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奇譚小函―きたんこばこ―

R-18 二次創作テキストサイト

俺屍サマナー

GIRL NEXT DOOR 


斬り倒された巨体が地響きを立てて沈み、あまりの重い衝撃に地面に亀裂が走った。
亀裂はみるみるうちに広がり、地面だけではなく書き割りの背景のような空間までも侵食していく。
今この場に生ける者はただ一人、赤毛の少女が刀を手にして佇んでいるだけだった。
彼女は、近栄家当主代行・日生の命で、この異界に棲む悪魔を討伐に来たサマナーだった。
緋と藍の眼は力なく伏せられているが、それは戦いの疲労のせいでも、負傷のせいでもなかった。
実際、先程までの戦闘で負った傷はすでに自然治癒していた。
鬼首灯代という名を持つ少女は、手にした刀を地面に突き立て、さらに新しい亀裂を作った。

(……日生さん)

一族が滅ぼされ、仲魔も失い、一人ぼっちになった灯代は、先輩であった日生によって近栄家に引き取られた。
自分に良くしてくれた日生に恩を返そうと、灯代はこれまで近栄のために尖兵となって戦ってきたが、近栄を出ようと決意するに至った動機も、やはり日生だった。
ある一件をきっかけに、旧い血に目覚めた灯代を見る周囲の目は日に日に変わっていったが、日生も例外ではなかった。
死地から戻ってくるたびに、彼女が灯代を見る目は「どうして戻ってきたんだ」と言いたげなものになっていった。
以前とは異なる存在になってしまった灯代をいつまでヒトとして見ていられるのか、彼女自身も理性と心情の板挟みになっているようだった。
それに追い討ちをかけるように「あの化け物をどうにかしろ」と当主代行を責める周りの声も、灯代自身の耳に否応なく入っていた。
自分の存在が彼女の負担になっていると気付いた灯代は悩んだが、戦う以外に借りを返す方法を知らなかった。
そしてある日、灯代は自ら志願して単身での危険な討伐任務に臨んだ。

(監視役のサマナーも、これで半信半疑ぐらいにはなるかな)

せっかくの戦力を失った当主代行が責められぬよう、近栄やヤタガラスから追っ手がかからぬよう、悪魔との戦いで死んだと見せかけ、死体が確認できないような最期を偽装する。
『化け物』は悪魔と相討ちになり、異界の崩壊に巻き込まれついに帰ってこなかった、そういう筋書きを近栄の者が信じるように、灯代なりにうまくやったつもりだった。
自分がいなくなって、日生は悲しむだろうか、ほっとするだろうか。
ただ一言「行ってきます」とだけ告げて背を向けた時、彼女はどんな顔をしていたのだろう。

(……本当に、お世話になったなぁ)

何もかも失くした灯代が泣いている間中、ずっと肩に添えられていた手の温もり。
戦いを終え、返り血にまみれて帰還するたびに、何よりも嬉しかった「おかえり」という言葉。
破損した服の替えを買うために、たった一度だけ任務以外の用事で外出した時、店員に姉妹と間違えられた事もあった。
本当だったら良いのにと言う灯代に、日生は困ったように曖昧に微笑んでいたのを覚えている。
辛い事や嫌な思いをした事もたくさんあったはずなのに、今になって思い出されるのは、そんな優しい記憶ばかりだった。
きっと、日生も覚えていないような小さな思いやりの数々に、灯代は何度も救われていたのだ。

(日生さん、ありがとう……私を拾ってくれて)

全方向に広がる亀裂に耐えかねて周囲の空間が歪み、足元が崩れていく。
今は亡んだ鬼首家と彼女を繋ぐ、ただ一つのものである継承刀を手に、灯代は虚空に身を躍らせた。


鬼首灯代が、近栄家の瓦解と当主代行の死を知るのは、それから半年後の事だった。




バイトで疲れた身体をひきずり、原木(ばらき)が自分のアパートに着いたのは日付が変わる直前だった。
蛍光灯が常に切れかけて点滅している外の階段を上がりながら、ポケットから部屋の鍵を探る。

「こんばんは」

ありふれた挨拶をした女の声を、最初聞き間違いではないかと思った。
入居してもうすぐ一年になるが、基本的に他人に無関心なここの住人から挨拶などされた覚えはないし、自分からした覚えもない。
赤錆が浮いた階段から視線を上げると、隣の部屋のペンキの剥げたドアの前に少女が立っているのが眼鏡越しに見えた。
せいぜい十代半ばぐらいだろうか、目深に被ったキャップから覗く短く切り揃えた赤い髪、ボーダーの長袖の上にTシャツを重ね着し、カットオフのデニムから伸びる脚にはスニーカーを履いている。
声から少女と分かったものの、小柄な体格とボーイッシュな格好は、遠目で見れば少年と間違えたかもしれない。
自分に気付いた原木の反応に、少女は軽く会釈した。

「今お帰りなんですか、遅くまで大変ですね」
「……ええ、まあ」
「じゃあ、どうも、失礼します」

大きめのスポーツバッグを手にして、自分と入れ違いに薄暗い階段を下りて行った少女の背中を、原木は半ば呆気にとられて見送った。
「遅くまで大変ですね」と言っていたが、あの娘はこれから出掛けるのだろうか、こんな時間に?
夜の仕事という短絡的な言葉が浮かんだが、それにしてはスレた雰囲気はなかったし、見る限り未成年のようだった。
自分と同じような、コンビニや飲食店などの深夜バイトの方が妥当だろう。
狭い玄関に靴を脱ぎ散らしながら電気を点けて、原木はようやく一息ついた。
この界隈のアパートには、日雇い労働者や水商売など、身元が怪しい訳有りの住人も数多く入居している。
家庭の事情で実家を出て、保証人になってくれる知り合いがいない原木のような浪人生もその中に入る。
周辺の治安の悪さやお世辞にも住み良くはない部屋といった条件の分、家賃が比較的安いのには勝てずここを選んだのだった。
それにしても、今の今まで隣にあんな女の子が住んでいたとは知らなかった。
知っていたのは、ドアに張られた手書きの表札の「多々羅」という姓だけで、お世辞にも防音がしっかりしているとは言えない薄い壁なのに、隣から物音や話し声が聞こえてくる事もなかった。
あの位の年の娘なら、友達と電話で長話とかしそうなものなのに。
一人暮らしだとすれば、こんな治安の悪い所に住むなんて親は許さないだろうから、実家とは絶縁しているか、それとも身寄りがないのだろうか……
そこまで考えて、ストーカーじみたつまらない詮索を打ち切り、原木は敷きっぱなしの布団に横になった。



それが一週間前の事だった。
いつもならとうに予備校に向かっている時間だというのに、原木は自室で蹲っていた。
鼻の奥で焦げた匂いがして、流れる鼻血を拭う事もできないまま、広くもない六畳間を踏み荒らす靴の群れを眺めるしかない。
何度もスタンガンを押し付けられ、手足をガムテープでがんじがらめにされた挙句、ぐったりと床に転がされていた。

「こんなクソ狭い部屋なのに、どこに隠してんだよ」
「小さいもんだからな……おい、その机もどかせ」

出掛けに押し入ってきた四人組の男は、時折原木の身体を踏みつけながら、押入れや引き出しの中をひっくり返している。
耳に入ってくる会話から、彼らが強盗ではなく金品以外の目的で家捜しに来たと知れ、原木は痺れた意識の中で一つの可能性に思い当たった。
連中が探しているものに、ただ一つ心当たりがあった。

――もし、俺と連絡がつかなくなる事があったら、これを投函してほしい。

先日、こちらの方面に用事があるからといって、そのついでに訊ねてきた友人から渡されたものだった。
高校を卒業してから進路の関係で離れてはいたが、本人曰く『ちょっと危ない自由業』に就いて働いている彼とは、今でも度々メールで連絡を取っている仲だった。
何かやばいものじゃないだろうな、昔のスパイ映画じゃあるまいしと笑ったが、あれは冗談でも何でもなかったのだと、原木は今になって気付いた。
その時渡された肝心のものは、自分の背中から半ばずり落ちているデイパックの中に突っ込まれたままだ。
灯台下暗しとは言うが、部屋の中には隠していないと分かり、彼らが原木の身体を調べ始めるのも時間の問題だろう。
それにしてもこいつらは何なんだ、昨日手渡されたばかりのあれが目的だとしたら、あいつは何で俺に……いや、あいつの方は今どうなんだ。
こんな状況でありながら、原木は友人の身がいきなり気がかりになった。
昨日の今日で自分の部屋にわけの分からない男達が押し入ってきたという事は、あいつも今頃同じような窮地に陥っているのではないか。
彼らが探しているデイパックの中のものを差し出してでも、この場を切り抜けて何とかして安否を確かめたかった。
そんな内心の焦燥を知る由もなく、男達の一人が、倒れたままの原木の肩を靴底でどやしつけた。

「いつまでも寝てんじゃねえぞ、お前の知り合いから預かったもんはどこにある」

勝手に持って行けと言おうとしても、感電のショックがいまだ残っていて舌が回らない。
答えがないのに苛立ったのか、男はいきなり横腹を蹴りつけてきた。
苦痛に呻き声を上げる原木を見下ろし、ほらちゃんと声が出るだろうが、となおも蹴りを入れようとする。
なすすべもなく暴力に晒されながら、原木は蚊の鳴くような声で助けを求めていたが、薄い壁越しに他の住人にこの騒ぎが聞こえていたとしても、通報は期待できそうになかった。
何せこの辺りでは軽犯罪の類は日常茶飯事に見かけるし、派手な怒鳴り合いや刃傷沙汰の喧嘩も珍しくなく、原木だって近所でそんな事件が起きてもいつも無視を決め込んでいる。
見て見ぬ振りをしてトラブルの火の粉から我が身を守るのは、当然の事だった。
調子付いた男が原木の顔を踏みにじろうとした時、ドアチャイムが鳴った。
室内の男達が一瞬固まり、次いで「すみません、隣の者ですが」という若い女の声に、顔を見合わせた。
その声の主に思い当たり、はっとしたのは原木だけだった。

「すみません、原木さん、おられますかー?」

この訪問者に居留守を使うか誤魔化すかという選択肢を迫られ、男達の間に緊張が走ったがそれも一瞬の事で、通報されるというリスクを排除する方向で直ちに動いた。
一番出入り口に近い位置にいた男がドアの魚眼レンズを覗き、下劣な笑みを浮かべたのが原木の眼鏡のずれた視界にはっきりと見えた。
隣の住人が物音を聞きつけて助けてくれたらと願ってはいたが、さらに事態が悪化する予感に、浅はかな自分を呪わずにいられなかった。
男がドアを細く開けるとその隙間から赤い髪がちらりと見え、やはり彼女だ、と原木は安心するどころか焦燥の度は一層増した。
訝しげな隣人の少女に、自分は留守番を任されている友人で、と出任せを言う男の後ろ手に、原木を昏倒させたスタンガンが握られているのが何よりの不安材料だった。
いっそ気付かずに帰ってくれと原木は祈ったが、現実はどこまでも無情だった。

「……あの、ずいぶん散らかってるみたいですけど」

自称友人の男とやりとりをする少女の声に、疑惑の色が濃くなる。
室内の修羅場が見えないように、男は自分の身体でドアの隙間を覆っていたが、それでも誤魔化しきれなかったらしい。
隣人を納得して帰らせるのを諦めた男が素早くスタンガンのスイッチを入れ、不穏な音と共に火花が飛ぶのを見て原木の顔色が変わる。
数秒後の彼女の運命は明らかで、口封じにどんな目に遭わされるのか知れたものではなかった。
渇いた喉で叫ぼうとした「やめろ」という制止は、声にならなかった。
その声にならない叫びは、偶然にも二つ重なった。
ドア越しに少女にスタンガンを突き出そうとした男の身体が痙攣し、勢い良く開いた薄っぺらいドアに顔面を直撃された。
男が手首を捩じ上げられ、自分の身体に電極を押し当ててしまったのだと、原木が知ったのは後ほどの事だった。
外からの逆光を背に、ドアを蹴り開けて進入してきた赤毛の少女は、室内の状況を目にするや否や次の行動に移った。
予想外の事態に男達が固まっている中、ガムテープで縛られた原木に駆け寄り、先程まで意味もなく原木に蹴りを入れていたそばの男に勢いを乗せた跳び蹴りを放った。
砲弾が胸板を貫くような一撃に、少女よりは重量のあるはずの男は吹き飛んで後ろの壁に衝突し、築四十年超のアパート全体を揺るがした。
肋骨が砕けたのか、壁に上体を預けたまま動かなくなった相手を顧みる事もせず、少女は残る二人の男を睨み付けた。

「何の用で来てるのか知りませんけど、さっさと帰りなさい! 夜勤明けで寝てた所を起こされて腹立ってるんですよ」

その言い草だけ聞けば騒がしい隣人に注意しに来ただけのようだが、いきなり実力行使した躊躇いのなさは、原木を含めて男達を仰天させるに十分だった。
見かけによらず武道の心得でもあるらしい少女の手で、瞬く間に頭数を半減させられた男達だったが、やられた二人は油断していただけと思い直したのか、散乱した物と倒れた人体で足の踏み場もない中、じりじりとドアの前に移動して少女の退路を断とうとする。

「顔見られちゃったからなあ、帰すわけにはいかないよな」
「…………」
「前から使いたかったんだよな、『これ』」
「大丈夫っすか、許可されない限り使うなって、上から」
「うるせぇよ、不慮のトラブルを排除するためやむを得ませんでした、って報告すりゃいいだろ」

懐に手をやったのは、四人の中ではリーダー格と思われる男だった。
不意打ちとはいえ大の男を二人も倒した相手に、圧倒的優位に立つような余裕の笑みを浮かべている。
刃物かあるいは拳銃でも出すのかと思ったが、男が取り出したのはなんと一本のペン……いや、金属製の管だった。
少女の目つきがわずかに鋭くなった。

「出てこいやっ『トゥルダク』!」

男が何やら叫びながら管を少女に向けると、小さな管から緑色の光が迸った。
緑色の輝きが集束して人のような形を取り、光が消えた時そこに佇んでいた異形の者に、原木は目を見開いた。
それは両手に抜き身の剣を携えた骸骨だった。
あまりに非現実的な光景に、原木は必死でトリックか幻かと可能性を探ったが、むき出しの骨が軋む不快な音や手にした刃の鈍い輝きが、そのどれでもない事を伝えていた。

「トゥルダク、好きにしろ! 死体は喰っても構わねえ!」
「アイアイサァーー!! ご主人様ァァ!!」

戦慄するような命令を下した男に従い、トゥルダクと呼ばれた骸骨の化け物は骨格を鳴らし、剣を振りかざしながら少女に襲い掛かった。
原木を蹴っていた男の身体を容赦なく踏みつけ、横薙ぎに振るわれたトゥルダクの剣よりも少女の瞬発力の方が勝っており、咄嗟に転がって初太刀を避けた。
しかし、空を切って飛んできたもう一振りの剣に服の袖を壁に縫い止められ、次の動きがわずかに遅れる。
自ら外したのか、その剣の柄は骨の左手が握ったままで、主から離れた骨の手がひとりでに蜘蛛のように蠢いて少女の首を絞めにかかる。
見るも不気味な戦法に、今度は素手の彼女の方が一転して劣勢に追い込まれた。

「夜勤明けに騒いで悪かったな? 永遠に寝かしてやるよ、お節介な正義の味方さんよぉ!」

勝ち誇る男の声に重なり、トゥルダクがとどめを刺さんと剣を振りかざす。
だが、それが少女の頭に振り下ろされる事はなかった。
ただでさえ狭い室内、それに見合って低い板張りの天井に、高々と振り上げた剣先が突き刺さってしまったのだった。

「う、うォッ!! し……失敗! パ……パイナップル!」
「間抜け!!」

素頓狂な声を上げるトゥルダクに体勢を立て直す間も与えず、少女は袖が裂けるのも構わず壁に突き刺さった剣を引き抜くや否や、骸骨に掴みかかった。
頚椎を掴んだ少女の手が紅蓮の炎に包まれ、ひょろ長い骨格が枯れ木のように一気に燃え上がる。
とっくに死んでいるはずの見た目でも『死んだ』と言うべきかは分からないが、トゥルダクと呼ばれていた骸骨の化け物は断末魔の叫びを残し、後には灰だけが残った。

「……ヤベェ……!」

けしかけた化け物の敗北を悟り、反射的にドアを開けて逃げようとする男達の後頭部に骨の手が投げつけられて砕けた。
先を争って外に出ようとする男達の襟首を掴み、少女がトゥルダクの持ち物だった剣を閃かせる。
ガツン、ガツンと立て続けに重い音が響き、峰の部分でしたたか殴りつけて気絶させた二人を床に放り出すと、少女は原木の方に歩いてきて、手足を縛るガムテープを解き始めた。

「大丈夫ですか」
「……ありが、とう」

まだ微妙に呂律が回らなかったが、何とか返事が出来た。
戒めから解放され、眼鏡をかけ直して改めて少女の顔を見た原木は、その眼の色が左右で違う事に初めて気付いた。
少女の左目は藍色、右目は緋色だった。
それから、少女が靴を履いておらず靴下だけという事にも気がついた。
男達は土足で上がりこんできたが、彼女はいつの間にか、恐らくはスタンガンの男を片付けた時点で、玄関できちんと靴を脱いで原木の部屋に入ってきたようだった。

(……それにしても……何なんだ)

……この男達はどうして『あれ』を奪いに来たのか、友人は無事なのか、さっきの化け物は何なのか、そして彼女は一体何者なのか。
聞きたい事や分からない事が山ほどあったが、脳細胞が飽和してしまって言葉が出てこない。
この日の出来事が、目の前の少女の数奇な運命を再び変えていく事になるとは、神ならぬ身の原木には知る由もなかった。


(To Be Continued→)

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