俺の屍を越えてゆけ
狼なんかこわくない
静かな冬の森に、月が昇る。
冴え冴えとした銀の光が降り注ぎ、暗い森の中にいっそう深い影が落とされる。
この神域を統べる狼神・十六夜伏丸はねぐらの中でぴくりと鼻先を動かした。
澄んだ冬の大気に白い呼気が溶ける。
かすかな懐かしい匂いがこちらへ向かっているのを感じ、伏丸はまんじりともせず、来訪者を待っていた。
やがて訪れたのは、鬱蒼とした森の景色には場違いな美しく着飾った女だった。
それは弓使いの着る衣服だが、女の繊手には弓も矢筒もなく、帽子には色鮮やかな飾り布が垂らされ、単衣には一面に花の刺繍が施されてまるで花嫁衣装のようだ。
季節外れの花のような華美な盛装に負けぬ、整った顔立ちの中で何よりも目を引くのはその切れ長の眼だった。
「朔夜」
伏丸の口から出たその声を他の者が聞けば驚いたに違いない。
直立した狼のような恐ろしげな容貌からは想像もつかない、低く静かな、恋人の名を呼ぶような優しい熱の籠もった声だった。
「お久し振りです、伏丸様」
朔夜と呼ばれた女は、かつて、といっても人でいう数ヶ月前に『交神の儀』によって十六夜伏丸との間に一子を設けた女だった。
永劫の時を生きる神の身からすれば百年の月日も一瞬のうちに過ぎ去るが、朔夜が再び自分の元に来ると知ってから今まで、伏丸はこれほど時が経つのを待ち遠しく感じた事はなかった。
最後に見た時と同じく朔夜は美しく、その匂いも変わっていなかった。
伊吹の宮静という女神を母に持つ朔夜は甘い春の匂いがして、その匂いにあてられたのか朔夜を一目見た途端、己でも分からないほど情欲を持て余してしまい、血のたぎりを鎮めるのに苦労したものだった。
……ずっと昔、伏丸がまだ人界にいた頃、住んでいた山の近くの村から生け贄を差し出された事があった。
喰うつもりなどなく、まして手籠めにしようなど思ってもいなかった伏丸は丁重に追い返そうとしたが、生け贄の娘は伏丸の姿を見て物も言えないほど怯えていた。
結局、人里に返したその娘がどうなったかは知らないが、自分のもとに交神の申し出が来た時、伏丸はその事を思い出してやや気が重かった。
今更人間と関わり合いになるのも面倒だし、まして若い娘と交わるなど相手の方も嫌がるだろうと思っていた。
それなのに、一目見ただけでこの朔夜という女の全てが欲しくてたまらなくなった。
まるで本能がつがいとなる相手を求めるように。
朔夜が一族の血を絶やさぬために、義務感だけで伏丸のもとに寄越されたならいくら取り繕うとも嘘の匂いで分かっただろうが、朔夜は恐れもせず伏丸を受け入れた。
濃密な一時が過ぎ、春の匂いに包まれながら、伏丸は夢の中にいる心地だった。
『お前は……俺を怖がらないんだな』
『どうして怖がる事がございますか?』
『取って食われるとは思わなかったのか』
『伏丸様は鬼ではございません、人を食べるなどなさるはずがありません』
そう言う朔夜の温もりに、伏丸の中でずっとわだかまっていた何かが溶けていった。
真円の月が欠けていき、また満ちてゆくその間中、飽きる事なく朔夜と睦み合った。
二人で過ごした最後の夜に、「月を見る度、どうか私の事を思い出して下さい。私も伏丸様と同じ月を見ていると思えば寂しくありませんから」と言った朔夜の姿も鮮明に覚えている。
「そうか、あの時の子は丈夫に育ったか、名はなんと付けた?」
「望(のぞみ)と名付けました、先の見えない暗い道でもみなを照らせるように」
望とは満月の事をいう。
両親の朔夜と十六夜という名に掛けた命名なのだろう。
神々に課せられたのは奉納点と引き替えに子を授ける事だけで、それ以降の手助けは我が子であっても人間への干渉と見なされ許されない。
伏丸が我が子の名を知ったのも今が初めてだったが、達者で暮らしている事が何よりも嬉しかった。
「あなたの子は立派に成長しました、ただ少しませた所があって」
「…………」
「弟か妹が欲しいと、ねだってくるので……またこちらに伺う事になったというわけです」
朔夜の長い睫毛に縁取られた切れ長の眼が、笑みを含んで伏丸を見上げている。
空気まで凍てつくような冬のさなかだというのに、春の匂いがした。
初めて見た朔夜は清楚な白い襦袢姿だったが、咲き誇る花のように盛装した朔夜も美しいと改めて思いながら、伏丸は一晩かけてこの花を散らす事にした。
柔らかな毛皮が敷かれた褥に豪奢な衣装のまま寝かされ、朔夜は狼の巨体にのしかかられていた。
黒に近い灰色の毛並みの下で、強靱な筋肉がうねっているのが分かる。
「ふふっ……くすぐったいです、伏丸様」
獲物を念入りに味見する伏丸の舌は、せっかく差してきた紅を残らず舐め取ってしまった。
素の唇の味を思う存分堪能した伏丸は、朔夜の身を幾重にも包む花びらを剥ぎ取りにかかった。
所々は朔夜が自ら脱いで手伝ったが、色鮮やかな衣を一枚一枚剥ぐごとに朔夜の肌の匂いが甘くこぼれ出し、ますます伏丸を猛らせた。
「今宵はずっと、私を離さないで下さい……」
脱ぎ捨てられた華麗な衣装の中に雌鹿のような肢体を横たえて、朔夜は潤んだ瞳で伏丸を見つめていた。
この瞳を、この声を、この匂いをどれほど恋しく思ったか、伝える言葉が見つからない。
「朔夜、これは本当に夢ではないんだな……お前はここにいるんだな」
「私も同じ気持ちです……また伏丸様とこうして過ごせる機が巡ってくるなんて、夢にも思っておりませんでした……」
二年も生きられない呪われた人間と、永遠の時を生きる神が互いを一日千秋の思いで待ちわびていた。
離れていた時間を埋めるように、二人は身体を重ねた。
「はぁ……あぁ……」
恍惚に浸る朔夜の声が途切れ途切れに響く。
毛繕いでもするように、伏丸は朔夜の裸身をくまなく舐め回していた。
荒い息遣いと濡れた舌で全身を嬲られ、脇の下や臍のくぼみまでも執拗に舐め上げられ、久しぶりに味わう濃厚な舌戯に朔夜は早くも雌の部分を疼かせていた。
鋭い爪や牙で傷つけないようにと、初夜の床での伏丸なりの気遣いだったが、その甲斐あって朔夜はこうされるのがすっかり病み付きになってしまった。
さんざんいたぶられた両の乳首は熟れた野苺のようにぷっくりと勃ち上がり、触れられるどころか息を吹きかけられただけでも声を上げてしまうほど敏感になっていた。
「伏丸様の舌……とてもお優しい……」
蕩けた声でそう言われ、もっと歓ばせようといっそう愛撫に熱が入る。
白い腿を開かせ、柔らかな草むらのあわいまでも暴いた。
全身すべすべした朔夜の体の中で、ここだけはふんわりと毛が生い茂っていて特にお気に入りだった。
「あぁっ!」
「相変わらず、美味そうだな」
鴇色の花園からは、濃厚な雌の匂いが立ち上っていた。
たっぷりと露を含んだ襞を長い舌で舐め上げると、朔夜の背中が弓なりに強張った。
「くぅ……んっ」
「匂いも、前と変わらない……他の雄がお前に手出ししていたら、そいつを喰い殺すかもしれん」
こうして秘め処をあからさまに見られ、匂いを嗅がれ、滴る雫まで舐められるのは、何度目でも慣れない。
朔夜の全てを知っている舌に花びらの間までも丁寧に清められ、小さな蕾を味わうように転がされる。
後ろの不浄な箇所にまで舌が伸び、そこさえも愛しくて堪らないように水音を立てて愛撫するのが余計に羞恥を煽った。
「伏丸さまっ……もう、いけません……んっ、んうぅっ!」
構わない、というように舌の動きがさらに激しくなる。
いくらもしないうちに気をやり、うち震える朔夜を、これだけでは足りないとでも言うように伏丸が舌なめずりしながら見下ろしている。
朔夜は弾む息もそのままに、褥にうつぶせて腰を高く上げた。
白樺の幹のような背中が月光を浴び、ぬめるように淡く光っている。
獣が交合うのと同じ姿態で、突き入れられるのを待っている朔夜の姿は途方もなく淫靡だったが、発情しているはずの伏丸はすぐに美しい獲物にのしかかる事はせず、自分の肩越しに後ろをうかがう朔夜にこう囁いた。
「いい格好だな、お前の顔を見ながら種付けしようと思っていたが……」
「あ…… ですが、あの……この格好が、伏丸様を一番奥で感じられるので……」
本来は奔放なたちではなく、むしろ慎ましい性格の朔夜が耳まで赤くなりながら、伏丸恋しさのあまり自ら獣になろうとする様は実に興をそそった。
「何せ久し振りだからな……手加減できんかも知れんぞ」
「はい…… どうか、可愛がって下さいませ」
自分を後ろから抱く熱い体温と豊かな毛並みを背中に感じ、朔夜はうっとりとため息をついた。
腰を突き出して、伏丸のためだけの箇処へと雄を迎え入れる。
獣道のように細く狭い道だったが、何度も通い慣れたそこに迷わず伏丸は突き進んでいった。
捕食される獲物のように組み敷かれた女体が強張り、甘い声で鳴いた。
「あはぁっ……もう奥まで、伏丸様でいっぱい……っ」
朔夜の丸い尻と、伏丸の下腹とが隙間なく密着した。
身体の下の朔夜の表情は伏丸には見えないが、紅潮した耳も小さく震える肩も、たまらない圧迫感と湧き上がる熱を堪えているのを示していた。
(俺の片手に収まりそうなこんな華奢な腰に、全部入っているのか)
改めてそう思っただけで頭の芯が熱くなる。
朔夜のなかは熟れた果実のようで、少しでも身動きすると粘膜が甘く絡み付いてきて、それだけで理性も何も吹き飛んで滅茶苦茶にしてしまいそうだった。
「朔夜……!」
望みを遂げようと動き出す獣の荒い息がうなじを撫でる。
野性そのままの激しさで後ろから貪られ、今にも壊されてしまいそうだったが、朔夜のしなやかな身体は伏丸の訪れを歓待し、温かな粘膜で包み込んだ。
「んんっ……! っう……っ」
決して逃げられない力で後ろから腰を掴まれてはいるが、伏丸が脆い人間の身体を傷つけないよう気を付けているのが分かる。
そうでなければ朔夜の柔肌は爪と牙でずたずたになっているだろう。
褥に敷かれた毛皮を掴んで、奥を突き破られそうなほど力強い抽挿に耐える朔夜は、苦痛ではなく一突きごとに腰が蕩けていくような快感に身悶えていた。
本能に駆られてはいても、伏丸は自らが快楽を追うだけではなく、朔夜が悦ぶ所を狙って突いていた。
最愛の相手を自分と同じだけ悦ばせたい、という伏丸の思いを身をもって感じ、朔夜は多幸感に全身を包まれるような心地だった。
「あんっ! あぁ! すっ、すごいぃっ……!」
「ぐうぅ……!」
伏丸を発情させる、春を思わす匂いが朔夜の肌からより濃く立ちこめる。
衝動のまま丸い尻に何度も腰を打ち付け、やがて限界を迎えた伏丸の唸り声と共に、吐き出された多量の精が胎内を満たした。
長く続く吐精の脈動を感じながらくったり脱力していると、激しい情交に染まったうなじを舐め上げられ、朔夜は身震いした。
「……きゃあっ!?」
いきなり身体を反転されて逞しい腕で抱き上げられ、驚いて朔夜は悲鳴を上げた。
まだ猛ったまま突き立てられているものに中を抉られ、たまらず伏丸の胸に縋りつく。
「しっかり掴まっていろ」
朔夜を貫いたまま直立した伏丸は、両腕の力だけで女体を抱えて上下に揺さぶりだした。
身体がずり落ちそうになり、両脚を伏丸の腰に絡めて朔夜は全身で相手にしがみついたが、女一人の重みなど苦にもせず、狼神はなおも交合を続ける。
根本までぬらぬらと濡れ光る雄が繰り返し女芯に突き立てられている様が、餅のように柔らかな尻の谷間から見え隠れする。
「やっ、あぁっ……! こんなに、深く……」
獰猛な力でずんずんと子壷まで突き上げられる衝撃に、朔夜は我を忘れて雄を喰い締める。
先程放ったばかりにもかかわらず、疲れを知らないようにいきり勃ったものは、胎内から精が溢れるのも構わず荒々しく、力の限り朔夜を責め立てた。
さっきよりもずっと緊密な交わりに、剛直に擦り立てられたところから粘膜が灼けてしまいそうだった。
「伏丸様ぁっ、このまま果てるまでっ、私を離さないで下さい……!」
朔夜の中に残った最後の理性までも突き崩そうと暴れる獣に懇願する。
伏丸は言葉で答える代わりに、朔夜の肢体が軋むほど強く抱き締めた。
白い背中に玉の汗を浮かべながら、朔夜も伏丸の胸に身体を預けて全てを受け入れた。
なおも深く貫かれ、ひときわ高い声を上げる。
「あ、あぁ! いいっ……! ふあぁあ!」
「朔夜、俺の子を孕め……!」
生まれ変わっても忘れられないほどに、魂の奥底にまで愛した痕跡を残してやりたい。
獣の本能に支配された伏丸の声はもはや狼の唸りにしかならず、朔夜の子宮へと命の奔流を惜しげもなく放った。
「また、また来ちゃうぅ……! もっと、あぁ……!」
愛欲と肉欲がもつれあう交合の中、人間の女から雌と化した朔夜はそれを最後の一滴まで奥底に受け止めた。
何度果ててもなお天高く突き上げられるような法悦の中で、朔夜はいつしか気を失っていた。
淡い朝の光で目覚めた時、朔夜は一糸まとわぬ裸身のままだったが、ずっと自分を守るように寄り添っていた伏丸のあたたかな毛皮のおかげで、寒さはまるで感じなかった。
豊かな毛並みに頬擦りして心地よい感触をしばらく楽しんだ後、愛しい狼の穏やかな寝顔を見つめながら、少し湿った鼻先をちょんちょんと突ついて悪戯をする。
……本当は、怖くないわけではなかった。
初めての交神でこのねぐらに通されるまで、何をされるか不安で足が震えていた。
『……お前か、俺と契ろうという娘は』
威圧感に満ちた低い声に身体がすくんだが、獲物を品定めするようにこちらを見据える狼神の背後にあるものを発見し、朔夜は目を丸くした。
ぱたぱた、ぱたぱたと箒のように大きな尻尾が左右に振られていた。
狼の強面な容貌とは裏腹な、最大限の喜びを表す尻尾。
抑えようとして無意識に表れたその仕草がとても可愛らしく、朔夜が抱えていた恐れも不安もそれでいっぺんに吹き飛んでしまったのだった……
眠ったふりをする伏丸は、もう朔夜にあまり時間がない事を悟っていた。
二年も生きれば大往生という短命の呪いを受けた身体では、授かった次の子が戦えるようになるまで保つかどうかといった所だ。
朔夜自身もそれを承知の上で、伏丸に再び交神を願ったのだろう。
これが最後の逢瀬になると、二人とも知っていた。
だが、その残酷な宿命を呪うよりも、今だけは命の交歓に耽り忘れさせてやりたい。
伏丸は眼を開け、自分の鼻をつつく悪戯な指を舐めてやった。
「……朝から目の前に美味そうな獲物がいるな」
「ゆうべあんなに召し上がったのに、まだ足りませんか?」
「ずっとお預けをくっていたんだ、飢えて飢えてとても足りん」
「もうっ……」
でも嬉しゅうございます、と伏丸の腕の中で恥ずかしそうに微笑む朔夜は、咲き誇る花のように美しかった。
季節が巡り、花盛りの春のさなかに朔夜は逝った。
伏丸から授かった第二子の弦(げん)に訓練を授け、初陣に送り出した直後の事だった。
春の香が匂う夜空には、彼女の最期を見守るように十六夜の月が昇っていたという。
(完)