任を追及されるかもしれないが、栞本人は同じサマナーを救ったとしてお咎めは無しだろう。
万一ボロが出ないようにここにいる皆で口裏を合わせようと、灯代はさらに提案した。
「……それに、もし私達と人違いしていたその犯人が別にいるなら、協力して事に当たった方がいいと思うし」
「そうだな、そう申し出た方がこいつらを嵌めようとした連中も手は出しにくくなるだろうよ、目論見が失敗した以上、追求されれば逆に自分らがヤバくなるから、なあなあにして誤魔化したいだろうしな」
「…………」
できるだけ事を荒立てず穏便に済ませたいからとはいえ、自分を襲った者を逆に庇うような提案に、本気でこんな甘い事を言っているのかと栞は思ったが、その一方では心の奥に長い事封印していた感情が甦りつつあった。
幼い頃に養父母を殺され、連れ戻された家では身内さえ敵同然の環境で育ち、唯一信じられる相手は仲魔のあすかだけだったが、そんな殺伐とした半生の中で、いま栞は久し振りに温もりのようなものを感じていた。
生きるために倒すべき悪魔でも、自分を手駒としか見ない者でもない、信じるに足る人間との出会いによって。
「……ありがとう」
ありふれたそんな言葉を誰かに言うのも、栞にとっては本当に久し振りだった。
ほんの短い礼だったが、それだけで和解の意思と受け入れられた事を感じ取るには十分で、灯代と陣内はほっと安堵する。
「僕からもお礼を言うよ、それから……陣内さんだっけ、君を侮っていた事を謝るよ、土壇場で見事に一杯食わされたんだからね」
「……お前こそな、そんなボロボロになっても主人のために身体を張ったんだから大したもんだぜ」
「フフ、それこそお互い様というものだよ」
「ははっ、違いねえ」
あすかが傷付いた繊手を差し出し、同じく傷だらけの陣内の武骨な手がそれに応える。
固い握手を交わす二人の姿に、灯代は知らず目頭に熱いものが滲むのを感じた。
戦いが終わり張り詰めた気持ちが緩んだと同時に、全身の負傷の痛みを自覚し、疲労がどっと襲ってくる。
「すみません、現世に戻る前にちょっと手当てを……せめて痛み止めだけでも……いたた……」
灯代が覚束なくポケットから取り出したのは、数種類の棒付き飴だった。
むろん単なる菓子ではなく、サマナー向けの特別製の薬効のあるキャンディで、そのうち鎮痛効果のあるものを選んで包装を取る。
「……ごめんね、ひどくして」
済まなそうな顔の栞に心配をかけまいと、大丈夫ですよ、と灯代は空元気で笑顔を作った。
それを見たあすかが先程までとはうって変わって緊張感の無い口調で、唯一無傷の栞に話しかける。
「栞ちゃ~ん、僕も火傷しちゃったよ、でも栞ちゃんが舐めてくれればすぐに治……」
「ハァ? 舐めてるんですか、あすか様」
可憐な容姿に似合わない、敵に対する以上にドスの効いた栞の声色に、端正な顔をデレデレにしたあすかはびくりと肩をすくめる。
「じょ、冗談だよ、怒った顔も魅力的だけど、僕は笑顔の栞ちゃんが大好きさ!」
「何というか……お前、頭と下半身の切り替えがずいぶんはっきりしてる奴だな……」
取り繕うあすかを横目で見ながら、陣内はやれやれという表情で空を見上げた。
太陽のない空はその色を夕刻のものに変えつつあり、白々と浮かぶ細い三日月は今にも落ちてきそうだった。